雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

橋下さん、スタートは切れた

2008-03-29 06:19:05 | 大阪維新の会、橋下徹氏
この1ヶ月、大阪のニュースは毎日のようにマスコミに取り上げられた。

大阪府知事、橋下さんの出足、スタートはまず順調に切れたと思う。

まず、注目してもらうこと、関心を示してもらうことが第一である。
そんな緊張感の中にこそ、しい政治、いい行政の生まれる素地があると思う。

一つ一つの出来事の賛否はそんなに問題ではない。
トータルとしてどうかである。
トータルとして、当初予想した以上の出来だと思う。

こんなところがいいと思っている。

1.何を思っているのかが明確である。明確に説明しようと言う意図が感じられる。それがない政治家が多すぎる。

2.答弁にメリハリがある。普通一般の人にも解り易い。謝り方が爽やかである。

3.対話。末端の意見をホンネで聞こうという姿勢が見える。
そんな末端との対話、反対意見に寛大で優しさが感じられる。
一方強い人、例えば評論家に対するときは一転して厳しい。

4.6月までに纏めるという予算や方針も期限を切って約束どおり発表されると思う。そう信じられるようなこの1ヶ月の対応であった。


個別の政策などは、当方は中身も詳しくないしよく解らない。
マスコミの報道なども、全部を伝えるわけには行かないので、結果として『言葉尻り』を捉えたものになることも多いであろう。

2回目の朝礼には若い人の8割が参加したとか。
いい方向なのだと思う。

4月1日に発表されるという『大阪維新プログラム』に期待したいと思う。
『期待できる』と思っている。
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7万台への挑戦88年10月

2008-03-29 04:32:55 | 7万台の挑戦の時代
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88年10月、新しい任務に就いた。
与えられた目標
『売上台数7万台、売上高400億円』この目標を、
『新しいカワサキのイメージ創造』をベースにやろうとスタートした。


それまでカワサキの国内は、経営的に苦難の時代が長く、
常にその目標は『、経営の安定、利益の確保』の時代が長く続いた。
堅実ではあった、その経営ノウハウが確かに事業部経営に貢献したのは確かである。当時のKMCに冨永、日野君が逆出向したりもしていた。

ただ堅実であるだけで、博報堂の調査によればイメージ総量も小さく、

『玄人受けする個性的なデザインで、海外には強いが』
『レースに弱く、宣伝のセンスがなく、常にチャレンジしない』

と言うものであったのである。

こんなイメージではとても7万台などは 『夢のまた夢』 だったのである。
『カワサキの新しいイメージの創造』 がMUSTであると思った。




一番初めにやったのは、 『カワサキのレース25周年のOB会』 である。
10月15日、芦屋の巨人や中日の定宿で有名な 『竹園ホテル』 で1泊どまりで41名の参加で行なった。

『レースに弱い』 と言うイメージだけは、創生期のレース担当としてはどうしても払拭したかったのである。当時のメンバーの殆どが集まった。


その時の写真が手元のあるが、4列の集合写真は錚々たるメンバーである。

1列目は
西海兵庫メグロ社長を真ん中に山田、高橋さん〈ともに元川重副社長〉苧野、中村、大槻、糠谷さん、名物メカニックの松雄さんが並んでいる。
カワサキのレースを支えた人たちである。
こんな人たちの指示で当時のレースチームは動いていた。

2列目は
私と平井さんとそのヨコに田崎さん〈元川重社長、現会長、大西君これが会社側、
そしてライダー諸君は安良岡健、山本隆、金谷秀夫、和田将宏、岡部能夫、清原明彦君

そして3列目以降は
会社側には北村、岩崎、武本、井上、安井、井川君歴代のレース関係者など
ライダーは歳森康師、梅津次郎、星野一義、当時の現役で宗和や多田君の顔も見える。

星野一義君はまだ現役パリパリの頃で、
エレベーターで一緒になった中日の選手たちに、『うちの星野より有名や』などと言われていた。
星野が来てくれたので業界紙誌からも取材があったりしたが、この会合ではOBライダーの末席は星野と清原だった。



最近も、『もう一度OB会やりましょう』とよく言われる。
だけど、余程思い切らぬとなかなか難しいのである。それ以上に何かのきっかけが必要なのでである。

高橋さんの与えてくれた『7万台の目標達成』のためにという『名目をつけて』会費など一切取らずに盛大に行なったのである。



20年前だからみんな若い、私も田崎さんも55才前後である。
20年経った今も、こんな連中と結構接触がある。

田崎さんにはミニSLで今年も世話になっているし、『ひょこむ』のメンバーには山本、歳森、もいるし平井さんもいる。

4月2日にあるZ1会のゴルフは大槻さんが会長だし北村、井上さんもいるし、ライダーでは金谷、歳森、清原などもいる。



88年10月、『新しいカワサキの幕開け』は25周年記念のレースOB会でスタートしたのである。

いろんな重要事項があったが、『イメージ戦略はレース抜きにはやれない』と思ったのである。

そんな第1ヶ月目のスタートであった。
10月1日就任、10月15日開催、結構詰めて一生懸命やって初めて実現した。
ライダー関係は『清さんがまとめてくれた』と記憶している。

もう二度とやれないかも知れない。


あれから20年、苧野、松尾、白瀬、武本、岩崎。5人の方が亡くなられた。
心からご冥福を祈りたい。




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