8月22日 9月10日
予約できたよ
役所仕事みたいに担当はあちらこちらと
あちこち電話したゼイ
偉いなあ私
これは べらぼうにおいしい
ピーマンいっぱい採れないの?
と聞いたら
そんなにと成るもんじゃあねえ
とか言ってたくせに
昨日いっぱい採ってきた
前からこれを作りたかったんだ
「どうだ!私 料理の天才だろう!?」
といったら 確かにこれはうまい
と納得の様子だ
って へへ なんの技があるわけでもないんだよ
素材がいいのさ
そう言うと 私を偉いと思わないから
そうは言わない ヒヒヒ
残念なのは 歯ごたえがいいのでね
おばさんには硬過ぎるだけれど
歯ごたえも味のうちだし
ところがさ
今ピーマンの苗が安くなって
一本50円だ
いっぱい買ってきて植えるか?
一杯採れっとお!?
というのだ
家族三人しかいないんだよ
程というのを知らないから
ホント
男って駄目ねえ
この本の中に
そういうくだりがある
世紀末から 現在の原発爆発までの歴史を考えると
発狂した
というとらえ方
実感ではある
あの地震の時
地球が脱線した
と思ったが
世界が脱線したのだな
第一次世界大戦のヴェルサイユ条約の結果
世界は発狂することになったというのだわ
もはやこれまでの戦争とは違う
質的に違う
それが無差別都市爆撃だというのだ
その最初が ゲルニカの ナチス フランコ イタリアによるこの爆撃だった
ピカソのこの絵について
安富氏の論調は
ピカソのこの めちゃくちゃな表現方法
ぶっ壊れてしまった形でしか怒りを表現できない
そういう風に描いてあったと思う
ピカソのことは
すごいな
と思っては来たけれど
発狂してしまった世の中への怒りで
ぶっ壊れた表現
という風に考えたことがなかったけれど
素朴に
ピカソってわけわかんないとか
変な絵
とか
言う人は多い
それ 本質を突いた感想かもしれない
現代は
発狂の一途をたどって
ぶっ壊れた
安富氏の本の中の
経済のことは
私にはわかりにくいことが多いけれど
この発狂のすえ
警鐘が鳴っている現代を生き抜くためには
本気で狂っている人
(私の旧姓と同じ苗字の人とか)
頭がよすぎて馬鹿な人を 見抜かないといけない
増税法案が通りそうだけれど
うんと数の多い
貧しい人々が
ますます小さくなっていくような仕組みを強行していくと
ますます経済は硬直して立ちいかなくなるだろうよ
そう考えると
谷口恭平の ゼロ円ゼロ円 という表現は
エエジャないかみたいな
?
幕末のエエジャないかはちょっと違うか
弱者の感性というのが
世の中を救う感じがする