世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

ブン・ワット・パー古窯址(2)

2022-01-13 08:52:31 | 窯址・タイ

<続き>

前回の続きは、タイ芸術局第6支所が公開している下掲のSNS情報から始める。掲載順は、第6支所の掲載順で紹介する。

当該ブロガーの目から見ると掲載順が逆のような気がするが、第6支所の掲載順とした。いずれにしても焼成陶磁は褐釉と焼締め陶のようで、文様はバン バン プーに似ていると、K氏の情報である。

尚、御覧になってもタイ語ナレーションなので、お分かりづらいとは考えるが、百聞は一見に如かずとも云うのでYouTube(ココをクリック)を貼り付けておく。成程言葉は分からなくても、窯構造などは理解できると考える。

訪タイできるのは何時か? 年内に行けるようになれば、是非訪れてみたい。

<了>


ブン・ワット・パー古窯址(1)

2022-01-12 08:44:55 | 窯址・タイ

新春特集を中断して記事を掲載する。東南アジア古陶磁愛好家並びに、古窯址に興味をお持ちの方は必見である。今回と次回の2回にわたり紹介する。

昨年5月、『タイで最近窯址が発掘された』(ココ参照)と題して一文をUpdateした。それはバンコク大学付属東南アジア陶磁館のSNS情報であったが、最近になりタイ芸術局第6支所(在・スコータイ)が、2021年度の発掘報告をSNS情報として公開している。またBKK在住の知人K氏がシーサッチャナーライの帰途、そのノッパカオ窯とブン・ワット・パー窯を訪れられたとのこと。そこで得られた情報も併せて紹介する。

昨年5月には、ノッパカオ窯の発掘記事として、以下に掲げる写真を紹介した。見事に地層らしきものが写っていたので、地層かと考えていたが、それは発掘にあたり直射日光を避けるためのカンレイシャのような日よけの隙間で、太陽光のなせる業あった。

このノッパカオ窯の北側直近にブン・ワット・パー窯群(เตาบึงวัดป่า)が存在しており、その発掘調査報告が公開されている。ここでは、その発掘調査報告を中心に紹介する。

Tao Bueng Wat Pa (เตาบึงวัดป่า) この場所は、タイ芸術局第6支所(在・スコータイ)が2020年度から考古学研究を継続している一つの重要な遺跡と見なされている。ピチット県ポータレー郡ムー4地区のナン川から約600メートルの距離にある。それは2018年、スコータイ王朝時代に構築された陶器窯の痕跡が、ワット・パー湿地の浚渫中に新たに発見された窯群である。

(芸術局第6支所は、Google Earth上にピンを置いているのが発掘現場である。このうち昨年5月に紹介したのがノッパカオ窯址で、それ以外にブン・ワット・パー窯群として、1号窯から5号窯まで5基の窯址が存在しているという)

この窯群(ブン・ワット・パー)を発掘するにあたり、集落の人々によれば、古代に謎の都市が存在したとの伝承があり、それや土地霊いわゆるピーの祟りがあるのではないかと、お香やろうそくを持ってお参りしたと云い、その種の写真を第6支所は掲載している。

発掘調査の結果、窯壁にはシリカが溶けて染みとなっていた。無釉陶器と褐釉陶器の破片、瓶などが出土した。そして窯跡はスコータイ王朝時代の窯と結論付けられた。

ブン・ワット・パー古窯址の発掘のきっかけは、その古窯址の直近南側のノッパカオ窯(เตานพเก้าว์:タオノッパカオ)の窯址発見である。集落の人によると、ノッパカオ窯の北の隣接地にも窯址らしきものが認められるとのことで、2020年度―2021年度の発掘調査につながったものである。

(発掘されたノッパカオ窯址)

2020年度以降のフェーズ1・発掘調査では、古代の窯の証拠が見つかった。横型のクロスドラフトキルン(地下式横焔式単室窯)で、炉は粘土構築で窯壁は溶けたシリカで覆われている。窯の幅は2.90メートル、長さは9メートルで、南北軸に沿って整列していた。この窯は、タイ北部の重要な遺跡と見なされている。現在までピチット県では陶器の供給源が見当たらなかった。

(9m✖2.9mの地下タイプの横焔式単室窯)

考古学事業2021年度は、窯が発見された地域に在るスワン・ノッパカオ氏の土地で発掘調査を行っている。発掘ピットは4×7mで、窯内の土壌表面は雑草で覆われていた。この窯(ノッパカオ窯)は完璧な状態であった。

現場で窯址を現認したK氏によると、陶片は鉄分を含んだ陶土で成形し化粧土を塗りつけ、型押しや線刻を施したよく焼き締まった陶片とのことである。装飾の印花文はスパンブリーのバン バン プーン窯と酷似していると云う。

<次回に続く>


ナーン・サンティパップ古窯址

2021-12-28 09:21:07 | 窯址・タイ

タイ芸術局第7支所(在・チェンマイ)から年末最大のビッグニュースである。過去、ピチット県最南端のワット・パー沼地にノッパカオ古窯(ココ参照)が発見されたとの記事にも驚いたが、今回はそれ以上のニュースである。第7支所のSNS情報には、タイ陸軍・軍用地図を用いた、場所の緯度・経度が示されていたが、軍用地図など縁のない者にはサッパリかと思っていた。しかし、幸いにも添付写真から場所が特定できた。そのGOOGLE MAPも掲げておく。

-序章-

新興住宅地Santipap Housing2遺跡はナーン県ムアン郡に位置し、谷間の平坦な盆地にある。それはナーン川が運ぶ堆積物とナーン川の侵食によるものである。ナーンの旧市街の西側の低い傾斜の丘の海抜約200mのこの地域では、遺跡の東側にある旧ナーン川の河畔沿いに、段丘状のいくつかの丘が並んでいる。

(グーグルアースに示した右側ピンがサンティパップ、左下がボスアック各古窯址)

遺跡である区域の真ん中に小川が流れている。2014年、土地所有者のสันติภาพ อินทรพัฒน์ (Santihapp Inthapat)氏から、芸術局第7支所(2014年当時・在ナーン)に、レンガと陶片による考古学的証拠が見つかったと連絡があった。第7支所は調査を開始し、5つの塚を発見した。

(1号窯と2号窯)

(2号窯)

(3号窯)

(4号窯)

遺跡の最南端の丘には、直径約2mの円形のレンガが並ぶ。ナーン・ボスアック窯からの陶器、ウィアン・カロン窯の陶器及び明青花磁器が出土した。そして2016年度に予算を獲得し、2016年3月1日に本格的調査が開始され、南北軸に沿って遺跡全体を対象とした。そして、遺跡の南東マウンド、3エリア、北東マウンド1エリアの合計4つのエリアを発掘することにした。

ー考古学的堆積層ー

発掘調査から、発掘された4つのエリアすべてに考古学的遺物が見つかり、次の3つの遺物を含有した土壌層が出てきた。

1.表面層は、厚さ約0〜30cmで、中世の活動が認められる土壌層であった。

2.表面層の下には、厚さ約20〜60cmの粘土が、シルトと混ざっている。窯に関連する構造が出土した。窯番号1.2.3.4に区分される。

3.下部文化堆積層粘土に石灰岩の顆粒を混ぜたものが出てきた。それは埋葬に関連しているようだ。スケルトンNo.1と2に区分した。

(石器と土器の破片:先史時代の遺物と考えたいが、土器の時代観が分からない。第7支所は黙して語らず)

ー文化財に見られる考古学的証拠ー

1.上部の文化的堆積層で見つかった考古学的証拠

  窯業活動の品々が出土した。これは当該場所の窯業活動の証拠であり、歴史上2番目の人間活動の期間に相当する。

 ●発掘すると、粘土壁、レンガ、陶片、金属釘が出土した。

 ●4つの窯が見つかった。

<窯No.1(S5E6&S5E7)>南西側にあり高さ2m、燃料室サイズ50×80cmである。南西側にわずかな傾斜がある。窯内の発掘調査では、窯の床より約30cm高い粘土部分が、蜂の巣のように見える。この下には、おそらく窯構造を支えるための窯の土台として、レンガが一列に並んでいる。

<窯番号No.2(S4E7&S3E7&S3E8)>ほぼ長方形の形状、焼成室サイズ2.05×3m、高さ40〜50cm。北西側には、粘土で作られた2つの燃焼室があり、窯の上部が互いに支え合うように湾曲している。南西側のエリアで粘土タイルが見つかった。

<窯番号No.3(S3E10&S3E11&S2E10&S2E11)>長方形の4.3×3.0mで、窯の幅に沿って6つの焼成室が配置されている。各焼成室の幅は約20cmであった。

<窯番号No.4>フェイムン(ムン小川)近くの遺跡の北東の塚で発見された。No.2の窯に似ているが、はるかに小さい。

2.考古学的証拠は、下の文化的堆積層にも見られる。それは当該場所の歴史上初の使用である。埋葬活動に関連して発見された考古学的証拠は次のとおりである。

 ●土鍋、ブロンズの斧、シェルビーズなどの加工品

 ●貝などの古代の生態学的オブジェクト

 ●古代の人間活動の痕跡  人間の骨格No.1は、土壌表面から約10cmの深さで発見された。

(左:カロン、ボスアック窯陶片 右:明代景徳鎮青花磁器片)

以上である。第7支所のSNS情報で毎回抜けているのは、肝心な情報内容の欠如である。表層下の穴窯は、カロン窯との記述もあり14世紀頃と考えられるが、考古学的年代は不記載である。さらに出土物としてカロン、ナーン・ウィアンブア・ボスアック両窯の陶片は記載が在るが、肝心のサンティパップ窯の焼成陶磁の説明がない・・・との不満があるものの、今回のSNS情報で、その存在を初めてしった意義は大きい。尚、文中『焼成室』『燃焼室』のタイ語表記が曖昧で(英語を並び表記してもらうとよいのだが)誤訳していることも考えられる。現認するしかなさそうだ。

要はチェンマイの第7支所で概要を確認する必要がある。現場も現認したい。訪泰が待ち遠しい。

<了>

 


ランナータイの窯場を探索する

2021-10-12 08:15:42 | 窯址・タイ

最近やたらめったらタイ芸術局第7支所のSNS情報が眼に入ってくる。気まぐれか?それとも所長が交代しての新たな方針なのか。

いずれにしても、新たな情報を提供してくれることは、次回の訪タイ時の参考になる。先に『未見のタイ北部諸窯』とのテーマで、第7支所のSNS情報を紹介した。

過日、それの続編のような情報が掲載されていたので紹介する。北タイ陶磁愛好家には初めてであろう情報が含まれている。なお先に紹介した『未見のタイ北部諸窯』のシリーズのリンクを貼り付けておく。今回紹介する『ランナータイの窯場を探索する』を読まれる前に、ご覧いただければ幸いである。

未見のタイ北部諸窯 - 世界の街角 (goo.ne.jp)

続・未見の北タイ諸窯 - 世界の街角 (goo.ne.jp)

続続・未見の北タイ諸窯 - 世界の街角 (goo.ne.jp)

最終回・未見の北タイ諸窯 - 世界の街角 (goo.ne.jp)

前置きが長くなり恐縮である。『ランナータイの窯場を探索する』はYouTube動画の抜粋である。コンダクターはタラクサー女史である。

別にタラクサー女史だけではないが、タイ語の話にはついていけず、その内容は分からないことが大半である。よって画像のみ紹介する。

タイ文字の羅列でさっぱりである。以下の内容と思われる。

これは、上にリンクで貼り付けた諸窯に他ならない。下に再掲しておく。

サンカンペーン諸窯の正確な位置図は、上掲Google Earthが初めてである。従来はJCShaw氏のラフスケッチで、いざ探すにはサッパリであった。今回は確度が高そうだ。位置ピンのなかで、崩壊整地された窯址も多い。それらの紹介は省略して、ワット・チェンセーン窯では青磁鉄絵草花文盤と青磁鉄絵双魚文盤が焼成されていた。フェイラーン窯は褐釉印花双魚文盤が焼成されていた窯址である。

サンカンペーン陶磁のすべてではないが、多くの場合胎土は鉄分が多く、断面は灰黒色となる。従って器は白化粧されている。これはパヤオ・ウィアンブア窯も同様である。

カロンの胎土は、御覧のように鉄分は少なく、断面は白色を呈しており、従って白化粧もない。

北タイ陶磁で最も磁器質に近いのがパーン窯である。青磁の発色もよく、シーサッチャナーライの青磁に似ている。

左の印花双魚文盤にはパヤオの特徴は見いだせず、サンカンペーンのそれと思っている。背鰭1箇所、胸鰭2箇所はサンカンペーンの特徴で、パヤオはその逆である。いずれにしてもサンカンペーンとパヤオの印花双魚文盤は見分けがつけにくい。

パヤオの胎土も鉄分が多く、灰黒色に発色している。パヤオも白化粧掛けをしている。

従来ハリプンチャイの焼き物として、象嵌土器が知られていたが、画面には写真のように釉薬の掛かる、猫掻き手は初見である。先ず”嘘だろう”・・・との軽い衝撃を受けている。次回の訪チェンマイ時には要確認項目である。

我が国で云う『練込み手』である。これも初見である。メーヒヤはチェンマイ空港の南隣りである。果たしてこんなところで焼成されていたのか。これも詳報を得たい。

以上である。メーヒヤの練込み手とハリプンチャイの施釉陶器は、大いに興味がある。次回、訪チェンマイ時の課題である。

<了>


最終回・未見の北タイ諸窯

2021-08-22 07:24:08 | 窯址・タイ

<続き>

タイ芸術局第7支所が掲げていたランパーン県諸窯はトゥンタオハイ、スームガーム、ハンチャート、バーンメーターの4箇所である。このうちトゥンタオハイ古窯址については既に紹介した。今回は残り3箇所について記す。

【スームガーム】

1987年、ランパーン職業訓練大学のSunee Siripanich氏とTirasak Wongkamnan氏により報告された。スームガーム郡スームサイ地区のBan Mae Hadで一つの粘土構築の横焔式単室窯(クロスドラフトキルン)いわゆる穴窯が発見された。そこはWang川にそそぐMae Rimと呼ぶ小川のほとりである。

そこから黒褐釉の焼物が発見され、それらはトゥンタオハイ窯の焼物と似ているが、窯の形状はややことなっていた・・・と、報告されている。

このBan Mae Hadの位置が分からない。Google Earthはもとより、手元のタイ北部17県の詳細地図からも抽出できない。さいわいタンボン(地区)役所の所在は分かるので、場所を確かめることは可能であろう。

【ハンチャート ?】

ムアン(ランパーン)郡のBan San Klang Bo Heow、そこはランパーン市街中心部からハンチャートに向かい6kmの地点で、小川に近いい小さな貯水池の畔に在る。物原に釉薬つきの多くの破片や窯壁を見ることができる。但し正確な窯址の位置は分かっていない。

焼物は暗褐色や黒釉の陶磁で、ランパーンの他の2つの窯と似ており、甕、二重口縁壺、盤、鉢、動物肖形であった。そこには多くの青磁の破片が物原に捨てられていた。黒褐釉やパヤオの焼き物の如きオリーブグリーンの青磁片であった。盤はサンカンペーン同様、口縁と口縁、高台と高台を重ねる重ね焼きで、口縁と高台は無釉である。

高台は低い。特有の小さな耳付、耳なしの壺は重く、暗い器胎である。また大きな壺は様々な形がある。

得られている情報は以上である。ところで、このBan San Klang Bo Heowが、第7支局が云う【ハンチャート】に該当するかどうか不確かである。このハンチャート古窯の品物は見た経験がない。

【バンメーター】

場所が判然としない。Google Earthには、役場の位置を示しておいた。

これ以外に、未見の北タイ諸窯として、メーホンソン県クンユアム郡に【フェイナムユアク窯】が存在し、ビルマ・シャン州の焼物と同類とのことだが詳細不明である。

以上、未見の北タイ諸窯として4回にわたり記事にしてきた。ランパーン県の窯については、訪問の可能性はありそうだ。

<了>