再び、私論であるが・・・
魂の法則と、成功法則は表裏一体である!
広大無辺のあの世の法則を
この世に顕現しないと、
真の成功は成し得ないということである!
しばらく、Top Pageに掲載・・・(最新記事はSecond Pageへ!)
和の成功法則には、それが備わっているということである。
動画2が公開されたが、
少し、まどろっこしい。
科学的見解は、その端緒に触れただけである・・・。
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宇宙は、多次元構造であることは今にして言われ始めたことであるが、
生命の本質を観れば、自ずから分かりきっていることである。
心がある。
魂がある。
そして、
永遠の生命がある。
そして、魂には悟りの段階があるのである。
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その生命を息吹かせているのは、
宇宙を創成したエネルギーそのものである。
エネルギーと言っても良いが、
もっと、直截に言うならば、霊そのものである。
その大霊であるところのエネルギーの一部が、
生命エネルギーであるのである。
魂は、その生命エネルギーが宿った個性ある存在だ。
そして、それが肉体に宿る。
それが人間である。
人間以外でも、概ね同じようなものである。
これは端的に言えば、唯物論では出てこない論理だ。
唯心論でもない。
物心を貫く、一元論である。
西洋の成功法則は、もっぱら、唯物思考に傾いている。
精神を重要視しているが、
精神とは何かをはっきりと見切っているわけではない。
物質に対する反対の世界、見えない世界を精神と呼んでいる。
その精神世界から、
物質世界をビジュアルに思念することにより、
物質世界での成功を実現するというのである。
これが西洋の成功法則だ。
間違ってはいないのであるが、
目に見えない精神作用を引き起こそうというのであるから、
その努力は凄まじい。
水中から、パイプを伸ばして大空の空気を呼び込むような努力である。
パイプを捨てて、首を水面に出す方が楽である。
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物質は、自ずからエネルギーによって成り立っていると見切れば、
何の事はないのである。
水中と思いきや、水面と同じで、
首を出すまでもない事が分かって、そのまま息をすれば済むことなのである。
精神と肉体という二言論は、ぼやけた認識である。
精神と物質は一如という考え方は、本来、和の精神(考え方)だ。
例えば、
精神病というのは、物質では推し量れない病の総称である。
そして、
それを物質(薬)で治療できると考えているから、矛盾している。
だから、精神病は不治の病である。
治すのではなく、現象を抑えることにしか効果はない。
精神病は、
須らく、霊エネルギーの交雑であって、
私の中の他人である。
つまり、有り体に言えば、憑依現象である。
もっと現代風に言えば、情報のハッカー現象である。
唯物論の医者は、それを看破することが出来ない。
だから、精神病は治らないのであって、
もっぱら、
その受容体である肉体を、薬物で沈静化するのを目的としている。
言い換えれば、肉体的な廃人化である。
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和の成功法則が、いくら何でもそこまで踏み込まないだろうが、
要は、そういう次元まで見通さなければ、本物ではない。
人間は、肉体と精神から成り立っている。
おぼろげながらも、そういう風に考えているのが一般的だ。
しかし、
肉体とは何か? 物質とは何か?
これにズバリ応える人は、まだ少ない。
ましてや、
精神とは何か?
ズバリ応えることの出来る人は、さらに少ない。
西洋式二元論に毒されていると評しても良いであろう。
私論であるから、
批判を恐れず、ズバリ書いておこう。
肉体とは、精神エネルギーの現象化されたものである。
現象化という事は、目で見える世界、
つまり、
この世(三次元+時間)に投影された物質化現象である。
精神エネルギー作用がなくなれば、消滅する。
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精神とは、魂のことである。
もっと言えば、魂をも在らしめているエネルギーの総称である。
エネルギーであるから、目には見えないだけである。
このエネルギーから、肉体も生まれる。
魂も肉体も諸現象もこのエネルギーから生まれる。
これを別名霊的エネルギーとも呼んでも良いだろうし、その方がしっくりする。
広義の精神とは、この霊的エネルギーのすべての段階を指している。
狭義の精神とは、それぞれの魂に宿る霊的エネルギーのことであって、
その本質は、同じである。
狭義の精神は、個性を抱いている。
そして、
心とは、宇宙の各次元を橋渡しする器官のことである。
言い換えれば、個別センサーと解してもも良いようなものである。
魂と肉体を橋渡しする目には見えない器官を、人間は、心として認識しているのである。
従って、
心は、肉体と現象界に翻弄される場合もあれば、
魂の本然の願いに同通する場合もある。
センサーであるから、その区別はしないのである。
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肉体と現象界に翻弄される場合が、暗転の現象であるから、煩悩と呼ぶ。
魂の願いに同通し、そして、その願いを発現ことを光転の現象で、菩提心と呼ぶ。
菩提心なくして、真の成功法則は発現しない。
和の成功法則とは、菩提心の発現を目指すものであろう。
そう理解したいが、今のところその様である。
祓うという事は、煩悩を滅却するという事なのである。
滅却という事が難しい事柄なら、雑念を払うという事なのである。
雑念を払ってこそ、魂の願いに同通することが出来る。
その状態を発心という。
本題に立ち入るが、祓うとは、言霊をもってすることだという。
言霊とは、現象のエネルギー化のことで、
言葉を発するという事は、そのエネルギーを発する事であり、
勿論、発する存在は人間そのものであるから、
人間にはそうしたエネルギーの発信者でもあるという事である。
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発心して、菩提心に至る。即ち、人生の目的を知るという事なのである。
人生の目的を知り、
それを実現することが、真の人生行路であり、自ずから予定されている。
成功法則が機能するように創られているのが人生である。
光転現象であるから、
霊的エネルギーとバイブレーションと共鳴することである。
すると、現象がワープするというのである。
これは奇跡でも何でもなく、物理現象と同じで、
そういう力を、誰でも本来的に持っているという事だ。
卑近な説明をするなら、『好きこそ、ものの上手なり』という事と同じで、
本来の自分の目的に生きるという事は、楽しいことなのである。
だから、自ずから成功法則に乗るという事でもある。
これが、和の成功法則である。
無理して、嫌なことを努めて行う事はない。
それは続かないし、いずれは破たんする。
それが、和の成功法則であるとするなら、
画期的な成功法則の開示という事になる。
必見! であろう・・・。
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今のところ、その方向性にあると検証している・・・。
これからが、楽しみでもある。
最後に、
魂の願いに沿わないことは、何事であっても虚しい・・・。
巨万の富も、刹那のまやかしで、
必ず、それは置いて去るのが、人生というものである。
裸で生まれ、裸で死んでいく・・・。
それが、崩壊の掟で、別名、諸行無常というのである。
又、
不随の掟と言う言葉も存在する。
これは宿命とも言い換えられる。
宿命とは、魂の願いそのものである。
どのような境遇も、宿命によって発現している・・・。
宿命に生きるという事は、別に悪いことではなく、
本然の魂の願いに生きるという事であって、
私利私欲から離れて、本当の願いはそこにある。
それを知ることは重要である。
泣いても笑っても、やがて、魂との再結がある。
その時、持って還るのは、心という器官に記録された思い出だけである。
やるべきことはやったと思えるか、悔いを残すか、
二つに一つである。
これが、人生の本当の「最後の審判」であろうと思っている・・・!
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