世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

出雲・都我利神社の荒神さん(その1)

2020-12-31 07:41:33 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

過日、出雲市東林木町の都我利(つがり)神社の荒神さんを訪ねて参拝した。出雲で才ノ神(塞ノ神)は、あまり見かけないが、荒神と社日は多々見かける。その荒神の一つである。

社殿の前は崖で急勾配である。石段を数えると150段以上あった。その石段を4分の3程上がったところに随神門がある。下写真は左右の随神である。

その随神門の前は奈落の底のような崖である。どうもこの随神門の旧地は別の場所にあったようだ。その手前には伊勢神宮遥拝所の石碑がたつ。

石段を登り切った境内から随神門を下に見たのが、下の写真で斐川平野が遠望できる。

拝殿には向かって左より『稲荷神社』『熊野神社』『式内都我利神社』『伊佐波神社』『天満宮』の御神額がかかる。なんとも賑やかなことである。それもあってか主祭祀神・味耜高彦根命と共に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ほか六柱の神々を祀っている。倉稲魂命は農耕神である。出雲(斐川)平野を望む当地に祀られるのも当然か。

(本殿)

拝殿に向かって右に武頭天神社が鎮座し、左には稲荷神社が鎮座している(下写真)。

今回はここまで。荒神さんについては次回紹介する。

<続く>

 


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#26

2020-12-29 08:05:54 | 東南アジア陶磁

昨日に続き記す。近年、ミャンマーはマルタバン近郊のカウドン村で、錫鉛釉緑彩陶の窯跡が発見されるまでは、謎の緑彩陶であった。タノン・トンチャイ山脈の墓地跡からミャオ(苗)族が掘り出し、チェンマイの骨董品市場に登場したのが、ことの始めであった。

高額で取引されたことから、1995年ころのチェンマイでは、コピーが店頭に並び、ミャンマー・錫鉛釉緑彩陶と云えばコピーの代名詞の感があった。

今回見たのもその類で話にならない。あいも変わらず入札者がいらっしゃる。少しは勉強したらどうだろうか。

わざとらしく着色した高台裏。写真の底は鉋目をみる。本歌は静止紐切痕をみる。もっともらしい棒状の窯印。一見してダメと分かる代物である。

御覧の各位は、真贋についてココをご覧願いたい。

<了>

 


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#25

2020-12-28 09:10:38 | 東南アジア陶磁

今回紹介するのは、最近見たサンカンペーンの壺を2点紹介する。今回の壺は、いわゆる宋胡録(スンコロク)として出品されていたが、いずれもサンカンペーン窯の焼き物で、2点ともに本歌(本物)である。最終的な落札額まで確認していないが、いずれも3万円未満で超お買い得である。チェンマイの骨董店では10万円はくだらない品々である。

先ず1点目

2点目

1点目は双耳壺、2点目は耳なしであるが、釉調・胎土の状態は同じで同一窯で焼成されたものであろう。

<了>


島根の東は荒神、西は大元神(5・最終回)

2020-12-27 08:22:25 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

ここでGoogle Earthにプロットした大元神社の配置を御覧いただきたい。見事に旧石見国に集中し、旧出雲国には見当たらない。神格がやや曖昧ながらも、どちらも藁蛇が登場し、神木や石塔に捲かれる姿は同じである。出雲は荒神、石見は大元神と明確に区別できる。このコントラストは何なのか。出雲の人間は石見人を、石見の人間は出雲人に対し、それぞれ対抗心をもってきた。名称ひとつでも対抗して、同じものにしなかったのであろうか。このようにみるのは邪推であろうが、それにしてもこのコントラストは何なのか。

しようもない噺はおわりにして、出雲の荒神も石見の大元神も平野部に集中しているようにみえる。あわせて盆地状の地形や谷間にみえる。やはり山ノ神=田ノ神的性格が強いようである。

以下、余談である。九州南部の天草から甑島にかけての山ノ神祭祀である。旧暦十一月に行われる農耕伸としての山ノ神祭祀では、天草・長島・甑島が一つの分布領域と云う。それらの地域では田ノ神は存在せず、山上の山ノ神が山裾の水田のほとりまで下ってきて、山の神のままで作物の神、水田の神になっているとのことである。

鹿児島県のこれらの地域では、旧暦八月十五日に十五夜綱引きなる伝統行事が存在する。その十五夜の綱は、龍や蛇を表現しているであろう。龍や蛇は水神としての性格を持つ。水は稲作に不可欠であり、結局この十五夜綱引きは、豊作祈願の祭事にほかならない。形はやや異なるが、山ノ神は春になると麓に降りて田ノ神となり、秋の収穫を終えると山に戻って山ノ神になるという民間信仰にほかならない。

このような山ノ神信仰というか龍蛇信仰は、日本全国各地に原形として存在していたかに思われる。それが後世、地域により荒神や大元神、あるいは十五夜綱引きに変形進化したものと思われる。

<了>

 

 


島根の東は荒神、西は大元神(4)

2020-12-25 08:06:25 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

いよいよ島根県西部の大元神信仰である。白石昭臣氏①は、大元神は荒神と同じように祖霊的性格をもつと記されている。荒神と同じように祖霊とともに農耕にまつわる土着の豊穣神で、龍信仰の性格も合わせもつ。石見神楽は大元神楽と云っても過言ではない。大元神社に大元神楽を奉納する前の神事で荒神を祀り、いよいよ神楽奉納となる。朝方、全ての奉納演目が終了したあと、神職により大元神(藁蛇)に祈りが捧げられ、藁蛇を用いて「綱貫」と呼ぶ奉納舞が舞われ、その後藁蛇は神送りと称して、社殿後方の神木に捲きつけられる。

(日貫 大原八幡宮 島根県hp)

(日貫 大原八幡宮 島根県hp

(この藁蛇が祭祀後、社殿奥の神木に捲きつけられる。)

これは豊作を願う神事と大元神への奉納舞以外の何物でもないと考える。つまり旧出雲国の荒神祭りと同一のものである。

<続く>