世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

菜畑遺跡・末盧館(6)

2023-02-16 08:41:37 | 博物館・佐賀県

<続き>

弥生時代の生活内容を表す出土品の続編である。

左は男根状石製遺品で何らかの祭祀か呪術に用いられたであろう。右はブタの下顎で占術に用いられた。

彩文土器

儀式や占いの場で用いられた。

ほぞ穴がある柱材で、高度と云うかそれなりの建築技術が存在していた証である。

左から3番目がノミである。これを用いて建物のほぞ穴を加工したのである。

装飾品類

石包丁は中国の呉越から直接伝播したのか? それとも石剣と同じように半島南部から伝播したのか、それらの高度の品々が、いち早く菜畑に渡来したことになる。今回で当該シリーズを終了する。

<了>


菜畑遺跡・末盧館(5)

2023-02-15 08:03:48 | 博物館・佐賀県

<続き>

縄文晩期から弥生時代前期にかけての菜畑遺跡の生活の様子を2回に分けて紹介する。

既にブタが飼育されていたようだ。

スクレイパーは、狩猟で捕獲した動物をさばくのに用いられた。

左は組合せ式釣り針で、鹿の角とか骨で作られた。残りの生活関連出土品は次回紹介する。

<続く>

 


菜畑遺跡・末盧館(2)

2023-02-10 07:58:42 | 博物館・佐賀県

<続き>

昨日の続編として、復元ジオラマの男性は右手に漆塗りの碗をもっている。中味は強飯(こわいい)か姫飯(ひめいい)であろうか。強飯なら手食であろう。姫飯なら匙(さじ)と思われるが、どうであろうか。

無知と云おうか知らなかったが、菜畑遺跡の始まりは縄文前期のようである。相当古い遺跡ということになる。その証拠が出土する轟式土器の出土である。轟式土器から西唐津式土器に変遷するようだ。西唐津式土器の模様が朝鮮半島起源であろうとのパネル説明である。

縄文時代前期後葉には曽畑式土器が出土しているとのこと。曽畑式土器の特徴は櫛目文土器である。

下段左・中央・右の土器片を御覧願いたい。櫛目文が装飾されている。これは、ほぼ間違いなく同時代の朝鮮半島から出土する櫛目文土器の影響を受けている(下掲写真)。倭と呼ばない上古日本と朝鮮半島の交流は、弥生時代などではなく、縄文前期から始まっていたのである。丸木舟であろう。フロンティアそのものだ。

半島出土の櫛目文土器 韓国中央博物館HPより

<続く>