世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

出張!なんでも鑑定団に応募した

2019-08-16 06:54:51 | 陶磁器

いきなりテーマからズレて恐縮である。台風10号が田舎を直撃した、曰く超大型台風とのこと。家屋の外回りで風雨に遭えば飛びそうなものなど始末したりしたが、予想は良い方向に大きく外れ、雨は降るものの梅雨のしとしと雨と変わらず、風も微風で拍子抜け甚だしい。被害を受けた地域の方々に申し訳ない気がする。

本題であるが、県西部で『中世の益田』日本遺産認定応援事業として、来たる11月10日(日)に開催されると知人から聞いた。真贋不明と出処不明の焼物を何点か所有しているが、其の中から中国陶磁の鑑定を3件応募することにした。いずれも1995年から4年半のチェンマイ出向中にターペー通りの骨董店で入手したものである。

1件目は、洪憲年製銘をもつ五彩龍鳳凰文盤である。袁世凱は初代中華民国大総統に就任。一時期中華帝国皇帝として即位し、その際に使用された元号より洪憲皇帝と呼ばれることもある。その洪憲年は、1916年1月1日から同年3月22日までの僅か83日である。この83日間に「洪憲年製」銘を冠した焼物が焼造できたのかどうか・・・との疑いがつきまとっている。

写真を見ても分かるように絵付けは精作そのものである。しかし盤外側面に絵付けはなく不思議である。個人的には民国初年の偽款と考えているが、それらは準官窯的扱いと聞いている。果たしてどうか?

2件目は、同じような堂斎銘「愼徳堂製」銘を持つ唐子遊戯文杯2対である。

ターペー通りの骨董店に通い始めると、中国古陶磁が並んでいる。中国古陶磁については全くの素人、訳が分からず随分ババ掴みをした。通い始めて10回目ほどであろうか、主人に偽物はいらないから本物が欲しいと云うと、今回鑑定依頼を申し込む3件の品を奥から持ち出してくれた。2件目の「愼徳堂製」銘を持つ唐子遊戯文杯もその一つである。清時代の堂斎銘を掲載する図版を中国出張時に購入したりして調べてが、下写真の朱と金彩の落款は見ることができなかった。従って倣作の可能性が高いが、薄胎で絵付けの巧みさより、本歌と信じて購入したが果たしてどうか?・・・鑑定を申し込んだ理由である。

3件目は赤絵人物楼閣文盤である。これもターペー通りの骨董店で主人が奥から持ち出して頂いた物である。南京赤絵と考えているが、高台裏の砂噛みがもっともらしく似せた感じがしないでもなく真贋が分からない。鑑定を申し込んだ理由である。

北タイ陶磁についての真贋判定はそれなりの自信があるが、中国古陶磁についてはさっぱりである。申し込みしても採用されるかどうかどうか分からないが、採用され長年の疑問が解消することを願っている。

 

<了>

 


二彩唐津か?

2019-05-15 07:43:35 | 陶磁器

少し古い噺の再掲で恐縮である。2016年5月17日の当該ブログに『現川焼ではなさそうだ』と題して一文を掲載していた。それは以下の双耳瓶である。

入手した骨董店主は現川焼だと説明してくれた。別に共箱などあるわけでもないし気になっていた。2016年4月の平戸紀行、2017年10月長崎紀行の都度、佐世保等の現川焼を展示している施設を見学したが、それらしき焼物は展示されておらず、謎は深まるばかり。

其の時入手した古武雄展のカタログというか出展目録をみると、それらしきものが掲載されていた。それが下の写真である。

成程、櫛目文は同じであるが、どことなく異なる。古武雄ではなさそうだ。

過日、写真の京都・古裂会オークションカタログを思い出したように眺めていると、二彩唐津なる花器(瓶)が掲載されているではないか。

う~ん。耳の形状を含めて似てはいるようだが、どことなく異なる気もする。当該ブログをご覧の方で詳しい方が居られるとすれば、アドバイス願いたいものである。

 

<了>

 


続々・これは何だ?

2018-04-23 09:37:20 | 陶磁器

スルタン・アラム・シャー博物館で見た陶磁器のことなので、スルタン・アラム・シャー博物館#2で紹介すればよいものだが、あまりにもビックリし、かつ十分なキャップションもなく、産地がはっきりしないことから、『続々・これは何だ?』として紹介する。

青磁貼花双魚文盤と云えば、龍泉のそれが余りにも著名である。この盤は、それに比較し似ているものの非なるものがある。キャップションはないが、らしきものはある。それによるとマレー語で青磁とあるが、簡略すぎて時代背景や焼成地は記載されていない。

ペルシャ方面のオリエント陶磁と思われなくもない。カベットの唐草文は中国のそれとは、やや異なりオリエントの文様にみえる。双魚の配置は腹と腹が向き合う陰陽位置である。このような青磁双魚文盤は龍泉から各地に波及し、同安窯では印花双魚として、更には北タイで釉薬の発色は褐色に変化するが、印花双魚として影響を及ぼした。またペルシャにも青磁貼花魚文盤が存在する。それにしても写真の盤は、カベットの文様や器形こそ異なるが、龍泉のそれに似ている。

博物館でこれを見たとき、学芸員かスタッフか知らないが、産地を尋ねると、一様にアンノウンとの回答。これは岡山市立オリエント美術館に尋ねる意外に方法はなさそうだ。

 

 


如何なものか

2016-05-28 08:54:28 | 陶磁器
最近インターネット・オークションに、サンカンペーン後絵盤と思われる陶磁が2点出品されていた。100%の確率で後絵であると断言はしないが、本歌である可能性は低いと思われる。
このような話はブログにしたくないが、入札者がそれなりの人数であり、悔しい想いをしてもらいたくないため、敢て記事にした。

器胎は本物である。写真だけでは詳細が分からないところがあるが、鉄絵の発色に濃淡がない。これは化学顔料の一つの特徴で、のっぺらぼうである。そしてその鉄絵の上には、ガラス質の光沢はない。何故このようになるのか、上絵だからである。
サンカンペーンの鉄絵魚文は下絵であり、その発色は鉄絵特有の濃淡があり、下絵ゆえ鉄絵の上にはガラス質の光沢をみる。当該盤にはそれらの特徴が見られないようである。
数日後、別の後絵盤らしきサンカンペーン陶磁が出品されていた。出品者は上の盤とは異なっている。
器胎はいわゆる”犬の餌鉢”のようである。それに灰釉(多分化学釉薬)をかけて焼成し、鉄絵顔料(化学顔料)を上絵で表現されたものと思われる。鉄絵があまりにも黒々とし、それに鉄絵特有の濃淡が見当たらない。残念乍ら後絵の盤ではないいかと思われる。
この手の盤の出品禁止との法律があるわけではないので、出品されるのはやむを得ないとして、その表現方法は改めてほしい。
上の盤は”タイ北部、14~15世紀 サンカンペン鉄絵双魚文鉢”、下は”サンカンペン鉄絵三魚文皿15~16世紀”との名称で出品されている。
被害を食い止めるには、入札者が賢くなることが必須である。本物の鉄絵は鉄銹色に発色し濃淡をもつ、更には下絵の特徴として描線の上にもガラス質の釉薬が掛かるため、光沢をもつのが一般的である。・・・ことはそう単純ではないが、左記のことは基本であり、これを外した本歌は存在しないと思われる。



ターペー通りの骨董店:青花蓮池魚文碗

2016-05-19 08:01:59 | 陶磁器
シーサッチャナーライを含め北タイ諸窯には、陶磁器の装飾文様に魚文が多い。シーサッチャナーライの魚文は魚幅が広いが、北タイではスリムな細身の魚文が多い。
陶工(絵付工)は現物の魚を目前にして絵付けをしたのかどうか?多分日ごろ見慣れた魚の姿形が頭に在り、それをもって運筆したのであろう。
下の魚は、パヤオ湖に生息する淡水魚で、鯉科の魚である。これらの姿形が脳裏にあったのであろう。
しかし、北タイで南に位置するシーサッチャナーライの魚文は、何故幅広で、他の北タイでは細身であろうか?・・・これは過去からの疑問で、今日においても当該ブロガーは解決できていない。
この話に牽強付会するつもりはないが、ターペー通りの骨董店で明(15-16世紀)と思われる、青花蓮池魚文碗を入手した。草魚であろうか?、鯉科の魚であろう。


明中期から末期頃の特徴をもつ、やや高めの高台と端反りの碗である。写りの関係で染付は、あまり鮮明にみえないが、現物は鮮明な藍色をしている。16世紀頃、イスラムからの輸入顔料か、この頃際立って技術が向上したコバルトの精錬・配合によるものかは定かでないが、鮮やかに発色する民窯青花が出現する。すると上の碗は、16世紀であろうか?
蓮池水禽や玉取獅子、蓮池魚は中国伝統の文様であるが、15世紀末から16世紀に多用されている。このことからも16世紀に入ってからの碗であろうか。
この碗のもう一つの特徴は薄胎で、光をかざすと反対側の文様が透けて見えるほど薄い。外側面の蓮、水草、魚が透けて見えている。下の碗は過去、ベトナム・ハノイの昇龍(タンロン)城遺跡博物館で見た、(景徳鎮)白磁双龍文碗である。この碗も上の青花蓮池魚文碗と同様薄胎である。キャップションには15世紀とある。
入手した青花蓮池魚文碗には民窯款が記されているが、達筆すぎるのか?稚筆なのか?、当該ブロガーには判読不能である。同様な民窯款の染付磁器は、日本にも輸入されていた。
平凡社・中国の陶磁・12「日本出土の中国陶磁」に掲載されている民窯款である。同じような民窯款を持ちながら、上の染付は粗く、蓮池魚文碗は精作である。このことも明末の特徴をそなえている。
これは三杉隆敏編著「陶磁器染付文様辞典」に掲載の明末魚文である。青花蓮池魚文碗の見込みの魚文に似ている。
このような中国・青花魚文が、北タイ諸窯の魚文に与えた影響は、如何程であろうか?時代がやや下る青花蓮池魚文碗とも思われる。