世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

シリーズ④:ピマーイ遺跡・その3

2016-10-17 07:47:21 | イサーン

<続き>

回廊の山門というか楼門の紹介と共に、主(中央)祠堂入口の破風と柱を前回紹介した。今回はその主祠堂についてである。下は、天井部分を示すが、本来とは異なる方法で補修されている。その直下のリンテルはマーラ軍との戦闘場面であろうか?ラーマヤナ物語の一場面と思われる。

 

何やら復元像のように見えなくもない。キャップションがなかったと記憶しており、だれか不明である。下のリンテルは踊るシバ神であるが、破風は何か物語の一場面のようである。

下のリンテルはビシュヌ神であろうか?

 

以上が主祠堂であった。以下、主祠堂南東に位置するブラマタット祠堂である。そこにはジャヤーバルマン7世像が鎮座している。

 

美男子である。コラートの駅頭で、このような骨格の人物を見ることができ、感激したものである。

 

中央が主祠堂、左がヒン・デーン祠堂、右がブラマタット祠堂で、それらを回廊の正面楼門から写した。

中央が主祠堂である。日本人の眼から見ると復元方法が今一つで、何か素人が復元したようにちぐはぐさが目についた。




                                 <続く>


シリーズ④:ピマーイ遺跡・その2

2016-10-16 07:49:09 | イサーン

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イサーンのムーン川流域に勢力を誇っていたマヒーンダラプラ家。その家出身のジャヤーバルマン6世が、1080年にアンコール帝国の王位に就いた。ピマーイ遺跡の建物群は、このジャヤーバルマン6世の治世下に建造されたと云われている。
ピマーイ遺跡の全貌を知っていただくため、入手したパンフレットを提示しておく。出来る限りそのレイアウトに沿って紹介したい。

先ずは配置図上の2番ナーガ・ブリッジである。ナーガ・ブリッジ正面は左右にシンハが鎮座している。

 

配置図上の3番ゲートウェイ、つまり正面の山門である。破風や屋根があったであろうが崩壊し、一部分が残るのみである。

リンテルには多くの踊り子が刻まれているが、踊るシバ神であろうか?それともたんなる踊り子であろうか?

 

カーラに乗る神、神の顔面が擦り減り様子がよくわからない。何か踊っているようにも見えるのだが。

 

 

高さ28mの拝殿付き主祠堂で、当該遺跡の中心である。下はその破風であるが、踊るシバ神と云われている。

柱も装飾されている。アプサラであろうか?クメール族の顔立ちである。

次回は祠堂内部を中心に紹介する。




                                <続く>


シリーズ④:ピマーイ遺跡・その1

2016-10-14 07:43:50 | イサーン

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今回はピマーイ遺跡インフォメーションセンターの展示品を中心に紹介する。そこには遺跡を中心に出土したクメール陶が展示してある。

 

 

キャップションによると、16-18世紀ロッブリー時代の褐釉象頭貼花文壺とある。出土地はブリラム県プラコンチャイ郡バンブア地区とあり、アンコールのクメール陶の窯が存在していた地区である。以下は、そのクメール陶の陶片展示である。

 

 

 

 

 

 

 

陶片の展示数は多くはないが、黒や褐釉の概要と無釉の焼締陶片を見ることができた。また特有の櫛歯文も見ることができる。次回からピマーイ遺跡について紹介する。

今朝はプミポン国王崩御のニュースである。ミーハーでもないが、国王グッズを数点保有している。タイ国民ほどの思い入れはないが、残念なことである。御冥福をお祈りしたい。合わせてタイの政局に揺らぎがおきないように望む。



                                <続く>


シリーズ②:ムアン・タム遺跡・その2

2016-10-11 07:26:07 | イサーン

<続き>

昨日のレイアウト上の6.ライブラリーの破風とリンテルに刻まれたカーラ。何と多くのカーラが刻まれていることか。

 

柱に刻まれた彫刻も見事なものである。最下段も想像上の聖獣であろう。頭がワニ体がライオンはセト神だが、はたしてこれも?

 

ムアン・タムで最も見たかったのが、次の聖牛ナンディンに乗るシバ神であったが、ピンボケで申し訳ない。

下は、カーラに乗る神。

 

 

 

数々のヒンズーの神々が彫刻されている。先のパノムルン遺跡もそうであったが、用いられている石には、必ず下写真のように穴が穿たれていた。想像するに石を運搬するためのものと思われる。

下の彫刻は、ムアンタム遺跡へアプローチする参道に置かれていた破風である。見るとインドラ神が3頭の象(アイラーバタ)に乗っている。ここムアンタムもヒンズーの神々のオンパレードであった。


                                                                          <続く>


シリーズ②:ムアン・タム遺跡・その1

2016-10-10 08:04:33 | イサーン

<続き>

パノムルンと異なり平地に存在する。すぐ横は貯水池(バライ)である。11世紀のバプーオン様式のヒンズー寺院と云われている。

左右対称の構成で、楼門を持つ外壁、砂岩の内回廊、煉瓦の祠堂群が建っている。パンフレットには主要なリンテル(まぐさ石)が紹介されている。先ず遺跡入り口の左にインフォメーションセンターがある。

そこにはレプリカであるが、シバ神とパールバティ(ウマ)の婚姻と名付けられたリンテルが展示されている。レプリカといえども直近で見れるのが嬉しい。

雨で参道は水浸し、アプローチに苦労したが、ムアン・タム遺跡にたどり着くことができた。

アプローチ中のムアン・タム遺跡、御覧のように一面水浸しである。

写真は楼門で、破風とリンテルに彫刻がある。下はリンテルで大蛇と戦うクリシュナが彫られている。

一歩進むと、楼門の中ほどに、下写真のカーラに乗る神を見ることができる。左右対称でよく彫り込まれている。

楼門を更に進むと、内回廊と祠堂群となる。その祠堂群を望んだ写真が、下の写真である。

内回廊の周辺4隅に、内回廊を囲むように鈎型の池が4カ所に配置されている。

以下、内回廊の建物を掲載する。全体的にはパノムルン遺跡を小型にしたようなイメージである。

以降については、次回紹介することとしたい。




                                  <続く>