世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

ランパーン古陶磁

2015-08-31 10:46:04 | 北タイ陶磁
 ワット・チェディーサオラーン付属博物館は、2-3のブログで紹介されているので、ランパーン古陶磁に絞って紹介する。ランパーン窯の陶磁として展示されているのは数点で、多少物足りなさを感じたが、その一端について確認することができた。それらは以下の小壺と動物肖形物である。




 何れも黒褐釉が掛っている。個人的感覚では、サンカンペーン窯との類似性は認められるが、それよりクメールやモン(MON)陶にも似ているように思われる。Shaw氏も種々考察されているが、若い研究者により更に追及して欲しいと考えている。

 それにしても、上の瘤牛の肖形物は、下の写真の馬の肖形物に似ている。それは、島根県立古代歴史博物館で見た土偶である。
 キャップションによると馬の土偶で、時代は7-8世紀で雨乞い、祓いのための呪具とある。7-8世紀とは古墳から奈良時代にかけてのことであり、ア二ミズムにつながる土偶であろう。
 古代の風俗は、長江流域から東南アジアにかけてのそれと、どこかで繋がっているのであろうか?




バンコク爆発犯の一人を逮捕

2015-08-30 15:56:31 | タイ王国
 今朝のバンコクポストとタイ字紙大手デーリーニュースの記事である。バンコクポストは逮捕された犯人の偽造パスポートと、爆発現場の残された鉄球と同じものが部屋から発見されたとしている。そして通信データが爆発犯の逮捕に繋がるとある。

 デーリーニュースは、防犯カメラの映像から作成した手配写真と、逮捕した犯人の写真を並べて掲載しているが、何か別人のように思える。
 偽造パスポートの国籍はトルコとのことだが、首都警察は正式な見解はもとより、事件の背景についても、見解は述べていない。犯人は10名以上の集団との見方をしているが、まだそれらは逮捕されていない。しばらくはそれに注力するものと思われる。
 ド素人の見方であるが、背後に宗教が絡んでいると思われる。タイ深南部のイスラム教徒と考えていたが、中国新疆のイスラム教徒に繋がる人物との見方も浮上している。いずれにしても、タイ、マレーシアは危険水域に入ろうとしている。

ワット・プラケーオドーンタオで考えたこと・2

2015-08-30 09:33:22 | タイ王国
 エメラルド仏についてである。1434年、チェンラーイの仏塔が落雷で破壊、その内部から漆喰で覆われた仏像が発見され、漆喰が剥がれたところからエメラルド仏が覗いていた。1436年サームファンケーン王は、これを3度チェンマイに運ぼうとしたが、仏像を載せた象が3度ともランパーンに引返した。そのため王は仏像をランパーンに安置した。32年後の1468年にチェンマイに運び込まれたことは、前回紹介した。
 その後、ランナーのセーターティラート王はラーンサーン国王を兼ねたが、王は1551年エメラルド仏をラーンサーン王国のルアンプラバーンへ運んだ。更にエメラルド仏はビエンチャンへ移動するが、1779年ラーマ1世がビエンチャンからトンブリーに持ち帰り、後にチャクリー王朝を開くと、エメラルド仏は1784年にラーマ1世により建立された、ワット・プラケーオに安置され今日に至っている。
 
(写真はBKKのワット・プラケーオに鎮座するエメラルド仏)

 そこで、無い頭を再び使って考えた。エメラルド仏が北タイからラオスに寄り、中央タイに南下するさまは、タイ族の南下経路と一致するようだ。この移動は時の権力者の意向と戦乱を避けたり、略奪された結果であるが、よくも残存したものである。エメラルド仏は翡翠製であり、装飾品として再加工される可能性もあろう。それがそうならなかったのは、まさに歴史の証人と云えそうだが、日本にこのような事例があるのだろうか?
 いずれにしても、堅固な仏教基盤があってのことで、邪な考えは思いもつかない土壌があったと考えられる。中世仏教の世界観は、為政者にとって好都合であり、民衆の飼いならしにこのエメラルド仏も、一役かったと思っている。

ワット・プラケーオドーンタオで考えたこと・1

2015-08-29 09:26:05 | タイ王国
 ワット・プラケーオドーンタオは2度目の参拝である。前回は付属博物館の存在を知らずにいたが、事前に調べると、それがあるという。結局休館中で見ることはできなかったのだが・・・。
 この寺はビルマ様式で著名である。そのビルマ様式の何層もの屋根をもつ塔は、須弥山を表しており、独特の宇宙観に彩られている。その堂を写した写真である。これを見ていると、宗教は民衆を造形物と色彩感覚で惑わす幻術のようなものである。何やら北伝から東伝した仏教芸術に似ていなくもない。

 天井を見上げると蝶の羽のような翼をまとった天女であろうか?色ガラスをステンドグラス風の技法で装飾されている。屋根をみると破風にはキンナリーで飾られている。女性の緊那羅をタイではキンナリーと呼び、半人半鳥の護法善神の一尊である。

 境内を巡ると、白象の上に載る祠にエメラルド仏が鎮座しているモニュメントが目に入った。セメント製の像にペンキで装飾されている。横の石碑には、サームファンケーン王(ランナー朝第7代王・在位1401-1442年)の時代、エメラルド仏がチェンラーイで発見された。1436年、王はこれを3度チェンマイに運ぼうとしたが、仏像を載せた像が3度ともランパーンに引返すということが起こった。このため王は、仏像をランパーンに安置したが、32年間の安置後、1468年にチェンマイに運び込まれたとある。
 これは何を物語るのか? 中世チェンラーイとチェンマイを直接結ぶルートは、チェンマイからウィアンパーパオ間の山塊に阻まれ存在しなかった。つまり、チェンラーイからチェンマイに至るには、パヤオを経由してランパーンに南下し、ランパーンから北上してチェンマイに至るルートであった。
 つまりエメラルド仏の故事は、そのことを示しており、中継地のランパーンから象は移動しなかったことになる。従ってランパーンはパーン窯、パヤオ窯、ワンヌア窯とサンカンペーン窯を繋ぐ中継点であり、これら諸窯との関連がランパーン窯に見られるのではないかと、当該ブロガーは考えている。
 今回ワット・チェディーサオラーン付属博物館で見た数点のランパーン陶磁は、これら諸窯の特徴と若干異なるように思える。瘤牛等の動物肖形物は北タイ陶磁共通の特徴であるが、黒褐釉の釉調はクメールやモン(MON)陶更には、サンカンペーン陶磁に似ていなくはない。
 しかし、今回数点を現認しただけで、物足りなさを感ずる。ランパーン博物館は、どのようなランパーン陶磁を所蔵しているのであろうか? もう再訪することは無いであろう。誰か北タイ陶磁好事家にランパーン窯と北タイ諸窯の関係を追究して頂きたいと考えている。





ランパーン紀行

2015-08-28 11:41:39 | タイ王国
 ランパーンは2度目である。初回はランパーンの著名な観光地で、コカー郡に在る名刹ワット・ランパーンルアンに参拝した、5年前のことである。
 今回の目的はランパーン博物館、2つの寺院付属博物館の見学である。結論から云うと、ランパーン博物館、ワット・プラケーオ・ドーンタオ付属博物館は休館で、見学できず不完全燃焼であった。
 往路はチェンマイ駅08:50発の特急8号列車で行く事にした。滞在先のカンタリーヒルズを出たのは1時間前で、シーロ(赤バス)料金は交渉の結果1人30バーツであった。


 (写真は上からランパーンまでの2等車チケット、料金は50バーツ。列車番号8号特急。その車内で1等車の連結は無いとのことであった)
 チェンマイ駅定刻08:50に対し、3分遅れで発車。ランパーンまでは途中のランプーン駅で停車し、以降3駅で信号待ち停車をした。ランパーンからはドイ・クンターンの山越えで、クンターントンネルに向かって上りとなり、車速は遅くなった。写真はその沢沿いの風景である。

 結局、ランパーン駅に到着したのは、定刻に対し約25分遅れであった。これでは乗る客もいないであろう。
 ランパーン駅前には、蒸気機関車が展示してあった。記念に1枚パチリと写したのが、下の写真である。

 駅前待機のシーロと価格交渉。4時間で時計塔、ランパーン博物館、ワット・チェディールアン、ワット・プラケーオドンタオ、バーン・サオナックを廻り、バスターミナルまで送ってもらう条件で、500バーツで合意した。
 市内観光と博物館見学は、後日ブログに掲載することとして、帰りはバスターミナルからバスで、チェンマイ・アーケードまで戻ることにした。料金は67バーツ。午後3時過ぎに出発して、チェンマイ・アーケード着は約2時間後の午後5時過ぎであった。




(写真は上からランパーン・バスターミナル、乗車したバス、チェンマイアーケード・バスターミナル、チケット)
 今回のランパーン紀行の交通費(2名料金)は・・・
 二マンヘーミン通り→チェンマイ駅 60B、チェンマイ駅→ランパーン駅 100B、ランパーン市内シーロ 500B、ランパーン・バスターミナル→チェンマイアーケード 134B、チェンマイアーケード→カンタリーヒルズ 40B の合計834B(日本円換算約2,900円)で収まった。ランパーンへお出かけの方々の参考になれば幸甚である。