飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

お金がお金を生む仕組み!

2007-12-25 20:40:23 | 日本

『金持ち父さん、貧乏父さん』のマジック
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 一頃、ベストセラーになった本である。いまも強い信者がいると思われる。その中に、お金持ちになるには、お金を働かすことだと断言している。それは至言である。現在の貨幣経済のマジックはその事である。
 マネーは、言わば経済の血液の様なもので、価値をマネーという物差しで量り、交換する手段としては便利なモノだ。その交換手段が、交換手段に留まらず、マネーその物が価値あるモノのようになってしまった現在の状況は、何がそうさせたのであろうか。?

 お金に金利がつくシステムと、信用創造のシステムである。これは誰が決めたか。無論、人間である。詳しく云うと、ユダヤ人である。そこから、お 金は交換手段に留まらず、それ自体が独立した価値を主張し始めた。そもそも交換手段のみの役割であるならば、人はお金そのモノを欲しない。お金によって交 換される物であるとか、交換されるサービスを欲する。
 金利が付くと云うことは、お金が自動的に増えることを意味する。雨が降っても、嵐が吹こうと、火が降ってもである。故に金貸しが発生する。銀行が発生したのである。貯蓄が好まれる。
 世の中には、金を借りようとする人間と、金を貸そうとする人間のどちらが多いのであろうか。? この原理であるから、当然、圧倒的に金を貸そうとする人間である。??? 銀行の数より、圧倒的に預金者が多いでしょう。!!!
 銀行は、当然考える。銀行も貸したい。貸さねば、増えない。預かったお金を貸すだけでは、たとえ預金金利より高い金利を付しても、大して儲から ないことはアキラか。そこで考えた。この預金はすぐには、引き出さないだろう、だったら、2倍3倍.....出来ればもっと多く貸すことが出来れば、簡単 に儲ける。10倍だったら大もうけ。100倍だったらぼろ儲けである。
 これを、普通の人がやれば、預かったお金の範囲でも、業務上横領である。それ以上であれば、詐欺罪。しかし、法律で認めてしまえば、罪には為 らない。これが法定準備率制度である。その銀行が、中央銀行、アメリカでは連邦準備制度銀行(FRB)である。中央銀行は表向き国立。連邦準備制度銀行 (FRB)は民間銀行である。

 建前はこうである。世の中には圧倒的に金を貸そうとする人間が多いと云っても、いくら何でも元までなくしてしまうのでは、誰も預ける者はいな い。不安があれば、預金を引き出す者もいる。そこで、銀行の中の銀行、中央銀行を創り、各銀行間で預金を万が一の時(取り付け騒ぎ)は融通し合うこととし た。最終的には中央銀行の奥の手(紙幣の印刷)でその場を凌ごうとしたのである。大数の原理である。
 当初は、紙幣を、金の保有でもって担保したのであるが、今は一切ない。
 前述の『金持ち父さん、貧乏父さん』の最初の下りで、金持ちになるためにはどうしたらよいかと思案した筆者の子供時代の話。硬貨を自作したとい う話があるが、あながち間違いではない。只、唯一その権能が中央銀行に許されているだけである。それ以外では、如何に精巧でも偽金(ニセ札)、犯罪であ る。

 高名と言われる経済学者にユダヤ人が圧倒的に多いのは、このシステムを確立するがための後付理論を後生大事に創作したからだ。本来の経済(経世 済民)を科学するのとはまるで違う。economyとは節約・倹約の意味であって、どこに経世済民の意があろう。隠すという意もある。本来は、如何に隠れ て省力的に富を増やすことが出来るかという、秘伝である。経済学者にウソが多いのは本来の性である。福沢諭吉の翻訳の間違い、と言うよりか、魂胆が透けて 見える。
 ユダヤの悪書『タルムード』には、同胞からは金利を取ってはならぬとある。しかし、異邦人(ゴイム=ユダヤ人以外、家畜)からは金利を取って もよいと云っている。聖書も、コーランも金利を禁じている。ユダヤが旧約の民ならば、同じ筈であるが、今や『タルムード』のサタニストである。(全てのユ ダヤ人ではない。サンヘドリンの末裔のみ)

 
 金利がないと、預ける者(貸す者)がいない。富が集まらない。富が集まると増やしたい。借りるカモを創らなければならない。そこで economyが始まる。economic活動とは、畢竟、借り手を創作する作業を云う。経済学は、マジック工学である。殖産興業も然り。マーケッティン グも然り。然り、然りである。対立と抗争、つまり、競争原理はそこから発生する。競争があるから、進歩があるというのは本当であろうか。競争があるから、 economyが始まる。というなら、然りである。真の進化は、共生の中にこそ生まれる。競争の中に生まれるのは、間違いなく虚勢である。虚勢を鼓舞すれ ば、借り手を創出する。宣伝は消費のための戦略。必要なものを消費する中には、大量消費は発生しない。究極の大量消費(大量破壊)は戦争である。
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Mm20071012205401715l0  いま、世界は富を増やすために、最後の足掻き(あがき)にくれている。飢えに苦しむ多数の人々を尻目に、ごく少数の金持ちは博打に明け暮れてい る。信用創造によって蓄えた富を、さらに倍率を高めて、証券・債権市場をいくつも創設し、ゼロ・サムの賭場を形成した。これらは明白な虚業である。それで も飽きたらず、地球温暖化を演出し、一方では戦争という環境破壊を推進しつつ、二酸化炭素排出権売買市場という賭場を新設しつつある。
 二酸化炭素排出権売買をして、二酸化炭素が減ると云うことがないことぐらい、小学生でも判る。排出権を買った方は減らず、売った方はそのま ま。当たりまではないか。金が懸かるから減らそうと云う意識が作用すると云うかも知れないが、それは理屈というモノである。減ったら減ったで、排出債権は 紙屑となる。そんな市場は、創る意味がないではないか。

 こんな道理を、大の学者が、官僚が、政治家が判らぬ筈ないではない。考えてないか、欺しているか、ウソを承知の演出以外何ものでもなかろう。

ティッピという女の子③


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