遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

世田谷美術館に行った

2012-08-09 20:18:16 | 展覧会情報

今日は急いで銀行に行かなければならない用が有り

(田舎にはつくば銀行や常陽銀行はあるけれど

他の都市銀行 なかなかない)

ついでに九段の件の用足しもして

幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて―

と 久しぶりに 二コリを買った  イっヒッヒ

それで足せる用事は 時間的に あと一つ

お墓詣りにしようか

世田谷美術館に行こうか

迷ったが

来週また都内に出なきゃならないから

お墓は後回し

九段から半蔵門線で用賀に出れば行けるからな

世田谷美術館に行った

 

この間 車で松原に行った時行けばよかったんだがな

遠距離運転でビビッていて行かなかった

美術館はちょっと不便なところにあるんだ

Img995

このポスターの右下のは近代美術館にあるんだが

近代美術館に言ったって見られるわけじゃないんだもの

ああ!見られた

意外と小さい

クルトシュビッターズの コラージュ

とても素晴らしい

惚れた

Img996_4
こんな画像じゃあ

魅力が伝わんないよ!

カンディンスキーやクレーやもあった

Img997_2


こういう

プロレタリア何とか

みたいな出版物の表紙絵って

私が若者のころは

古臭く ワンパターンに見えたが

あるころから

斬新かもと思ったりした

様式化したと言えば 様式化しているけれど

一堂に集まった

さまざまな印刷物の意匠を見ると

クルトシュビッターズ達の影響下にあるとはいえ

描かれた年

私の父が20代

八木一夫もその時代だ

大正時代って

ホント モダンだったのねえ

Img_1342


ここは 美術館からレストランへの通路

左手にあるのは

カオちゃんのお父さんの

若林 奮氏の作品

前に世田谷美術館に来たのは

若林 奮氏の遺作展だったかな?

そのレストランで

一人お茶した

Img_1344

さて 帰る段になって 困った

バス停を間違えて

無駄に歩き

しかもバス一時間に一本くらいしかない!

タクシーも来ない

だいぶ うろうろした

ここは環八沿いだからな

やはり車で来る方がいいのだよ

東京は遠いなあ

コメント (2)
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直立不動の少年の写真

2012-08-09 02:03:12 | 原発

この写真のことをあちこちで見たが

写真を目にしたのは初めてだ

Syounen

この写真を撮ったのは

進駐軍の兵士ジョー<wbr></wbr>・オダネル

被爆直後の長崎だそうだ

以下は兵士ジョー<wbr></wbr>・オダネルの語った言葉

「佐世保から長崎に入った私は、<wbr></wbr>小高い丘の上から下を眺めていま<wbr></wbr>した。
10歳くらいの少年が歩いてくる<wbr></wbr>のが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼<wbr></wbr>子を背中にしょっています。
しかし、この少年の様子ははっき<wbr></wbr>りと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場に<wbr></wbr>やってきたという強い意志が感じ<wbr></wbr>られました。
しかも足は裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、<wbr></wbr>硬い表情で目を凝らして立ち尽く<wbr></wbr>しています。
少年は焼き場のふちに、5分か1<wbr></wbr>0分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむ<wbr></wbr>ろに近づき、ゆっくりとおんぶひ<wbr></wbr>もを解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに<wbr></wbr>死んでいることに初めて気づいた<wbr></wbr>のです。

男たちは幼子の手と足を持つとゆ<wbr></wbr>っくりと葬るように、焼き場の熱<wbr></wbr>い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジュー<wbr></wbr>という音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっ<wbr></wbr>と舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立<wbr></wbr>不動の少年のまだあどけない頬を<wbr></wbr>赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように<wbr></wbr>見つめる少年の唇に血がにじんで<wbr></wbr>いるのに気がついたのは。少年が<wbr></wbr>あまりにきつく噛みしめているた<wbr></wbr>め、唇の血は流れることなく、た<wbr></wbr>だ少年の下唇に赤くにじんでいま<wbr></wbr>した。
夕日のような炎が静まると、少年<wbr></wbr>はくるりときびすを返し、沈黙の<wbr></wbr>まま焼き場を去っていきました。<wbr></wbr>背筋が凍るような光景でした」

http://27.pro.tok2.com/~odonntoya8682/sensou.html

ここに行ってみて

福島に日本軍の原爆製造研究施設が有り

ウランがあるということも初めて知った

 

コメント (6)
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