世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

Sai Khao古窯址訪問記・#2

2015-11-30 08:55:16 | 窯址・タイ
<続き>




陶片の表裏を写したものである。何れも青磁釉が掛り、無数の貫入が走っている。胎土は灰白色できめ細かく、磁器質と呼んでも良さそうである。直上の陶片の底を見ると中心部は胎土の色を見せるが、周囲はほんのりと赤みを帯びる。火焔が通過した証で、焼き台の跡である。そして畳付まで青磁釉が掛っており、焼き台の効果を如何なく発揮している。 
途中で折れた焼成支柱も採取した。このような焼き台に載せて焼成したのである。

サンカンペーン陶磁に比較し、高台はしっかり削り込まれている。この碗片の畳付は無釉である。

見込みには釉溜りができ、外側面の釉薬が平底まで流れている。写真のように高台はなく、平底で糸切り後鉋削りしている。他のタイ北部諸窯では見られない平底がパーンの一つの特徴かと思われる。
 残りは、次回紹介したい。

                                  <続く>




Sai Khao古窯址訪問記・#1

2015-11-29 09:04:27 | 窯址・タイ
Ban Champoo古窯址より国道1号に戻り、再び北上すること約5kmで家並が見えてきた。徐行してバン・ノーンパックジックの道路標識のところを左折し、パーン・ポンデーン古窯址に向かう。1kmも進んだであろうか?住居前に人をみたので、場所を尋ねると要領を得ない。更に近くにいた人にも尋ねるが、知らないようである。行ってみたいが、2人以外に尋ねる人もいない、チェンマイ国博の前庭に移築復元されていることもあり、残念だがあきらめることにした。
いよいよ最後はバン・ノンパックジックの家並の手前にある、窯址群の探索である。国道1号左折地点より3kmも走ったであろうか、丘を下って平地に出た地点に小川が流れており、そこを右折したまではよかったが、そのどこに窯址があるというのだ?
運が良いのは重なるのか?たまたまバイクで通りかかった農夫に尋ねると、自分の所有地に在るので、ついて来いとのこと。追走すること1.5-2kmで小川が左へターンするところが目的地であった。何とラッキーなことであろう。

そこは、周囲が田んぼで、半径150m程のこんもりと木々が茂る林の中で、半分はラムヤイ(竜眼)の果樹が植わっている。

<窯址位置>

   北緯19°39′40,05″ 東経99°43′17,00″ 付近

そこを入るといきなり左手に高さが1.5m、長さが5-6mのこんもりした封土がある。そこが窯址のようで、陶片が散乱していたが、窯の概要は分からない。


そこから、150-200m進んで林の南端で田んぼとの境界付近に、比較的窯体が残る場所に案内された。そこはタイ芸術局が過去に発掘調査したようで、立て看板が残っていた。しかし、そこには窯名称の記載があるのかどーか、案内して頂いた地主にたずねるが、窯の名前は無いという。そこはサイカーオ地区なので、勝手にバーン・サイカーオ古窯址と命名した。残念ながらそこの窯址は、タイ芸術局の調査とともに陶片も全て回収されていた。
上の写真の木々の繁み一帯が窯址群であるが、下の写真以外は破壊されており、窯址と認識はできない。




煙突部らしき構築物と焼成室の基盤部分の煉瓦が残るが、焼成室幅が2mほどであったので、全長は5-6mと推測された。
残念ながら、ここも地元の案内人がいないかぎり、近くまでアプローチできても、古窯にたどり着くのは困難と思われる。
帰途、ラムヤイ畑のなかは陶片の散乱物が無数に在る。当該ブロガーが物色をはじめると、地主も一緒に探してくれる。陶片6枚、焼成支柱1個を頂戴して帰路についた。次回はその採集陶片を紹介したい。




                                <続く>



Ban Champoo古窯址訪問記・#2

2015-11-28 09:41:08 | 窯址・タイ
<続き>

  <窯址位置> 北緯19°37′49,95″ 東経99°45′21,20″

窯址の陶片は、所々に露出している程度で、 多くはなかったことから訪問者により、採集がすすんでいるであろうと思われた。

写真のように貫入が無数に走る青磁陶片である。高台はしっかりしており、胎土は精選され磁器質といっても過言ではない。

見込み中央には轆轤目が残り、無数の貫入が走る。畳付は糸ひき後、かるく鉋削りをしたのであろうか?平底である。
所謂「パーン窯」については、当該ブロガーは素人なので、パーンに平底があるのを今回初めて知った。う~ん パーンも奥行きが深そうだ。
地主の手前もあり、ここでは上記の2点の陶片を採取し、窯址を後にしてポンデーン古窯址に向かうことにした。




                                  <続く>


2015 ローイクラトンINチェンマイ・#2

2015-11-27 08:52:05 | チェンマイ
ローイクラトンとは、陰暦12月の満月の日を中心に開催され、稲作に感謝し、水の女神コンカー(ヒンズー教のガンジス川を神格化した女神・ガンガーのこと)に祈りを捧げ、罪を謝り自らを清める祀りで、バナナの茎と葉で作った灯篭をピン川に流す。
25日は珍しく雲が出ており、その雲間の月を写した。いよいよコムローイが揚がる時間帯となってきた。
望遠の効かないカメラで申し訳ないが、数えきれない数のコムローイが夜空を覆っている。毎年これが落下して火事が起こるが、今年はどうであったろうか?
ピン川には写真のようなフロートを流す。これも数が多すぎて、河川汚染の一因となる。下の写真2葉は、タイ政府観光局のHPから借用した。

このフロートに日本人感覚で云えば賽銭を入れて流すのだが、20年前は子供がピン川に入り、その賽銭をしっかり懐に入れていたが、最近はどうであろうか?






2015 ローイクラトンINチェンマイ

2015-11-26 10:29:46 | チェンマイ
今年もローイクラトンが遣って来た。滞在先であるイースティン・タンにも、日本人客が増えた。レストランに下りると、”ツーリストクラブ”なる団体さんで、聞くとローイクラトンが目的で来たとのこと。
ローイクラトンの聖地でもないが、それはターペー門からナワラット橋までのターペー通りと、市役所までのピン川沿いの通りである。夜ともなると雑踏と化し、スリの暗躍の場となる。
昨日、在チェンマイ日本領事館から注意を促すメールが届いた。日本人旅行者も被害にあったようだ。

       タイ北部治安情勢(ロイクラトーン祭における注意喚起)
 
                          2015年11月25日現在

1.例年,ロイクラトーン祭の期間中には,スリ等の犯罪が発生しており,昨夜(24日)も,多数の観光客等がターペー門付近にて,ロイクラトーン祭りのパレードを見学している際,後ろに背負ったバッグ等から,現金,クレジットカード,携帯電話,パスポート等を盗難される被害が多発しております。

2.在留邦人の皆様及びこの時期にタイに渡航される方々は,外出される際には,スリ被害の防止のため,リュックサック等は体の前で所持する。また,バッグ等には,貴重品を入れない等,安全対策上の措置を取るよう願います。

(問い合わせ先)

○在チェンマイ日本国総領事館

 電話: (66-53) 203367

 FAX: (66-53) 203373


過去、仕事の関係で4年半当地に滞在し、2010年10月ー11月にかけ1カ月滞在しており、今度のローイクラトンは6度目となるので、夜の徘徊は取りやめにすることにし、郵便局に用事があるので、昼に出かけてみることにした。
掘割には写真のようなフロートが浮かんでいる。夜は当然点灯され、それなりの景観となる。


下の写真はターペー通りに面したワット・ブッパラームの門前で、僧侶も祭りとなると俄然遣り気をだす。
ピン川沿いをナコンピン橋まで歩いてみた。1995年当時は夜コムローイ(コムファイ)しか揚がっていなかったが、2010年のローイクラトンで初めて昼のバルーンを見た。そのバルーンは単にバルーンだけであったが、昨日(11月25日)見たバルーンは化けに化けていた。
爆音とともに写真のようなバルーンが沢山揚がる。上の写真の矢印のようにたくさんの紙飛行機ならぬ発砲スチロール飛行機がつながれている。上昇と共に(時間の経過とともに)それが切り離され(下の白矢印)滑空が始まる。

バルーンから切り離されると、上の写真のように五色の煙を吐きながら滑空する。これが次々と上空に揚がるものだから、航空機は大変だ。
エンジンに吸い込めば大惨事となる。タイ航空の旅客機がいつにもまして急上昇で、それを避けようとしている。民間機でこの急上昇振りである。
 次回、夜の様子を2010年の蔵出し画像で紹介するとともに、昨夜のコムローイの遠景を紹介したい。