世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

イーペン・チェンマイ2022

2022-10-31 08:16:55 | チェンマイ

この時期のチェンマイは、シーロに拡声器を載せ、♪ローイカトーン~ローイカトンとの歌声を流し市中を巡回する。涼しい朝晩で、日中も比較的過ごしやすい季節で、本格的な観光シーズン入りとなる。2022年のイーペンは、11月8日~9日とのこと。

ローイカトンとはバナナの幹を芯に季節の花で飾り付け、ロウソクに火を灯すフロートである。それを日暮れと共にピン川に流す、精霊送りである。ピン川に多くのフロートが浮かぶさまは幻想的でさえある。空を見上げればコムローイ(熱気球)が次々と舞い上がった姿が見られる。壮観そのものだが、民家の屋根に落下し毎年火災が発生するものの、舞上げ禁止の沙汰はでない。今年は何軒犠牲になるのか?日暮れと共に飛行機は、運航を停止する。多くの舞い上がったコムローイで航空機事故など、シャレにもならないからだ。

ところで今年のイーペンは、ドブ川であったメーカー運河が浄化(ココ参照)され、フロートも浮かび祭りに参加するとの、過日のChiangmaiNewsである。

多くのランタンが吊り下がる木橋は新設したようだ。11月8日ー9日の前から、写真の人出である。町興し・地興しのノウハウをコン・ムアン(チェンマイ人)から習ったらどうであろうか。

<了>


山肌を黄金色に染めるดอกบัวตอง

2022-10-30 10:15:08 | チェンマイ

過日ChiangmaiNewsを見ていると、メキシカンサンフラワーが11月に入ると咲きだすとのニュースである。当地ではメキシカンサンフラワーをดอกบัวตอง(ドークブアトーン)と呼ぶ。特にメーホンソン県クンユアム郡のそれは、一山一面に黄金色に染まる。ニュースでは咲き始めの写真が掲載されていた。

満開になれば、以下の写真のようになる。

ブアトーンの花は、クンユアムに限らず、北タイでは少し標高が高ければ、どこでも見ることができる。ただし写真ほどではないのだが・・・。

4年半の出向期間中や退職後の延べ1年半のロングステーを通して、クンユアムへは行ったことがない。なんせチェンマイからは遠すぎる。クンユアムで思い出すのは、白骨街道である。牟田口廉也指揮のインパール作戦。その敗戦からの敗残兵撤退路にあたる、多くの将兵が戦傷や熱帯病で命を落とした・・・との印象しか残っていない。

<了>


北・中部九州の上古・古代関連施設を巡る

2022-10-28 07:37:06 | 日記

今回の北・中部九州の上古・古代関連施設を巡る旅は、結局7泊8日の旅となった。全国旅行支援の御陰で、宿泊費が40%割引にクーポンの支給がありがたかった。

<初日>

初日は宇美八幡宮に隣接する宇美町立歴史民俗博物館等4箇所巡り。

(宇美八幡宮)

<2日目>

2日目は給油が必要だ。ヤリスの燃費は、リッターあたり約33kmで、支出にさしたる支障はないものの、ガソリン単価は安い方がよい。唐津・呼子の名護屋城博物館へ行く途中、糸島市内を通過していると、どうもガソリン価格が安いようだ。写真のレシートをご覧願いたい。リッターあたり143円となっているが消費税をプラスすると157円となる。我が田舎は最安165円なので、ずいぶん安い。・・・ということで、かなりお得な給油ができた。

目指す名護屋城博物館は、博物館自体が高い石垣の上で、それ自体が名護屋城ならぬ、現代の城塞のように見えた。

(佐賀県立名護屋城博物館)

(名護屋城址)

<3日目>

九州国立博物館を含めて5施設を巡る。九州国立博物館は国立だけあって見ごたえ十分。従前は写真撮影禁止であったが、今日では許可されている。後日、展示品を紹介したい。太宰府八幡宮は、何度も参拝しているので今回はパス。

(九博ロビーにて)

<4日目>

余裕のある1日であった。大分県日田市まで足を伸ばし、久留米に戻って高良大社を参拝して終了。

(高良大社にて)

眼下の景色は最高であった。

<5日目>

今回の旅のハイライトで見どころ満載であった。広川町古墳公園資料館・弘化谷古墳、八女市岩戸山歴史文化交流館・岩戸山古墳、熊本県立装飾古墳館、江田船山古墳をめぐり熊本城へ。

<6日目>

6日目は、長距離移動。佐賀県立博物館から山口へ。目指すは佐賀城の内堀内の博物館へ。ところが通行止め、何やらフェスのようで多くの人出である。見るとタイ・フェスのようである。

タイ飯の屋台が並んでいる。久しぶりにトム・ヤンクンを食す、それなりの味であった。

(関門・門司港)

関門海峡を通過して山口へ。

<7日目>

(山口県埋蔵文化財センター)

山口県埋蔵文化財センターへ行ったあとは、これといった予定なし、次の宿泊地である島根県西部へは1時間半。もてあますほど時間がある。クーポンが2人で6000円分でた。したがって”ゆめタウン山口”で買い物。ぶらぶらして島根県西部の宿泊先に到着したのは、午後4時前であった。

<8日目>

帰宅。各宿泊先でクーポンの配布を受けた。福岡では梅が枝餅と辛子明太子に化け、久留米では小城羊羹、熊本では辛子蓮根をしこたま仕入れ、山口では豆子郎(外郎)に化けた。爆買いとは云えないもののそれなりの旅であった。

<了>


宇美八幡宮

2022-10-27 08:42:09 | 旅行

宇美八幡宮(うみはちまんぐう)は、神功皇后が応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたと云われている。

宇美八幡宮について、Wikipediaは以下の如く記している。福岡県宇美町にある。安産の神として信仰される。祭神は、応神天皇・神功皇后・玉依姫命・住吉大神・伊弉諾尊を祀る。社伝「伝子孫書」によれば、神功皇后が三冠征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、敏達天皇3年に応神天皇を祀ったのに始まる。「宇美」の地名も「産み」に由来するものである。平安時代ごろから石清水八幡宮と本末関係(なぜ宇佐八幡ではなく、京都の石清水なのか?)となった。鎌倉時代初期から安産の神として信仰されるようになった。

境内には、神功皇后が出産のときにすがりついたという「子安の木」、応神天皇の産湯に使ったと伝えられる「産湯の水」などがある。境内末社・湯方殿の前には「子安の石」と呼ばれる拳大の石が納められており、妊婦は安産を祈願してこの石を持ち帰り、出産後は別の新しい石を添えて返すという風習がある・・・以上、Wikipediaを参考に記載した。

衣掛の森

湯蓋の森

地元の出雲大社を見慣れているせいか、社殿を見ても何の感情も湧かないが、クスノ木の大木を見ると圧倒される。案内石碑に刻まれているように何々の木と命名されているようである。命名されていない大木もあるようで壮観である。

江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説によれば、騎馬民族である扶余族が4世紀初めに対馬・壱岐を経由して九州北部を征服した。その扶余族の首長を崇神天皇に比定しておられる。その北部九州征服王朝が応神天皇の時代に畿内へ進出したとする学説である。今日、当該学説は否定されているが、当該ブロガーは限りなく愛着を持つものである。その応神天皇生誕の地である。仲哀天皇・神功皇后・二百数十年を生きたと云う武内宿祢の三角関係、限りなく疑問であり、作り話であろうが大きな謎を秘めている。

同じ九州・豊前の宇佐八幡宮。祭神は応神天皇・宗像三女神・神功皇后である。この宇美八幡宮と宇佐八幡宮は、どのような関係にあるのだろうか。

浅学菲才の当該ブロガーに三角関係も含め、その謎解きはできそうにないが、一度は挑戦してみたいものである。

<了>


高良大社

2022-10-26 09:50:51 | 旅行

高良大社(こうらたいしゃ)は、福岡県久留米市の高良山にある。筑後国一宮で式内社。古くは高良玉垂命神社(こうらたまたれのみことじんじゃ)、高良玉垂宮(こうらたまたれのみや)などとも呼ばれた。

境内からの眺めが素晴らしい。当地の地理に疎いので眼下の平野を筑後平野とも呼ぶのであろうか。遠くは筑紫野・鳥栖方面まで見渡せる。古代に筑紫君磐井が、この眺望を利用しなかった筈はない。唐・新羅連合軍に敗れた日本は、山城を当地に築いた。納得である。

正殿には高良玉垂命を祀り、御客座には豊比咩大神(とよひめおおかみ)が合祀されている。高良玉垂命とは夫婦との説もある。仁徳天皇55年または78年鎮座、履中天皇元年創建と伝えられる。

『延喜式神名帳』には「筑後国三井郡 高良玉垂命神社」と記載されて名神大社に列しているほか、筑後国一宮とされた。また、祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。

高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。

それにしても高良玉垂命の正体が不明である。この謎は、現時点でも解明されていないようだが、後日ド素人の見解を掲載する予定である。

<了>