黙々と
運動をすると
セロトニンが
生成されるという話を聞いた
憂鬱なとき
延々と泳いで
気分がよくなったことがある
頭のなかが
暴走している感じで
泳ぐと
単調なリズムが
余計な思考を追い出す
そういう効果があるんじゃないかと思ったら
黙々と歩く
黙々と単調な運動をすることで
セロトニンが脳内に増えるという実験があったそうだ
だから お山を散歩して
お花の名前を調べたり 野鳥観察をしたり
それは セロトニンとは関係なくなるという
私 それ 実感
週に一回は川島のプールに泳ぎに行き
1キロ泳ぐ
これ
私の要求 すっきりする
本日すっきりしてきた
おばさんに週二回温泉休みと 躾けなきゃ
と言ったら
態度に表れるとまずいからそういうことは考えるな と言われたが
おばさんには水曜と日曜は温泉にはいかない
というのは 定着したよ
ま おばさんは温泉に行くのは
私が泳ぐのに付き合ってるつもりだから
「今日は川島に 思い切り泳ぎに行く!」と言えば
「行っておいで」というよ
おばさんとプールに行くときは
500メートルくらいしか泳げないから
だから 欲求不満というのではなく
泳いでいる間中
おばさんの位置を意識し
おばさんにぶつかるような人がいれば飛んでいき
というふうに
泳いでも 黙々とマイペースではないから泳いだ気がしない
黙々と
というのは
人間の精神に大事なことなのよ
だから
話しかけてくるおじさんとかね
水中ウォーキングを友人とおしゃべりしながら楽しむ人は
目的が別なんだわ
私が話しかけられるのを嫌うのは
わがままじゃなく
私の本能が すぐれていたんだと ウフフ 思うよ
この本能があるので
鬱にならなくて済んでいるんじゃないかと思う
たぶん おばさんも歩く様子は
恐ろしく真面目くさって 黙々と歩く
愛想はいいから
話しかけられてもうるさがったりしないで話してはいるようだけれど
歩く風情は 話しかけるのはちっとはばかられるオーラはある
人と一緒に楽しむ ということもできなければ いけないけれどね
お散歩も 目的付きのも楽しいことは楽しいけれど
単調なリズムの効用というのがあると分かってほっとした
作業でもそういうのにはまるのが好き
というところがあり
自分は
ジャンキーな性質か?と内心不安だったもん