雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今年のヴィッセル神戸、オリックスに期待

2008-03-20 05:42:47 | スポーツ
スポーツは好きである。
好きなチームも好きな選手もいるが、そんなに熱烈ではない。
どうも熱烈にはなれないのである。

どちらかと言うとチームよりは、選手のほうに関心がある。
好きな選手がいるのでそのチームを、とか地元なので応援しようかと言う程度である。

松坂がいるからレッドソックスを、田中がいるので楽天をなどである。
昔住んだこともある仙台(楽天)、札幌〈日ハム)、高槻〈ガンバ)なども関心はある。

今年は野球ではオリックスを応援しようと思っている。
3人の外人が面白そうだし浜中も入った。球場が神戸から大阪に移ったのは残念だが、神戸で試合があったら見に行こうと思っている。

最近は関西人は阪神ということになっている。
例外は認めない。当然であるという風潮なので、特に反対する理由もなく阪神ファンである。
甲子園と言う球場が学生時代もっとも多く試合の経験のあった球場だということもその理由になっている。


サッカーは昔から好きだが、好きなチームと言えば『ヴィッセル神戸』である。
地元のチームであることは勿論だが、
川崎重工業がスポンサーをしていること、
オーナーの三木谷さんが高校の後輩であること、もあるが、
スタート時のメンバーが長島や和田君など中学校時代のころから知っていること,カワサキにも訪ねてきてくれたこともあることなどである。
大体、ファンになるきっかけなどは他愛もないことが多いのである。

そのヴィッセル神戸、今年は期待できそうである。

先日はホーム初戦を4-1川崎フロンターレと圧勝で飾った。

大久保はもともと好きだったし、今年は韓国代表の金も入った。
知らなかったが、昨日ハットトリックのレアンドロもよさそうである。



今朝の新聞に、JFL入りを目指して頑張っているバンディオンセが神戸から加古川に本拠地を移したと大きく載っている。
三木を本拠地に練習を今後も続けるチームなので、加古川より三木のほうがよかったのだが。

兵庫県に二つのJリーグのチームが出来ればと思う。


今年はオリックスとヴィッセル、野球もサッカーも神戸が台風の目になって欲しい。
新井の入ったタイガースも、阪神と関係のあった星野ジャパンも、大阪府府知事の橋下さんも関西が元気になって欲しいのである。


コメント
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服部カワサキ

2008-03-20 04:44:40 | カワサキ単車の昔話
ここ一両日、
アクセス元URLでトップに、この懐かしい服部カワサキが出てくる。

今の店よりもこの頃のことのほうが鮮明に覚えている。確か店の後ろは崖だった。
もう30年も前の話で、昨年30周年記念のパーテーがあり招待をされて、久しぶりに旧交を温めたのである。
アレからもう1年が過ぎた。ホントに月日の経つのは早いいものである。


ずっと以前にこんなブログをアップしている。その一部をご紹介する


『レースの担当の後、仙台で東北6県の営業をはじめて担当した。
1967年、私がまだ35才の頃で若かったし、勇ましかった時代のことである。

服部謙治君。
当時、宮城カワサキの工場長で技術のウデは確かであった。
それ以上に、趣味のモトクロスには熱心であった。はじめて会ったころからそこそこ早かった。

カワサキの当時のファクトリーの主力は山本、歳森、岡部、星野の時代で、若手としては
清原明彦や従野孝司がまだモトクロスライダーとして走っていた。
マシンはF21Mの全盛期であった。

顔なじみの私がいて気楽だったのか、ライダーたちは競って東北のレースに出場したがった。
服部謙治君も、数多く訪れるライダーたちと一緒に走り、またマシンのチューンを受けたりして、どんどん早くなった。

確か当時の東北のジュニアでは、1~2を争う実力であったと思う。
東北の山本隆と言われたか、自分で言ったか。言ったとしてもおかしくない実力であったと思う。

その後、服部君が故郷岩手の遠野に帰って独立開業をしたいと相談を受けた。
私は遠野ではダメだ絶対仙台でやるべきと主張した。昨日のことのようによく覚えている。』



そんな思い出のある店である。
宮城カワサキの工場長をしていた服部君とはじめて会って10年後のことであった。

服部カワサキの社長を長く務めたが、昨年の30周年を機に引退して今は会長である。
残念ながら晩年目を悪くして、このブログなども見れないのである。

このホームページもその中にあるヒストリーも新しく造られたが、番頭さんの武田さんが造られたのだと思う。
このヒストリーの最初のページ、
若い頃の服部君とZ1そして後ろにある看板は、カワサキが全国で初めて造った仙台の直販ショップ、この店長を服部君が担当してくれた。
私の東北での最後の仕事であった。

彼が自分の店を出す5年ほど前のことである。



そして、そのヒストリーの現在の最後が店の写真になっている。そこにリンクされている『雑感日記』からのアクセスなのである。



コメント (2)
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