遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

「星」ドーデーの水車小屋だよりより

2010-12-16 18:09:55 | 朗読

Img_0209 カットは

カオちゃんのコラージュ

この色使い

もう

何とも言えない

 

パクって

パッチワークやりたい

 

ところで

ドーデーはどーで~~~?

ちょっと 

Img_0217 このお話

読むのを諦めていたが

三月に読むことに決定!

今日の講座で読んで

先生のお許しも出たし

クッキーママの反応を見たら

私 恋のお話 

読めるかもしれないと

地震がわいてきた

違う!自信!

 

私には もはや初心な幼心もなく 恋心もなく

なんかなあ そんなのねえ   決めちゃダメよね

 

そこにいるだけで幸せ

そこにあるだけで幸せ

じっと眺めているだけで包みくる美しい思い

そういう世界に行っちゃおう

コメント (3)
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ダイアローグ イン ザ ダーク

2010-12-16 13:35:39 | 朗読

Did_logo_2 今日の朗読講座で

この話を聞いた

視覚を遮断して

感覚が研ぎ澄まされる

視覚以外の感覚

意外に

障害を持ってないか?

という話

 

見えるために

わかった気になって

かえって

感じられなくなっている

という話

1011_1昨日は

ギャラリーTOMで →の本を手に入れ読んだ

言語が 視覚を阻害していないか?

という話

見えているから

言葉でくくるから

わかっているような気がする

落とし穴

ということで言えば

同じ話だ

 

子供の成長というのを考えるときも

発達の筋道とか 考えるけれど

個体としての人間の発達と

知らず知らず考えてたな

 

右の本では

デザインを美術教育に取り入れるとき

コミュニケートするという 表現のとらえ方が

色々書かれてあった

 

カンディンスキーの展覧会を見てきて

青騎士が出るころの様子がいくらかわかって

物事が解明されていくときの多様性に圧倒されているところだ

抽象画が出てくるとき

1910年代 ヨーロッパでは キュビズムの嵐は若い芸術家を巻き込んで

そこを通らなかったものは  ないかも  というほどだったらしいけれど

カンディンスキーは キュビズムは通らない

どこから

抽象化が立ち現れたんだろう

考えてみれば

キュビズムはたぶんに言語的?知的な分析だけれど

カンディンスキーはモネの積み藁に衝撃を受けたって

それの具象ではないところに 一撃を食らったらしい

私は ちょっとわからない

もしかすると カンディンスキーは共感覚の持ち主だったからな

シェーンベルクの音楽も絵画を生み出したみたいで

実際シェーンベルクの音が鳴り響いたら

あの黄色が広がったんじゃないかと思う

私には共感覚はないからわからないが

K8

この絵よ

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