遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

古畳のこと

2012-08-14 20:39:37 | ただの記事

ちょっと調べてギョッとした

古い畳を 堆肥にするとき残留農薬は?という項目があって

畳は 寝転んだり子供が舐めたりしても大丈夫なようにできている

害虫を薫蒸するにしても蒸発しても燻蒸剤は蒸発しているから心配ない

と書いてあったので

ふうん そうかと思ったら

ええ!?

そういう藁を刻んだ飼料から残留農薬が出たということがあって

以下のようだ

http://kashikyo.lin.gr.jp/network/noyaku/14-185.pdf

ぎゃあ !!

と思って

残留農薬を調べないと堆肥にできないんだよ!

と武蔵に注進したら

堆肥を作っているところの囲いに使う

里山の歩く道を作るのに敷く

ハンモックで昼寝するところの下に敷く

藁床そのものを堆肥にはしないから安心しろと言われた

そういう農薬の使用が禁止になったのは

1971年だそうだ

今日持ってきた畳はたぶん1956年くらいのものなのだよ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の東京行き

2012-08-14 18:30:46 | ただの記事

昨日おばさんが

お墓にお迎えに行くのに提灯を忘れて

おばさんが かなりショックだったようだけど

(彼女は用意周到

ものすごく几帳面で しっかりもの)

私も武蔵もかなり抜作で

しょっちゅうドジをしているので

おばさんには 救いだと思うんだ

完璧主義の人に 愚かな若者は 薬でしょ?

なーんちゃって 自己弁護

今日も家を出て

しばらく行ってから

忘れ物発見

「戻ってえ!」と取りに帰った

さて 今日の東京行きは

畳を取りに行ったのだ

ぼろの畳を 畑の肥やしにするために

行った

借り物の軽トラに武蔵はえらく感激

エアコン付きで ターボエンジンがついている

いま我が家にあるのは貰い物で4Wではあるもののがたがた

エアコンなし 今日は雨が降って涼しかったけれどね

その軽トラにナビはないけど 生きナビの私付だよ

 

守谷のSAで調べたら外環で行くほうが空いている

私は美女木から入る首都高は

前に一度は知ったとき怖かったから二度と行きたくないが

今日は私は運転しないから

その道を行った

板橋本町で環七に出た

これが正解だった

その道を都心まで出て

池袋を回ると渋滞があったので

時間がかかってしまったと思う

古い家は畳を外して 床はコンパネを貼っちゃうのだけれど

その畳を はがして見て 喜んでいた

ボロボロの畳だが

昔のものなので藁床だから いいのだそうだ

畳表を取り替えれば新しい畳になりそうだった

畳が地に還り 豊かな土になるといことは

出自が農家の社会科の先生が

学校の農園を作っては畳をもらってきて敷いたりしているときに聞いて

私も知っていた

(すごいだろう!コメのなる木を知らない東京っ子の割にはね!)

さて畳を軽トラに積んで 縄で縛りつける その技

クマさんがすごかった

もう 息子なんか憧れの眼差し

方向音痴の武蔵のために

環七の曲がり口を教えてから

私は高円寺で降りた

そのあと ここまっすぐで 板橋本町だな?

と確かめている!!!全く

(板橋本町を右に行った方に私たちは住んでいて

左に行った方の病院で二人の子供は生まれて

何回あそこの道を走っているんだよ! 全く)

そこから私は

浅草の わが実家のお墓に行った

あああ 花屋さんお盆休みでお花を買えないわ!

しかし わが家のお墓にもお花が供えてあった。父方の従兄弟が供えてくれたようだ。

その従兄弟の家のお墓に私の肉親の方の父は入っているのです

一人っ子の私が遠くに行っちゃって

お墓参りにあまり来れないのだなと思って

ときどきこうやって お花を供えてくれるのに出会う

お寺の奥さんは 病気で手術なさったそうだった

幼馴染の前の住職は もう亡くなってしまったし

だんだん われわれが 消えゆく世代になって来た

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教と畏敬の念

2012-08-14 05:21:52 | ただの記事

私は子供の頃無宗教で育ったので

日本人で 仏教的な生活習慣というものがないので

色々非常識なのです

私にとって今でも魂の存在も信じていないし

葬式にまつわるいろいろなことは嫌いですが

今ある仏事はすべて 生きている人が

(私の場合おばさん)

自分の死後 とんでもなく粗末に扱われるのでは?

思わないで安心してくれるようにしたいと思っているのです

宗教行事を通して

人が結ばれていくということもあるわけだし

また えらく人を支配するものでもあるけれど

仏教そのものには関心があって

ものの考え方とか よくわかっているわけではないけれど

ときおり

考えてみたくはなる

この原発事故を巡っても

科学的ないろいろな方法が

自然に対しての人間の傲慢さに結びついて

えらいことになったわけだし

宗教だって 人間の傲慢さと結びついて

人々を支配し苦しめることになって来たのは

おなじだな

村のお盆なんか

素朴なものだけれど

 

今年は 新盆が多い

神道やキリスト教の人もいるから

なんだけれど

亡くなった人を偲ぶ その思いをエネルギーとするなら

今日本列島は

死者を悼むエネルギーが 列島を揺るがして悲しんでいるよ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする