石油資源を巡る欲の突っ張り合いで領土問題
こんなもの冷静にきっちり外交手腕でやって行けばいいのだ
今日は終戦の日だよ
日本は戦争は放棄したんだからね
今一番の危機
福島の後始末もできないで
多くの子供を危険に陥れておいて
気をそらせるんじゃないよ
テレビには眉に唾をつけてみないといけない
もう古代から
そこは俺様の領土だ
というやりあいで
どれだけ人が殺されてきたか
テレビは人心を手玉に取りそうだ
石油資源を巡る欲の突っ張り合いで領土問題
こんなもの冷静にきっちり外交手腕でやって行けばいいのだ
今日は終戦の日だよ
日本は戦争は放棄したんだからね
今一番の危機
福島の後始末もできないで
多くの子供を危険に陥れておいて
気をそらせるんじゃないよ
テレビには眉に唾をつけてみないといけない
もう古代から
そこは俺様の領土だ
というやりあいで
どれだけ人が殺されてきたか
テレビは人心を手玉に取りそうだ
息子が住み始めた家は
家族の最後は母が一人で住んでいた
娘が生まれた時は
産後私は母に面倒を見てもらっていたので
娘はその家で生後20日ぐらい暮らした
息子の時は息子が長く入院していたので
実家にはいかなかったのだ
しばらくして母は体を壊して
私たちと暮らすようになった
まさか 崩壊するような家に
孫が住むことになるとは思いもよらなかっただろうなあ
その家の上の方の棚から
べっ甲縁のハンドバックが出てきた
と言うんだが ハンドバッグにべっ甲ブチなんか付けるか?
プラスチックだよ
その中にレシートとメモが入っていたというのだが
メモはばあちゃんの字だという
たしかにそうだ
私の友人宅の住所と電話番号だ
どうやって調べたんだ?
名前はお兄さんの名前だ
レシートは1969年のものだから
私 家出中だわ
ははあ
ハンドバッグもつ人だったのだ
私はハンドバッグ持たない
リュックで歩くもの
この写真は 亡くなる6年前
孫とラムネ飲んで嬉しそうだ
私より三歳若い
父の13回忌の時だ
これ雷門のところだもの
法事のあとは浅草の麦とろでご飯を食べた
今日がポツダム宣言受諾の日かと思ったが
それは昨日なのね
今日は玉音放送があった日
まるで天皇のおかげで戦争を止められたみたいじゃないか
ちょっと腹立つ
戦前の人は
天皇陛下というだけで
ぴしゃっと気をつけをして言うんだった
赤紙は天皇陛下の名のもとに兵士は招集されたんだからね
だいたい もっと早く終わらせれば広島の 長崎の悲劇は避けられたかもしれないのに
遅いんだよ
・・・
歴史は繰り返すかもしれない
つべこべ言って
原発を止める方向に行かないこの国
何が何でもプルトニウム保持かよ!
尖閣諸島や竹島問題なんかで
気をそらそうとしているようなこの国
もう
やめてもらいたいよ
戦争を商売にする動物なんだろうか
人間は
日本人ってご先祖様ってよく言うよね
これって仏教国の特徴だろうか?
西洋ではどうなんだろう?
お墓の写真はよく見るけれど
お墓参りについてあれこれ書いてある小説って
あったっけ?
↓が私を育てた父だけれど
この人は自分の父親の位牌も遺骨も ほったらかし
木更津というところに預けっぱなしだった
私の母は 先祖は大事にしなければいけないという
普通に素朴にそう思う人だったようで
この父と結婚した後
説得して木更津に預けてあったのを取りに行った
私は幼児だったので
詳しくは覚えていないけれど
その木更津行がこの父にはすごく負担で
飲んで酔っ払って 大変だった
(思い出した 熱も出て 朦朧だったんだ)
舟に乗って行ったんだけれど
幼児の私は生まれて初めての船酔いで ひどく苦しかった
ともかく母が説得して 御位牌は仏壇というところに収まった
(この仏壇 のちに父が怒り狂って 叩き壊してしまった)
遺骨がどうなったか知らない(たぶん今は浅草のお墓に入っている)
この父は先祖とか仏様とか考えるのも嫌いだったので
親類縁者と付き合うのも嫌いだったので
いつも飲んだくれては自分は天涯孤独なんだ
とわめいていたのだわ
この父は 祖父の一人っ子で
祖父は故郷を出奔して外国航路の船乗りになったので
そちらの方とも親類づきあいはなく
私の母方の親類と付き合うのもひどく嫌がった
だから 私も 親類づきあいというのをあまりちゃんとできない
田舎に来ると 周りが親戚だらけでびっくりしちゃう
しかも 私はみんなのように思い出は共有していないのだから
冷淡なものよ
後からの解釈だけれど
この父は
私や母を独り占めにしたかったのだと思うよ
だから それを脅かすような うるさい親戚は嫌いだったのだわ
今思うとそういう父を母はかわいそうでかわいそうで
仕方なかったのかな
母自身 家族に恵まれてはいなかったからな
それでも 私が小さいころ (知らなかったのだが)
父方(血縁の方)の祖父がよく泊りがけで遊びに来た
母にとっては伯父でもあるその人
戦死した息子の忘れ形見の私に会いたくて来たんだな
で私がこの父と仲良しで 父をおもちゃにして
よじ登ったりいたずらしたりじゃれたりするのを見ては
「お父さんの上によじ登ったりしてはいけないよ
敬わなくてはいけないんだよ」というようなことを言って聞かせてくれたけれど
私はいい気になって
いいのいいの お父さんは平気 こうやって遊ぶの
と めちゃくちゃにじゃれまわっていた
その祖父に対して この父は心が穏やかだった
他の親族には なんだか棘のある感情を持っていたのに
不思議だ
相性がよかったのかもしれない
祖父は 人を蕩かす才能があったのかもしれない
記憶というものは
後で創造されてしまうかもしれないけれど
思い出すことを考えると
幼児って 侮れないほど大人を感知するよな
明日はこの父の命日だ