世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

KLにてタイ王国観光ビザ取得

2015-04-29 08:01:22 | クアラルンプール

<お断り>当該記事の執筆当時と2018年1月現在では、申請に必要な添付資料が大幅に増加しています。最新情報を参照してください。 御面倒ですが、2018.01.16UP Dateの「ハードルが高くなったタイ王国観光ビザ取得inKL2018年最新版」をご覧ください。

  タイ王国の観光(ツーリスト)ビザは、当然ながらタイ国内では取得できない。日本で事前取得かタイ周辺国で取得することになる。周辺国ではマレーシアのペナンで、取得される方が多いようだ。
 日本で事前取得する場合は、申請料がダブルエントリーで9,000円、申請書、3.5×4.5cm写真2枚、経歴書、往復の航空券または予約確認書のコピーが必要で、申請料は度外視しても、結構ハードルは高い。
 それに引き換へ、以下紹介するKL(クアラルンプール)の事例は、簡単で申請料も安い。KL申請で必要なのは、申請書、上掲写真1枚、申請料220RM(ダブルエントリーの場合で約6,800円)でハードルは低い。トリプルエントリーも大使館の領事部館内には掲載されているが、申請しても却下された。実質取得できるのは、シングルとダブルのみのようである。

 KLでタイのビザを取得する方々のために以下紹介したい。先ず在KLタイ王国大使館の場所から紹介する。LRTアンパン駅を下車して地上に出て、左右前後を見渡すと歩道陸橋が見えるので、その方向に進行する。その歩道陸橋の場所がアンパン通りと、トゥンラザック通りの交差点である。その交差点で曲がることなく、アンパン通りを直進すると、100mほどでフランス大使館前を通過する。尚も直進500mほどでタイ大使館に到達する。場所は進行方向左側である。


 入り口は2箇所、進行方向手前の入り口(上写真の入り口)が領事部の入り口である。尚、申請受付時間は下写真のように申請:09:30-11:30、
受取は翌日の14:30-16:30である。


 入り口を入ると、係員がパスポートのチェックと申請書用紙を配布してくれる。その後領事部の建物(下写真)に入り、入り口右の発券機にて順番の番号札を取り出す。尚、番号札は2枚綴りなので、必ず2枚受け取る(要注意)。


 下写真の館内待合で電光掲示板(写真赤色矢印)に、自分の番号が表示されたら、表示された受付窓口に行く。当該ブロガーの場合は24番で40分待ちだった。


 窓口で写真下の申請書、写真1枚、2枚綴りの番号札を提出する。


 すると番号札の半券を渡してくれる。先方は申請書を審査し受付けるかどうか判断する。その待ち時間約10-15分。その時間が経過すると、電光掲示板に半券の受付番号が表示されるので、その窓口へいくと、下写真の受取証に半券をホッチッキスでとめて渡してくれる(これはなくさないこと、翌日ビザはもとよりパスポートを受け取れない)。このとき申請料220RMを払う。本日はそれで終わり。

 翌日14:30に、上写真の受取証を窓口で呈示すると、写真のビザを発券してくれる。時間は10分程度であろうか。

 日本でのビザ取得はハードルが高いが、海外で取得するのは簡単である。それにしても実質取得できないトリプルエントリーを敢えて掲示しているのは、流石タイである。





 


図書「Southeast Asian Ceramics」より#8:最終回

2015-04-27 09:51:38 | 陶磁器
ミャンマー陶磁#4


 1472年から1492年にバゴー(Bago)に君臨したペグー朝ダンマゼディー(Dhamamazedi)王の宮殿が、1990年代に再建された。
 施釉陶磁片の数々が宮殿跡の基礎部分から出土し、それらは再建された宮殿付属の博物館に寄託された。バゴーは、17世紀まで、重要な政治の中心であり続けた。バゴーの陶片には、多くの赤褐色の器胎に白色の錫鉛釉が含まれていた(これをもって錫鉛釉緑彩盤の産地の候補が、バゴーであろうと推測されている)。

 それに似た陶片は、17世紀のスマトラとシンガポールのSiteから発見されている。バゴーの近辺では窯址が発見されていないが、陶磁生産がそこに存在していた可能性は高い。他にマンダレーの北のShwebo地区に窯が、おそらく存在していた。
 ミャンマーの施釉陶生産の歴史を明らかにするための、多くの調査研究が残されている。ビルマ陶磁に関心のある地元の学者グループの形成は、この研究が追究される希望を与えてくれる。
 イラワジ・デルタの西で、アデレード大学Dr,Heinと彼のミャンマー人チームはミョーハン(Myohaung)で一つの窯址を発掘した。それはミャウンミャの南10kmのところである。
 そこでは暗褐色から黒い鉢が、紐作りで作られていた。他には動物の肖形物と寺院用の建築用材であった。発掘された窯はトワンテやラグンビーと似ているが、幾つかの技術的特徴を持っていた。



 上の2点はいずれも、バンコク大学東南アジア陶磁博物館に展示されている青磁盤で、トワンテ窯とキャップションに記載されている。盤形状や釉薬の調子は北タイの青磁盤を想わせる。

 途中注釈も入れたが以上が、図書「Southeast Asian Ceramics」の紹介である。しかし中味に詳細性はなく、物足りない。これよりも詳しい論文を津田武徳氏が発表されている。それによるとトワンテの窯址発掘に参加されており、それは北タイと同じ横焔式単室窯であったとのことである。この似たような窯業文化の底流には、モン(MON)族の存在が考えられる。
 尚、「東南アジアの古陶磁(6):富山市佐藤祈念博物館」に津田武徳氏の「ミャンマー・ラオス陶磁解説」が掲載されている。こちらの方が図書「Southeast Asian Ceramics」よりも、詳しく記載されている。

 以上をもって図書「Southeast Asian Ceramics」の紹介を終了する。





PORTO ROMANO

2015-04-25 09:02:30 | グルメ
 THE INTERMARK BLD の1FにPORTO ROMANOというイタ飯屋がある。2013年12月ー2014年2月一杯の3か月間、今回の2015年2月中旬から今日までの滞在で、レストランについては、それなりに彼方此方出かけた。
 そのなかで気に入ったレストランを紹介してみる。先ず最初は首記のPORTO ROMANOである。外観はそれほどでもないが、内装はそれなりに工夫され、1世紀前の雰囲気である。



 写真の3月30日は、ミネストローネ(12RM)、シーフード・リゾット(34RM)と食後のコーヒー(6.9RM)で合計52.9RMである。支払いはこれにサービス・チャージ10%が加算され、4月1日以降はこれにGST(消費税)6%が加算されている。写真は3月30日なのでサービス・チャージを含めて約58RM(約1800円)である。


 このレストランが良いのは、雰囲気がそれなりで、良心的な価格で味が良い点である。結局前回と今回の滞在期間中、行先はこのPORTO ROMANOと次回紹介するレストランに絞られた。クアラルンプールへお越しの際は、是非ご利用されることをお薦めする。
 場所は、LRTアンパンパーク駅をおりて、アンパン通りとトゥンラザック通りの交差点の北西角に建つTHE INTERMARK BLD の1Fである。



図書「Southeast Asian Ceramics」より#6

2015-04-24 09:40:09 | 陶磁器
ミャンマー陶磁#3

 ビルマ人考古学者はトワンテ地区に、窯場が歴史史料に基づき存在するであろうと、予見していたとブラウン女史は云う。しかし、その仮説を確認するための現地調査は未だ行われていない。具体的な情報の欠如は、彼女のいうタイとビルマの陶工と、青磁を焼成した窯との関係について、推測以上のものにしていない。
 しかし1990年代後半、この状況は変わった。トワンテとヤンゴンの北西(Lagunbyee)の窯場が特定された。トワンテはイラワジ・デルタに窯が横たわっている。焼成品の中心は施釉陶から成立している。多くは青磁だが、白釉陶に緑の幾つかの陶片が収集された。しかし残念ながら、これらの陶片は、収集された窯の正確な情報が記録されていない。
 カンヨゴーン(Kangyogone)として知られているトワンテの発掘現場では、スコータイやスワンカロークと似てはいるが、全く同一ではない窯が発見された。緑釉盤を含む陶磁は鉢、動物の肖形物などである。
 トワンテ地区の他の村落であるYadesheで、盗掘された9基の窯が観察された。焼成物の範囲は広く瓶、ハニージャーやタイルもあった。また褐色釉や刻花文陶磁もあった。

 ラグンビーの窯は、城壁や濠などが複合しており、15世紀以前の広大な開拓地であったと考えられている。ここはビルマの考古学者によって1999年6月に発掘された。鉛釉の白釉陶と多くの“箆”で刻まれた文様の「せっき」の2つのタイプの陶磁が出土した。それらは盤と大型の壺であった。これらのイラワジ川下流の窯は、多くが東南アジアの施釉陶の「黄金時代」に創業した15世紀からと思われる。

 古代の首都バガンには、早い段階から施釉陶の伝統がある。しかし、それは貯蔵壺よりむしろ、ストゥーパに使われた「せん」や寺院の基礎部分の銘板(以降「せん」と表現する)などである。緑と白のモノクロームの釉薬は低温焼成であった。この事例は、寺院の素焼の銘板を用いた伝統に由来する。

(錫鉛釉緑彩「塼」は多くが紹介されているが、上の無釉塼はバンコク大学東南アジア陶磁博物館に展示されている)
 施釉の塼を持つバガンの幾つかの寺院は、碑文によって年代付けできるにもかかわらず、施釉の「せん」が寺院の創建と同時代であることを確認することができない。少なくともそれらの幾つかは、後代に施釉の「せん」に置き換えられた可能性がある。しかし、それらはバガンの黄金時代である11-13世紀に焼造されたものと思われる。

 更に多くの施釉の「せん」が15世紀の間にバゴー(Bago)で作られた。ブラウン女史は1988年、バゴーのシュエグジー(Shwegugyi)寺院の1000以上の「せん」が、1980年代に高度に組織化された略奪者によって、事実上一晩で持ち去られたと記録している。現場からの「せん」の略奪は19世紀に始まった。
 しかし、USやヨーロッパの多くの美術館や個人コレクションに、シュエグジーの「せん」が保存されている。



KLIA 2

2015-04-23 17:21:59 | クアラルンプール
 所用ができて日本にとんぼ返りすることにした。Air Asiaで往復するのでKLIA(Kuala Lumpur International Airport)はLCCターミナル利用である。例のごとく、KLセントラル駅からシャトルバス(片道10RM)を利用して行った。到着すると昨年までとは様子が異なる。昨年までのLCCターミナルはコスト削減のためプレハブ建てで、店舗も少なく、待ち時間無沙汰であった。
 ところが、今回は前述のごとく様子が異なる、見るとKLIA 2と第二ターミナルの表示に変わり、ターミナルビルも新設されている。広さはKLIA 1と同じように広いが、床は絨毯ではなくタイル貼りで、やは建設コストは意識されている。チェックインカウンターの島も広く、まだ未使用の島も残っており、将来の拡張余地は十分である。
 Air Asiaが使うほかは2-3社のLCCで97%程度がAir Asiaである。マレーシア政府も随分金をかけたものである。





 ユニクロはマレーシア国内のあちこちで見かけるようになった。このKLIA 2にも出店している。

 写真の搭乗ブリッジは、新設の1/8程度が写っているだけでずいぶん広く、マレーシア政府はLCCのハブ空港化を、目指しているのではないかと思われる。
 従来、LCCターミナルへはシャトルバスかTAXIしか、アプローチ手段がなかったが、ブラブラしているとKLエキスプレスの表示がでている。帰りはKLエキスプレス(30RM)にした。時間は30分弱でシャトルバスの1/3程度と速い。


 20年前の東南アジアと云えば、シンガポールも含めて足が遅かったが、今日のインフラ整備の足の速さは日本以上である。そこに中国のAIIB設立の動き、動きは益々加速しそうである。負けるな日本!!