雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

3月の薔薇

2008-03-28 12:25:17 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
3月も今頃になると薔薇の目も写真に撮れる大きさになる。
葉の色もそれぞれあって、意外に薔薇は葉が綺麗である。



木ばらのほうもこの程度ほどに成長した。毎日目に見えるように成長する。
枝が立派に育つと当然ながらいい花が咲く。
花を育てるというよりも枝を上手に育てるほうが自然である。
そのために冬の剪定や芽欠きはかかせない。



つる薔薇は、芽が出ているところは一面に花で埋まる。
枝をヨコにすると一斉に芽を吹くのである。そのために冬枝をヨコに誘引を行い固定する作業をする。


今から5月まで毎日が楽しみである。


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相信会、春の例会

2008-03-28 12:07:56 | カワサキワールド
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相信会の春の例会が行なわれた。
春は毎年、美術展が同時に開催される。
盛会で90人ほどが参加したが、会社のOB会だから当然だが、年寄りの集まりではある。
それも毎年、老けていくように思う。

絵や写真など、これは練習の成果であろう。年々立派になるように思う。

今年から会の報告が新しい形で行なわれるようになった。
『相信会電子掲示板』なども造られてネット上に公開されるようになった。
gooのブログと同じ形式だがこんな風にも出来るのである。
非公開なのでパスワードを入れないと見ることは出来ないが、どんな風に発展するであろうか。




高橋相信会会長、大橋社長挨拶、田崎会長の乾杯の音頭で会は進行した。
高橋、田崎さんなど昔の仲間の挨拶を聞いていると、単車事業部時代が懐かしい。

その高橋さんも81歳、81歳を『盤寿』と言うらしい。そんなことにも触れたご挨拶であった。
大橋さんからは会社の現況報告も、
『売上高1兆5千億、利益500億以上、今年も増収増益』ご同慶の至りである。
田崎さんの乾杯の音頭。彼らしく軽妙で示唆に富んでそして『ネアカ』なところ、単車出身らしくて良かった。

一昔前と少しだけ変わったように思う。
少しだけ『重工業』から抜け出したようにも思う。


会場は賑やかだった。
4月2日にZ1会でまた顔を合わす人たちも何人もいたが、今になって初めて言葉を交わす人もいる。

田崎さんとは先日のSLの話になった。11月のメリケン波止場のミニSLフェアは『カワサキワールド』の主催に正式に決まったし、その担当役員の三原君にも総務の鳥井さんにも確りと御願いをしてきた。
担当常務に「君付け」で、総務課長に「さん付け」はおかしいのだが、『どうしても正直そうなってしまう』のである。
OB会なのでお許しを願いたい。


少し早かったが、サッカーのU23の試合が見たくて7時前に失礼した。
そのためクルマで行っていたのでウーロン茶での立食パーテイであった。
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1988年,kawasaki

2008-03-28 04:33:33 | 7万台の挑戦の時代

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1988年

1982年ごろカワサキの二輪ももう終わりかと思われたような事業の危機的状況から6年が経って、事業はほぼ安定し新しい時代へと移っていった頃である。

私は企画から移り、事業部の営業部門を担当していた。
大分直入町ののテストコース用地にサーキットを造ろうなどと提案して、故岩崎君らと走り回っていた。

レースでは宗和が世界選手権で2位になったり、遠藤さんのフランスチームが3位に入ったりしていた。

ジェットスキーが世界的に好調でアシックスと組んで専用の靴を開発したり、ソウルオリンピックの開会式の当日、世界のジェットスキーチームを組織してハンガンでのデモンストレーションを行なったりしたのもこの年である。


8月には高橋鉄郎さんとKMCのデーラーミーテングに出席している。
百合草さんが社長の頃で、懸案であったKMCの累損もその年で消える見通しであった。
その頃から、事業部の組織人事の話がいろいろあって、『国内をやってみないか』と言うような話も出かけていた。

9月には再び高橋さんとヨーロッパを廻っている。
ケルンショーやドイツのデーラーミーテングがあって、立派なお城に泊めてもらったりした至極のんびりした旅であった。
デユッセルからアムスへアウトバーンをBMWのレンタカーを走らせたりしている。

事業も一段落して安定し、82年からの目標もほぼ達成できてのんびりと遊んでいたといってもいい頃であった。



この年の10月、新しい辞令が出た。

国内市場担当である。
当時の社名はまだ『カワサキオートバイ販売(株)』 通称『カワ販』
高橋さんが社長で、その専務を命じられた。

高橋さんとの約束は、
1.国内を事業部の主力市場に育てること
2.販売目標7万台、売上高400億円、事業部への限界利益100億円

実績43000台、250億円の頃だから相当過激な目標ではあった。
3度目の国内担当であったし、前回のような経営再建といった悲壮なものではなかったので、目標は大きかったがそんなに気にもならず、この目標を内外に宣言してスタートしたのである。

その基本対策は『カワサキのイメージの向上』であった。

いい商品に恵まれ、それ以上にいい仲間に恵まれて、この目標は達成できたのである。


このブログで、『7万台への挑戦』という新カテゴりーを造って、1988年10月から時系列で、このプロジェクトに参加頂いた仲間たちを思い出しながら3,4年間を振り返ってみたい。
幸い旧い日記帳があるのでほぼ正確な思い出となるであろうと思っている。
   


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