世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

晩秋の出雲路

2021-11-22 08:45:26 | 出雲国

過日、松江市宍道町の森林公園へ。公園にはオートキャンプ、ロッジ、グランキャビンが併設されている。予てよりグランキャビンを利用したいと考えており、その下見にでかけた。

場所は、小高い山の中腹で西に出雲平野、東に宍道湖が見渡せ、正面は出雲空港の滑走路が宍道湖に突き出している。見ると航空機の発着が斜め上方から見ることができる眺望地点であった。

グランキャビンの周辺は紅葉がそれなりであった。往路は『いずもロマン街道』なる山中の道を走ったので、復路は宍道湖に出て国道9号を西進。

すると田んぼに、オオハクチョウかコハクチョウか知らないが、白鳥が落ち穂をついばんでいる。いよいよ冬の到来を感じた一日であった。

<了>


岩根寺の大銀杏

2021-11-15 08:22:30 | 出雲国

出雲市朝山町の岩根寺に大銀杏があるとのことで、過日出掛けてみたが時期尚早のようで、紅葉は11月末の感じがする。

確かに大木のようだが、何やら威厳が足りない。色づいていなかったことも、そのような印象につながったのであろう。寺伝は知らないが、かって廃寺であったが明治末年に再建立されたとのこと。御堂は高さ30mの断崖の窪みに建っている。

それよりもビックリしたのは、凌霄花(のうぜんかずら)の大木がたっていたことである。大銀杏と御堂の間に、ヒョロヒョロと伸びているのがそれである。

随分年季が入っているが、樹齢は不明のようである。春に開花すればそれなりの眺めと思われる。春に一度訪ねてみたい。

<了>

 


古代人の視点・山見

2021-10-07 08:14:07 | 出雲国

過日、松江からの帰り、三瓶山と大山が一箇所で見られる地点を探して、宍道湖岸の北を通った。日本海を通過したり、倭地に向かう古代と云うより上代人の疑似体験である。近くでは後鳥羽上皇の隠岐の島脱出が思い起こされる。彼らは三瓶山と大山を道標としたのである。

『出雲国風土記』では八束水臣津野命が西の佐比賣山(三瓶山)を綱を掛ける杭にして、志羅紀(新羅)の御崎に綱をかけて引き寄せたと記されている。一方、東は火神岳(大山)を杭にして、高志(越)の都都の御崎に綱を掛け引き寄せたと記す。古代の人々は高い山を道標にしたのである。蛇足ながら西の綱は薗長浜、東の綱は弓ヶ浜(夜見島)である。

宍道湖北岸で、この三瓶山と大山の双方が見える地点を探すと、松江市秋鹿町で見ることができた。

Google Earthのココ地点が、松江市秋鹿町で双方の山を望むことができた。先ずは東の大山から。

次は西の三瓶山。距離はほぼ同じながら、大山より小さく見える。標高差と山体の規模からくるものである。

上代に朝鮮半島のみならず、長江下流域の呉越の民が出雲を目指して、渡海して来た時の道標であったろうと、妄想に近い感慨にひたったひと時であった。

<了>


出雲斐川・久武神社

2021-01-27 08:31:00 | 出雲国

前回は才ノ神や木俣神等に絞って(下写真白枠内)紹介した。今回は久武神社と同じ境内に鎮座する出西八幡宮を紹介する。

久武神社の祭神は素戔嗚尊、八幡宮の祭神は誉田別尊である。久武神社の創祀年代は不詳ながら延喜式内社である。同一境内にある八幡宮も創祀年代は不詳なるも、社殿によると室町時代末期の勧請と伝わる。

(拝殿)

(本殿への石段)

(本殿)

神社の多くは拝殿の背後に本殿が建ち並ぶが、ここ久武神社は背後の小高い境内に独立して建立されている。

(稲荷社)

(若宮社)

(八幡宮)

(社日塔)

(諸荒神)

ここでも社日塔をみることができた。出雲で社日塔は多い。やはり米どころであろう。また新旧の荒神さんが多い。こんなに多いのは初めての経験である。

<了>

 


立虫神社と万九千神社(2)

2021-01-14 08:29:24 | 出雲国

<続き>境内社をまとめて紹介する。

金刀比羅社)

(秋葉社)

(出雲大社遥拝所:写真後方の山並み端部の麓が出雲大社)

(旅伏社)

(才ノ上社:出雲では比較的少ない塞ノ神にほかならない)

(大地主神)

(大地主神)

(大地主神)

(和田津見社)

(稲荷社)

(馬繋荒神)

荒神に藁蛇を見ることはできなかった。

<了>