飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

資本主義経済は、崩壊の瀬戸際!!

2007-12-28 15:28:27 | ニュース

きっと見ることとなるであろう、崩壊の成り行きを....!

 こう考えるのは、年金問題に見る迷走ぶりに、国民の関心と政府及び社会保険庁との間に、明かな温度差を感じるからである。国民の関心は、当然支 払われるべきモノが、政府、取り分け、社会保険庁の杜撰(ずさん)な管理でめちゃくちゃになったとして、怒っている。しかし、政府及び社会保険庁は、言わ ば冷ややかである。桝添厚労大臣は国民をなだめる立場であることは、先刻承知で、事大事に糾明を叫ぶ。総理は、選挙に関係する問題であるから、前向きを強 調するばかりの曖昧発言。民主党他野党は、選挙プロパガンダの糾弾質問。これがただ今の構図である。
<ボンベイの高波(記事に無関係)Photo_4

 本当は、分かっているのである。
年金はとっくに破綻している。破綻を覆い隠すためにリストの水増しをした。 中小企業の派遣パート従業員の仕事ではあるまいし、誰が名前を抜かしてPCに入力するであろうか。仮にミスしてもチャックがないと云うことがあろうか。只 でさえ、印鑑が多すぎるのが役所仕事。社会保険庁もれっきとした役所。仮に厚生労働省の2軍メンバーで設置された役所といえども、それは 理由にならない。
 5,000万件の入力ミスは絶対無い。
入力ミスを捏造したのである。何のために....。? 破綻を破綻としないために。丁度、資本主義経済が破綻すれば、戦争で御破算するように。そうとしか考えられない。

 年金は当初(昭和17年)、戦争による財政破綻を繕うために発足した。元々がそうであるから、マイナスからの出発であった。それが経済の信用創 造と共に拡大して、バブル期に絶頂を迎えた。運用使途に困る位になった。そこで、年金投資施設をじゃんじゃん造った。そこまでは良いのである。そこから、 バブルの崩壊、信用収縮から、資産目減り、少子化傾向、運用益減少、貸借逆転を覆い隠す必要があった。そのための5,000万件の入力ミスである。
 郵政民営化がそうであったように、
社会保険庁解体が目的である。そのための確定資産の帳尻合わせをしている。それが済めば、政治決着を図り、新年金制度が発足する。それは民営年金制度であろう。Photo_5 仏北部の港で暴風による高波(記事に無関係)>

 しかし、それより前に、資本主義経済がどこまで、このまま行くのであろうか。それは怪しい。ドルは崩壊寸前だし、それに連動する日本経済は無傷 でいられるはずがない。財政債務は、殆ど国債・地方債だが、外債権が御破算になれば、埋め合わせることは出来ない。結局、デフォルトとなるであろう。又、 いつか来た道である。そうなることは、誰の目にも明かである。云わないのは可笑しい。
 結局、どう繕うか、である。私は、繕うよりも破産がベターであると考える一人であるが、そうはならないであろう。破産は破滅ではない。整理である。しかし、繕うことの最悪のパターンは戦争であるから、それを危惧する。
 今、所得税に加えて、消費税という2重課税が公然と行われている。3重課税にとなるか、それともデフォルトの繕いであるところの貨幣切り替えかどちらかである。

 繕いは、いずれは綻びる。大胆に準備をし、公明正大に事実を 受け入れること、そして、キチンと整理をし新たな出直しをすること、その活力と知恵を出す努力が求められる。そうすれば未来は明るい。どうせ世界は、大規模に資本主義経済が崩壊するのだから。これは間違いない。
<銃撃戦の流れ弾を受けた亡くなった6歳の息子>
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 この崩壊を機に、一気に世界政府を樹立しようとする動きが確かにある。そのために崩壊させようとしている向きがある。経済ばかりではない。戦争 さえも起こそうとする企みがある。そのためのテロが必ず起こる。世界政府を樹立するためにはそれが不可欠だと考えている。そして、統一し支配することが人 類のためになると奢り高ぶった輩がいる。決して、愛からでなく、欲と奢りからである。それらに付け入らせないためにも、自ら早々とデフォルトを宣言して、 外債権はいっそ放棄し、大和魂で団結すれば、日本は世界の救世主になれる。

世界政府をもくろむ輩とは、

『良い結果をもたらす嘘は,不幸をもたらす真実よりいい。<古代ペルシャの諺>』と考えてい


サイババの手品? についての考察-中傷に対する反論(転載)-

2007-12-27 12:18:34 | 日本

 サイババ手品?に対する反論転載)http://www.sathyasai.or.jp/news/news040215.htmlより

 真偽は、各自に委ねられる。識別力を培う良い機会だ。どうぞ、ご自由に判断下さい。

2004年2月15日

「パンタ笛吹」の書籍
「裸のサイババ」の真偽について

1. まえがき

 サイババは色々な場面において「識別力を働かせて物事を正しく判断しなさい」とおっしゃられています。この世の中には「正しいこと」と「正しくないこと」が種々雑多に入り混じって存在しております。このような状況において、何が正しくて、何が正しくないかを見極める識別 力は真理を探究する人生において極めて重要なことです。
 数ある宗教や教義に満足することなく、サイババの教えに到達した人たちは、ここに至るまでに優れた識別 力を働かせてきたはずです。このような人たちが、「パンタ笛吹」の「裸のサイババ」によってサイババに対する帰依心に動揺をきたし或いは信頼を損なうというようなことになれば誠に残念なことです。
 そこで、冷静なる識別力を持って、この書籍「裸のサイババ」の内容を検証し、その真偽を問うてみたいと思います。

2. 口絵の写真の真偽について
 口絵の写真は書籍が何を訴えたいかを端的に表すメッセージが込められており、極めて重要な部分です。特に写 真は通常事実を有りのままに表すものですから、説得力のある証拠となります。
 しかしながら、この書籍については、この口絵の写真こそがこの書籍が如何に真実を歪曲しているかを表している証拠となっています。この口絵の写 真が極めて稚拙な合成写真であることは、以下の点に着目すれば明らかです。

(1) 添付した口絵の写真[1]、[2]、[3]の丸(○)で囲まれた部分の拡大写 真を見てください。この拡大写真ではサイババの袖口の部分および指は拡大したことによって画像がぶれておりますが、白い部分は画像のぶれがありません。最初から白い部分が写 真に写っていれば、その白い部分もぶれるはずですが、予め撮られた写真の上に着色をした場合には、写 真を拡大しても画像のぶれは生じません。従って、この写真は後から細工した合成写 真であることは明らかといえます。
写真[1]Photo_9
玉座から立ち上がるサイババの写真
玉座に座っているサイババの写真

(2) 添付した写真[2]の白い固まりはババの爪よりも大きく、ババの傍にいる帰依者の視線の角度からすると、その帰依者にはその白い固まりがはっきり見えます。この写 真[2]は写真[3]との関係からすると、ババが手を回して物質化する前の写真であることは明らかです。ところが、ババが手を回す前に物質化される物を見ることはできませんから、この写 真は明らかに事実と反し、合成写真であることは明らかです。
写真[2]Photo_10
サイババと帰依者の写真

写真[3]Photo_11
指輪を物質化するサイババの写真
指輪を帰依者に与えるサイババの写真Photo_17

(3)帰依者の方であればご存知でしょうが、ビブーティーの色は純白ではなく白みがかった灰色です。添付した写 真[4]ではビブーティーは純白で、他の部分から浮き上がって写っており、極めて不自然であるだけでなく本物のビブーティーの固まりであればこんなに鮮明な白色に写 ることはありません。また、他の写真と同様に、ビブーティー以外は画像がぶれているのに、ビブーティーとされている部分は画像のぶれがなく、この部分は後から着色した合成写 真であることは明らかといえます。
写真[4] Photo_14
帰依者を祝福するサイババの写真
ビブーティを物質化するサイババの写真

Photo_15

 以上の説明から明らかなように、この口絵の写真は全て合成写 真であるといえます。このような事実を見てもこの書籍が如何に真実を歪曲したもので、サイババを中傷しようとする悪意に満ちた書籍であるかがわかります。
 真実を最も正確に表すべき口絵の写真がこのように稚拙な合成写真からなるこの本の内容は、それを読むに値しない欺瞞に満ちたものであることを賢明なる帰依者は予測することができるでしょう。
 次に、この書籍の内容は帰依者にとっては口にすることも汚らわしい事柄を元帰依者の告白の形で掲載しております。そこで、この点について検証してみます。

3. サイババの性的異常行動の真偽について
 仏陀も、キリストも同性愛者であると中傷されたことがあります。この種の中傷は聖者にはつきものであります。これ以外に中傷する種がないということです。
 この書籍の中では数人の元帰依者がサイババから性的な虐待を受けたと述べておりますが、何の物的証拠もなく、また裁判等で公然とこのことを主張している人は誰もいません。
 一般的に「痴漢行為」の裁判ほど難しい事件はないのです。いずれの側にも明確なる物的証拠がないからです。被害者がその被害の状況を詳細に説明し、そして同じような被害を受けたと主張する被害者が複数人現れたならば、そのような告発を受けた人はたとえ痴漢行為をしていなくても裁判では不利な立場に立たされるでしょう。
 このような場合、正しい判決をするために裁判官はどのようなことを判断基準にするかを考えてみてください。裁判官は両者の過去の生活態度を判断基準にします。例えば被害者であると主張する人が、言動と行動が一致せずに平気で嘘を付くような人であり、他方、痴漢行為を告発された人が言動と行動が一致する正直な生活態度をしている人の場合には、被害者であると言う人の主張が採用されることはないのです。
 これこそが正しい判断なのです。人は行動によって判断されるのです。サイババが識別 力を持って物事を正しく判断しなさいとおっしゃっているのは正にこのようなことなのです。
 この書籍の中には誤った記載が多数ありますが、その中でも明らかに誤りであることを客観的かつ容易に証明できる記載が133頁にあります。これはP(パンタ笛吹)の質問に対して、この書籍の中心人物であるD(デビッド・ベイリー)が答えている以下の部分です。
「P でも、アシュラムだけでなく、周りの村々にもサイババ学校があると聞いていましたが?
 D 同じ州内に約百校のサティア・サイババ学校があります。ところが、そのすべては実は公立学校で、サイババとは関係ありません」
 サイババのアシュラムに一回でも行ったことがある人であれば、サイババのアシュラムのすぐ近くにサイババの小学校から大学まで多くの学校が並んで建っている事実を目にするでしょう。サイババはサイ大学の学長であり、サイババの学校の生徒はこの学校の近くの寄宿舎で寝起きして学校に通っています。これらのサイババの学校の募集要項はサイババの出版協会が発行する月刊誌であるサナタナサラチに掲載され、インド全国内から優秀な生徒が応募してきております。また、サイババの大学の卒業式は毎年サイババの降誕祭の前日に数千人もの帰依者の前で盛大に行われております。
 このことはまさにサティア・サイババ学校は私立学校でサイババとは密接な関係があることを証明しております。この書籍においてサイババを中傷している中心人物であるデビッド・ベイリー氏は長期間アシュラムに滞在しており、しかもサイババの学校で音楽を教えた経験を持っている人ですから、彼がこのことを知らないわけはなく、嘘をついていることは明らかであります。
 「裸のサイババ」の口絵の写真が真実を示していない合成写真であることは前記のように明らかであり、またこの書籍の中心人物も嘘をついていることは明らかですから、サイババの性的異常行動を告発したこの書籍の内容の真偽を一々問うまでもなく、欺瞞に満ちた作り話であることは賢明な読者であれば理解できるでしょう。

4. サイババの奇跡の真実性について
 「裸のサイババ」ではサイババの奇跡現象がトリックによるものであるとの元帰依者の告発を掲載しております。
 サイババの奇跡現象を全く見たことがない人やテレビ番組やビデオ等でしか見たことのない人、またサイババの神性を否定したり無視する人にとっては、このような元帰依者の告発はもっともらしく思われるかもしれません。
 しかしながら、真摯な態度でサイババの奇跡現象を検証した人にとっては、「裸のサイババ」の告発は全く説得力がありません。
 サイババの奇跡現象はその数と種類において無限といえるほど存在し、近年のシバラトリの祭典において、サイババの体内からリンガムと称される卵状の球体が数千人の帰依者の面 前でババの口から顕れる奇跡現象は決してトリックで行うことができるものではなく、この事実からもサイババの奇跡現象の信憑性に疑いの余地はありません。
 また、サイババの帰依者の中にはインドの元最高裁判所の長官のP.N. Bhagwati判事やRanganath Mishra判事他、数多くの裁判官が含まれております。これらの裁判官は物事が正しいか否かを証拠によって判断する最高の英知の持ち主であります。 Bhagwati判事がかつて日本で講演されたときに、「私はババの数限りない奇跡を目撃してきました」と話されていました。
 これらのインドの最高の英知の持ち主が語られる真実性は「裸のサイババ」の平気で嘘をつくような元帰依者の反論によって些かでも揺ぐものではありません。

5. サイババの帰依者の増大が真実を語る
 「人の口には戸は立てられず」という諺があります。これは、人の噂を防ぐ手だてはなく自然と広がるというものです。
 「裸のサイババ」の中にはサイババがサイ学校の生徒に、普通の灰を水で練って固めて乾燥してビブーティーを作る作業をさせているとの記載がありますが(写 真[4]の記載)、もしこれが事実であったとしたら、そのような噂はたちまちのうちに生徒から学校中、そして父兄の間に広がって、サイの学校は崩壊し、インドの帰依者は激減しているはずです。
 また、サイババがサイ学校の生徒を性的に弄んでいるといった内容の記載もありますが、もしそのようなことがあれば、ビブーティーの製造作業と同様にこのような噂も父兄の間に広がり、とっくにサイ学校は崩壊しているはずです。
 これに反し、サイの学校への入学希望者は年々増加する一方で、学生たちのサイババに対する尊敬の念はとどまるところを知りません。
 また、サイ大学の卒業式には例年インドの歴代の首相や州知事などが出席し、サイ大学を他に比類のない人間性の価値の教育を施す大学として絶賛しております。
 これこそが何よりもサイババの真実を語っております。

6. むすび
 以上のように、「裸のサイババ」なる書籍は悪意を持ってサイババを中傷し、これによって帰依者の周りの人たちに混乱を引き起こそうとの企ての下に出版されておりますが、賢明なる皆様はどうか識別 力を用いて真実を把握し、ババの恩寵により正しい道に導かれますようにお祈りいたします。

サティア サイ出版協会


サティア・サイババはホンモノか?-語る真実・行いの真実-

2007-12-27 11:48:03 | 日本

 ある人は、『サイババは手品師 であるが,そのヴェーダは別である。』と言った。だが、私は云いたい。『サ イババは手品師であるかも知れないが、サイババはヴェーダについて語る。その内容はホンモノである。また、サイババの行いはホンモノである。故にサイババ はホンモノである。』
Photo

 ホンモノである条件は、言行一致にある。知行合一とも云う。 サティア・サイババの語るところ、即ち、『サイババの御言葉』はSathya Sai Organization Japanの公式ホームページに多数掲載されている。これを読めば良い。そして、心眼を持って判断をすれば自ずと結論を導き出せるモノと思われる。しか し、読みもしないで、批判するのは理知的とは云えない。批判に値しない。
 サティア・サイババの行うところ、それは偉大な業績である。誰が無料で幾千、幾万の教育を施す者があろうか。誰
Photo_2が無料で高価な心臓外科手術を 施す者があろうか。それだけに留まらない数多くの慈善事業を(灌漑、貧民救済etc.)行っている事実を検証した上で判断すべきである。そうではないとい う事実を挙げる者が居るとすれば、承りたい。
 私は、サイババの語るところ、ヴェーダについて数多くのことを語っているが、そPhoto_3れは多岐多様であり、深淵である。しかし、つまるところ、愛に満ちてPhoto_7おり、真理の新玉を感じる。そして、対機説法で解りやすい。仏説の如く、聖書の如く真実と見た。
 そして、その事について正面から批判する言説を訊いたことがない。只、彼を手品師
と呼ぶ。それだけだ。 

 数多くの『サイババの御言葉』に中で、その批判者に対して言及している箇所がある。殆ど巷間の批判を意に掛けないサティア・サイバ バの珍しい言及であって、参考になると思うので一部を引用する。

【引用開始】(2000年12月25日。ブリンダヴァンにおけるスワミのクリスマスの御講話)(前略) 今日、サイの名声があまねく広がっている ので、多くの人々がサイを妬んでいます。彼らは自ら何らかの善行に携わるわけでもなければ、もし誰か他の人が善行をしていれば、それを我慢することもでき ないのです。ラヤルシーマ地方は、英国が統治していた時代から、ずっと飲料水の不足に悩まされてきました。たくさんの指導者や裕福な人がいたにも関わら ず、この地方に飲み水を支給する仕事を手がけた人は誰もいませんでした。ラヤルシーマ地方に住む100万を超える人々の渇きを癒したのはサイババでした。

(中略)

 こういった人たちは、サイババが社会のために行っていることの、千分の一の仕事すら果たすことができないにも関わらず、虚偽の告発に手を染めて いることを恥じてもいません。もし彼らが、サティア・サイババにしたがって、全世界に手本を示したとすれば、その方がどれほど良かったことでしょう。私に は欲望も野望もありません。私には妬みは微塵もありません。私は愛の化身です。愛は私の生き方そのものです。英知は私が授ける成果です。愛と英知の二つ が、私の生き方の基盤をなしています。

 虚偽の告発に手を染めている人々は、必ず破滅の憂  き目に会います。そのような虚偽の敵対宣伝を煽っている人々も、滅びの定めを避けることはで きません。お金は、正しい行いをするために活用すべきです。それを邪(よこしま)な目Photo_8 的に使ってはなりません。心からの愛と慈悲を込めて人類同胞に奉仕を しなさい。彼らに正しい道を進ませ、幸福の手助けをしてあげなさい。私は、人々が繰り広げるいかなる虚偽の敵対宣伝をも恐れません。真理と正義と愛の道を 守っている私が、何を恐れる必要があるでしょうか? 人々には好きなことを言わせておきなさい。私の心は乱れません。(後略)【引用終了】 

 詳しくは、全編読了されることをお勧めする。そうすれば自ずと解る筈だ。
Photo_4
 手品師
であって、悪かろう筈がない。(決して手品とは、思っていないが......)。普通の手品師も立派なエンターテイナーである。しかし、それ以上でも以下でもない。
 サティア・サイババが手品師としても、真実を語り、真実の事業を驚くスピードでこなすスーパー超人ではないか。
彼はビブーティーも、ネックレス もリングも、時にはリンガムもこともなげに無数産出し、こともなげに与えているにすぎない。そして、それを神の戯れ(リーラ)として、ことさら重要視して いる訳でもない。有り難がるのは人それぞれである。それなのにそれのみを言挙げして何の意味があろう。
 盲を癒し、ちんばを歩かし、死人をよみがえらせた故にイマニエル・イエスは磔にあった。5,000人からの食物を一切れのパンと魚から分け与 えたために、衆人の人気を博し、サンヘドリンの妬みを買った。これは若き頃、インドに周巡したイエスが得た秘法と訊く。真偽は別にして、広大なインドにク リシュナの再来があったとて不都合はない。
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 サティア・サイババは自らを、神の化身と云っている。愛の化身とも云っている。しかし、同時に人は皆、愛・神の化身とも云っている。ただ、変容のスケールが凡人と違い、サティア・サイババを量り得ないだけである。
 是非、サイババについて虚心坦懐に学んで欲しいモノである。私は、Sathya Sai Organization Japanの関係者ではない。言わば、自称、
サイババの隠れ帰依者である。 


秘密結社(陰謀団)はウソ?

2007-12-26 15:21:56 | 日本

秘密結社は、存在しないと云うが....。
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 存在を隠すから、秘密結社である。いわゆる秘密結社は、外部に対し、その存在・構成人員・目的・活動などを秘匿している団体であるから、そういう意味では数多くある。暴力団もその範疇に入るだろうし、有名なのはフリーメーソンである。
 実際は、さらに奥の院に隠された結社、組織こそが秘密結社であるが、詳しいことは後のブログに譲る。
 英語ではConspiracy(陰謀団)という。日本で陰謀団等というと、陰謀論と結びついて一派一絡げでインチキ話になってしまう。しかし、 それは証明できないからと云って、否定する無神論者と同じで、同じ土俵での議論にはならない。陰謀は明らかに存在するので、その結社は在るかと云えば、在 るとするのが順当であろう。只、何せ秘密であるので、その実態を解くことが難しい。多くの場合、論者の推測が度を越して、独断に至ることが多いのでインチ キ話となってしまうのであろう。また、隠す方は隠す方で、攪乱の情報(ディスインフォメーション)を出してくるので、いよいよ以て混乱してしまう。
 インチキ陰謀論は埒外として、追求すればするほどConspiracy(陰謀団)は存在するとしか思えない。それも、相当に強力な、根が深 く、広範なGlobal Conspiracy(国際陰謀団)が存在することの確信を持った。それでなければ、つじつまの合わないことがあまりに多すぎるのである。

 私の関わりは、20年前、山陰基央著『日本の原則』と言う本で、『シオンの議定書』の全文に触れることに始まる。
『シオンの議定書』は、偽書と 云われているが、今から考えてもその内容は現今の世相を如実に描き出している。発見されたのは、ロシア革命の直前である。であるから、書かれたのはそれ以 前である。一部を引用しよう。

(前略)政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿するにある。外交官は言行一致してはならない「のである。

 ゴイムの政府は、すでに完成の域に達しつつある、われわれが練り上げた大規模な計画に沿うように行動させなければならない。何によってかといえ ば、いわゆる「強国」と称する手段を使い、ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってである。「強国」の世論、それは新聞である。その中には、 ごくわずか例外はあるが、すでに完全にわれらの手中にある。

 ヨーロッパにおけるゴイム政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃してわれらの強力さをすべての国に見せつけることにあり、も しもわれわれに対して総決起することでもあれば、われわれはアメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するだろう。(後略)※ゴイム:異教徒、ジオニ スト以外


 これが、100年以上前に書かれたモノだとすれば、いかなる予言書より、具体的で的確である。まさしく、世の中はこの100年間、この書に沿っ て歩んできていると、オドロキを禁じ得ない。(詳しくは、
シオンの議定書をキーワードで検索すると、ネット上で、必ず、全文入手できる。全文掲載すること もたやすいが、かなり長文となるので、各自入手されることを希望する。)

 
『シオンの議定書』は、シオニズム運動の言わばバイブルである。シオニズムはGlobal Conspiracy(国際陰謀団)の基本戦略である。是非、一読をお勧めする。シオニズムの戦略家の第一任者は、ズビグニュー・K・ブレジンスキー 元米大統領補佐官である。この事は、余人が認めるBrzezinski_1977_2 ところである。ロックフェラー直属の彼は、昨今、次期大統領候補のバラク・オバマ民主党上院議員の外交問 題顧問に就任した。 下記は、彼の発言である。

  もしアメリカで再びテロ攻撃が起きれば、軍事行動を支持する大衆ヒステリーを巻き起こすために、イラン関与という嫌疑がすぐにもかけられる だろうと確信している」(If there is another terrorist attack in the United States, you can bet your bottom dollar that there also will be immediate charges that Iran was responsible in order to generate public hysteria in favor of military action.  by Zbigniew K. Brzezinski) 

 イラクにおける失敗は(イラン戦争というシナリオの)規準を満たしている。その失敗をイランに責任転嫁して非難したあとは、次いでイラクでの挑 発行為、もしくはアメリカでのテロ行為をイランのせいにしたあげく、ついにはイランに対する“防衛的な”米軍事行動となる。それは結局のところイラク、イ ラン、アフガニスタン、パキスタンの全域にわたって広がる深い泥沼の中に孤立したアメリカを陥れるものである」( Iraqi failure to meet the benchmarks, followed by accusations of Iranian responsibility for the failure, then by some provocation in Iraq or a terrorist act in the US blamed on Iran, culminating in a 'defensive' US military action against Iran that plunges a lonely America into a spreading and deepening quagmire eventually ranging across Iraq, Iran, Afghanistan and Pakistan.  by Zbigniew K. Brzezinski)

 この発言は、彼はは9.11WTCテロ、イラク戦争、そしてイラク混迷、さらに、これから危惧されるイランに対する攻撃、そのための第2のテロ 攻撃についても、明確に説明しきっている。ということは、一連の主謀者は、彼、ズビグニュー・K・ブレジンスキー その人であることを自白したようなモノではないか。

ティッピという女の子④

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お金がお金を生む仕組み!

2007-12-25 20:40:23 | 日本

『金持ち父さん、貧乏父さん』のマジック
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 一頃、ベストセラーになった本である。いまも強い信者がいると思われる。その中に、お金持ちになるには、お金を働かすことだと断言している。それは至言である。現在の貨幣経済のマジックはその事である。
 マネーは、言わば経済の血液の様なもので、価値をマネーという物差しで量り、交換する手段としては便利なモノだ。その交換手段が、交換手段に留まらず、マネーその物が価値あるモノのようになってしまった現在の状況は、何がそうさせたのであろうか。?

 お金に金利がつくシステムと、信用創造のシステムである。これは誰が決めたか。無論、人間である。詳しく云うと、ユダヤ人である。そこから、お 金は交換手段に留まらず、それ自体が独立した価値を主張し始めた。そもそも交換手段のみの役割であるならば、人はお金そのモノを欲しない。お金によって交 換される物であるとか、交換されるサービスを欲する。
 金利が付くと云うことは、お金が自動的に増えることを意味する。雨が降っても、嵐が吹こうと、火が降ってもである。故に金貸しが発生する。銀行が発生したのである。貯蓄が好まれる。
 世の中には、金を借りようとする人間と、金を貸そうとする人間のどちらが多いのであろうか。? この原理であるから、当然、圧倒的に金を貸そうとする人間である。??? 銀行の数より、圧倒的に預金者が多いでしょう。!!!
 銀行は、当然考える。銀行も貸したい。貸さねば、増えない。預かったお金を貸すだけでは、たとえ預金金利より高い金利を付しても、大して儲から ないことはアキラか。そこで考えた。この預金はすぐには、引き出さないだろう、だったら、2倍3倍.....出来ればもっと多く貸すことが出来れば、簡単 に儲ける。10倍だったら大もうけ。100倍だったらぼろ儲けである。
 これを、普通の人がやれば、預かったお金の範囲でも、業務上横領である。それ以上であれば、詐欺罪。しかし、法律で認めてしまえば、罪には為 らない。これが法定準備率制度である。その銀行が、中央銀行、アメリカでは連邦準備制度銀行(FRB)である。中央銀行は表向き国立。連邦準備制度銀行 (FRB)は民間銀行である。

 建前はこうである。世の中には圧倒的に金を貸そうとする人間が多いと云っても、いくら何でも元までなくしてしまうのでは、誰も預ける者はいな い。不安があれば、預金を引き出す者もいる。そこで、銀行の中の銀行、中央銀行を創り、各銀行間で預金を万が一の時(取り付け騒ぎ)は融通し合うこととし た。最終的には中央銀行の奥の手(紙幣の印刷)でその場を凌ごうとしたのである。大数の原理である。
 当初は、紙幣を、金の保有でもって担保したのであるが、今は一切ない。
 前述の『金持ち父さん、貧乏父さん』の最初の下りで、金持ちになるためにはどうしたらよいかと思案した筆者の子供時代の話。硬貨を自作したとい う話があるが、あながち間違いではない。只、唯一その権能が中央銀行に許されているだけである。それ以外では、如何に精巧でも偽金(ニセ札)、犯罪であ る。

 高名と言われる経済学者にユダヤ人が圧倒的に多いのは、このシステムを確立するがための後付理論を後生大事に創作したからだ。本来の経済(経世 済民)を科学するのとはまるで違う。economyとは節約・倹約の意味であって、どこに経世済民の意があろう。隠すという意もある。本来は、如何に隠れ て省力的に富を増やすことが出来るかという、秘伝である。経済学者にウソが多いのは本来の性である。福沢諭吉の翻訳の間違い、と言うよりか、魂胆が透けて 見える。
 ユダヤの悪書『タルムード』には、同胞からは金利を取ってはならぬとある。しかし、異邦人(ゴイム=ユダヤ人以外、家畜)からは金利を取って もよいと云っている。聖書も、コーランも金利を禁じている。ユダヤが旧約の民ならば、同じ筈であるが、今や『タルムード』のサタニストである。(全てのユ ダヤ人ではない。サンヘドリンの末裔のみ)

 
 金利がないと、預ける者(貸す者)がいない。富が集まらない。富が集まると増やしたい。借りるカモを創らなければならない。そこで economyが始まる。economic活動とは、畢竟、借り手を創作する作業を云う。経済学は、マジック工学である。殖産興業も然り。マーケッティン グも然り。然り、然りである。対立と抗争、つまり、競争原理はそこから発生する。競争があるから、進歩があるというのは本当であろうか。競争があるから、 economyが始まる。というなら、然りである。真の進化は、共生の中にこそ生まれる。競争の中に生まれるのは、間違いなく虚勢である。虚勢を鼓舞すれ ば、借り手を創出する。宣伝は消費のための戦略。必要なものを消費する中には、大量消費は発生しない。究極の大量消費(大量破壊)は戦争である。
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Mm20071012205401715l0  いま、世界は富を増やすために、最後の足掻き(あがき)にくれている。飢えに苦しむ多数の人々を尻目に、ごく少数の金持ちは博打に明け暮れてい る。信用創造によって蓄えた富を、さらに倍率を高めて、証券・債権市場をいくつも創設し、ゼロ・サムの賭場を形成した。これらは明白な虚業である。それで も飽きたらず、地球温暖化を演出し、一方では戦争という環境破壊を推進しつつ、二酸化炭素排出権売買市場という賭場を新設しつつある。
 二酸化炭素排出権売買をして、二酸化炭素が減ると云うことがないことぐらい、小学生でも判る。排出権を買った方は減らず、売った方はそのま ま。当たりまではないか。金が懸かるから減らそうと云う意識が作用すると云うかも知れないが、それは理屈というモノである。減ったら減ったで、排出債権は 紙屑となる。そんな市場は、創る意味がないではないか。

 こんな道理を、大の学者が、官僚が、政治家が判らぬ筈ないではない。考えてないか、欺しているか、ウソを承知の演出以外何ものでもなかろう。

ティッピという女の子③


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