雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

桜とハナミズキそして三木

2008-03-31 05:55:13 | みっきぃふるさとふれあい公園
まだこのあたりは、やっと開花したばかりである。
昨日は東北に桜前線がというニュース、三木も東北並である。

東京の桜は満開のようだし、緯度では東京よりもまだ北ではないかと思われるワシントンの桜も既に満開のようである。

検索で遊んでいたら、こんな記事を見つけた。
『ワシントン桜物語』である。


非常に詳しいので、ご関心のある方は、是非ご一読をと思うが、ワシントンに最初に桜が送られたのは1909年のことでこの2000本の桜は害虫が沢山ついて全て焼却処分されたのだという。
今、咲き誇っている桜は1912年に改めて3000本贈られたようである。
もう100年近くになろうとしている。

大きい木は立派である。
特に大木の桜は見事である。ワシントンの桜を見るためにこの時期100万人の人たちが、ワシントンポートマック川の桜見物に訪れるという。


この桜のお礼に、1915年アメリカハナミズキ40本がアメリカから贈られたという。
この原木たちは戦時中に敵国の花と言われたようだがその原木が今もあるのは何よりである。


桜の木などは樹命何年なのであろうか?
今近所の公園に桜が3本植わっているが、この桜は35年前にみんなで苗木を植えたものである。

私もそのうちの1本、真ん中のものを手伝って植えたのをなぜかよく覚えている。
35年経って、もう立派にはなっているがまだ大木とはいえない。

先日どこかの樹齢70年の桜が紹介されていたが、結構大木であった。
私も若し桜なら、形だけは大木である。
いい花をつけるように努力したいと思う。

昨日は、さるとるさんとこんな桜の話をした。

桜の時期、そんなことを思った。
4月に入ると三木の桜たちも一斉に花を咲かせるであろう。
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7万台への挑戦、当時の資料から

2008-03-31 04:33:49 | 7万台の挑戦の時代
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88年からチャレンジした『7万台の挑戦の時代』をアップすることにしたが、
これは日記と当時の資料に基づいている。

私の手元には、1975年KHI企画を担当して以来、コンセプトの次元の資料は殆ど全て揃っている。
時系列に10センチほどのバインダーに纏めたもので、約20冊、特に88年以降のものは1年ごとに月ごとに纏っている。
そういう意味では、事実に正確であることは間違いないのである。

これを整理したのは、当時の仕事のために整理したのでまさかブログの材料になるとは思わなかった。



そんな資料の中から88年10月31日に自筆で纏めて社内に指示した、
『国内市場対策の方向』の中から抜粋してみる。

当時のカワサキの状況である。
ひょっとしたら、覚えておられる方もいるかも知れない。


1.国内市場の動向

台数は軽ニ輪以上30万台で安定している。
各社とも海外が為替環境不安定などもあって最大市場の国内に全力投球体制である。
新機種の投入も激化、レーサーレプリカ全盛の時代となっている。
スポーツ、レース活動、イベントも活況で、ユーザーの組織化、HART,YESSなどに各社とも注力している。
仕組みの中でのソフトの重視、安全運転環境が厳しい時代でもある。

2.基本的な対策の方向

基本的な方向として
(1) 仕組みの再構築〈差別化の再検討)
(2) カワサキのイメージの再構築
(3)それらの核となるものを造る    としている。

3.Kawasakiの現状分析

広域化、特約店制度、部品の直送システム、など過去において差別化されたカワサキの施策も他社の追随によりその特徴が薄れてきた。
過去に比べてクルマでの差別化が難しくなったきた。
今後更にレーサーレプリカへの分野へ進むとより難しくなる。
カワサキのイメージも博報堂の調査の通り決してよくない。
全般的に問題が多い中で、最開したレース活動、今年度よりのKAZE活動は予想以上の効果を挙げている。
と分析している。

4.国内対策 数値目標

目標 ( )内は9月末の実績値
モーターサイクル    63000台 (44635台)
ジェットスキー      7000台 (2920台)
  
  計         70000台 (47555台)

目標7万台を1989年に達成する。


5.基本戦略

(1)時代の流れに添って、ユーザーの拡大とその組織化を可能にする仕組みを造る。

(2)販社ー特約店ーユーザーへの従来の流通組織とともに 『ユーザーへの直接的な働きかけ』 の強化を図る。

(3)これらを通じての周辺ソフト、ノウハウの取得とその事業化を図る。


6.89年度の対策方針

(1) 89年度は7万台体制への通過点と位置づけ台数計画よりもその基礎となる諸施策の実行を第一目標とする。

(2)ユーザー対策、イベント、レーススポーツ対策として、89年1月1日にスポーツ推進部を発足させ、4月1日にそれを専門とする新会社としてスタートさせる。


この基本方針は全グループに流したが、簡単に理解されるとは思わなかった。
まず、身近の本社スタッフ数名との意思統一を図ることを最重点とした。
なかなか、意識の改革などは出来ないのである。まして現状を変えるという作業は非常に難しく高度な仕事である。

一通の指示書や、会議での指達は必要だが殆ど機能しないものである。
ただ、言った通り間違いなくその方向に進むことはMUST条件である。

本社のスタッフ連中の理解と協力を得て、一歩一歩前進を始めた。
社内のムードだけは、違ったものが感じられる、そんな時期であった。





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