世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

和歌山県立風土記の丘資料館(2)

2022-06-30 09:03:17 | 博物館・和歌山県

<続き>

前回紹介を忘れた埴輪がある。過去にも紹介したことがある両面人物埴輪で、全国初の出土だという。以下、いずれも岩橋千塚古墳群の大日山35号墳から出土した埴輪である。

牛形埴輪

猪形埴輪

犬形埴輪

水鳥形埴輪

馬形埴輪

馬形埴輪

大日山35号墳は、埴輪の宝庫のようである。

<続く>

 


和歌山県立風土記の丘資料館(1)

2022-06-29 07:44:59 | 博物館・和歌山県

今回より和歌山県立風土記の丘資料館の展示品を紹介する。所在地は古墳が集まる低い丘陵地帯である。

先ずは埴輪から紹介するが、注目すべき埴輪が多々出土している。先ずは過去に紹介した双脚輪状文埴輪から。この双脚輪状文は九州北部の装飾古墳の絵画文様に登場するが、従来訳の分からない呪い文様かと思われていた。しかし、出土した埴輪から人物の冠帽であったことが判明したものの、意味するところは魔除け・辟邪文であろうと考えられる。

円筒埴輪 大日山35号墳 6世紀

左・蓋(きぬがさ)形埴輪 右・靫(ゆぎ)形埴輪 いずれも大日山35号墳 6世紀

<続く>

 


和歌山市立博物館(5)

2022-06-26 07:50:49 | 博物館・和歌山県

<続き>

今回は時代を逆戻りして旧石器時代・縄文時代の出土品を紹介する。

以下、縄文時代の出土品である。

紀の川流域は、旧石器時代からの遺物が出土する。海・川・山の幸が豊富であったことが、その理由の第一かと思われる。日本列島のなかでも先進地であったかと思われる。今回はここまでとし、次回は弥生時代出土遺物を紹介する。

<続く>


和歌山市立博物館(4)

2022-06-24 08:28:52 | 博物館・和歌山県

<続き>

大谷古墳出土の馬の甲冑(かっちゅう)、つまり馬の鎧兜(よろいかぶと)が著名である。和歌山市立博物館の来訪目的は、この甲冑を見たいがためであった。まずそれから紹介する。

赤色の四角枠内に白丸で示した、茶色の長方形状のモノが鎧の小札で、これをつなぎ合わせると馬甲になる。馬の兜(馬冑)があまりに著名で、馬甲について触れられる機会が少ないが、この2セットが重要で、日本国内では大谷古墳以外から出土していない代物である。

・・・と云うことで、下手な講釈は省略する。この馬の甲冑出土がおおいなる発見であったが、注目すべきは立派な馬具が副葬されていたことである。

上左端は鈴杏葉(すずぎょうよう)とよぶ馬具の一つ、上中央も龍文透彫雲珠(りゅうもんすかしぼりうず)と呼ぶ馬具である。写真が小さく分かり辛いが、なんとも精巧に作られている。その他に武人が馬に乗った際の鐙(あぶみ)も出土している。

これらの副葬品をみていると、騎馬民族ないしはその末裔が被葬者であったと思わざるを得ない。その他の出土品を下に掲載しておく。

半島渡来の騎馬民族は、古墳時代の人々に比較し身長が高いとも云われており、被葬者は半島からの渡来人であろう。

今回の市立博物館で目にすることができなかったものに、青銅鏡の機能を喪失した寸鏡(すんきょう)群が出土している。

一方で前段で説明した精巧な馬具類が、石棺に副葬されていた。この精巧さと寸鏡の粗放さと好対照である。馬具類は半島からの舶載と考えた方が説明しやすい。

大谷古墳の時期から日本では、馬具の国産が活発化する。そして青銅鏡はより簡素化し、生産も衰退する。もはや古墳時代前期に流行した青銅鏡は影も形もない。鏡の鋳造工人は再編され、馬具を製造する金工集団に組み込まれたものと考えらる。

このように大谷古墳出土遺物は、多くのことを物語っており、山陰の片田舎から出向いたかいがあった。

<続く>