遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

意に沿わぬこと

2014-07-06 09:08:44 | ただの記事

まったく 70にもなってやっと訳が分かった

親族のごたごたを見て

色々考えちゃった

なんで こううまくいかないのか

そうだ 親族だと意に添わなくても義理でやらねばならないことが多いから

しまいには腹にたまってこじれるのだな

わたしは肉親と肉親じゃないのとの間に問題が起きるかと思ったが違うな

ずっと昔

私が赤ん坊のころ父方の継母の田舎に疎開したことがあった

わたしの記憶では黒い色の木の天井に穴が開いていて

そこに梯子がかかっているのだ

田舎って天井に向かって梯子がかかっているよなあ

今我が家にも梯子があるが それはここに納屋があったとき

納屋のロフトに上がる梯子

そこには 藁が蓄えてあって

子供たちは ハイジの世界だ!といって大喜びで藁にもぐって遊んだ。

わたしには覚えがないが その疎開先で

いなかの婆ちゃんがこっそり赤ん坊の私をつねったのを見てしまった

母は 頭にきて私を連れて空襲の激しい東京に帰ったそうだ

赤ん坊をつねるか? 母がおかしい記憶を持ってると持ったが

今にしてみると分かった

母の兄弟たちは早くに両親を亡くしたので

12人きょうだいのうち三人は

両国のおじさんの家で育った

おじさんには二人男の子がいて(そのうちの一人が戦死した父だ)

奥さんを亡くしたので後妻さんをもらいその人に女の子がいた

その後妻さんはうじゃうじゃいる子供にうんざりだったのだろう

ましてや 相方(おじさん)の子じゃない子まで!

(第一昔の結婚は愛あって結婚かどうかわかったもんじゃないし・・・)

というのが本心だって モラル上そうはいかない

まして戦火が激しくて皆が大変な時に

疎開させる義理だけで 興味関心のないのまで引き受けるなんて

あったまに来る  と 赤ん坊にあたったのよ 多分

わが武蔵も疎開っこだ

ここ田舎は武蔵の母の故郷で疎開してきたのだが

戦争が終わる少し前に武蔵の父も死んじゃった

途端に武蔵の母は 田舎の厄介者になってしまったので

(武蔵の母はそうは思わない 何しろ長女様で 威張ってたのだ)武蔵は幼心に

子供社会の中に入り込むために

もう 大わらわで 人の尻馬に乗って 仲間に入るために心を砕いた

という

これが習い性となって

仲間作りがうまいのだ

世間の人は なさぬ仲は愛がないと勝手に思うけれど

それは違うと思う

私となさぬ仲のほうの父は ひどい親子関係を築いたが

なさぬ仲だったせいじゃない

意に添うように我を張る二人が激突しただけだ。

閑話休題

今 蕗の皮剥きにえらい時間がかかった

映画市民ケーン

見られるくらい時間がかかった

市民ケーンは若いころ すごく話題になってみたが

当時何を感じたか忘れた

今回は

この新聞王ケーンが 自分の意に添わせようと

求め求めて生きていくけれど

金で意に添わせられるもの以外は空しく

愛を求めて得られない話だった

意に沿わないことはしない

自分以外の人間を意に添わせようとしない

という教訓を得たが

ヘヘヘ

自分の意に添わせるため

手練手管の修錬にも励もうと思った

まずは蕗をねじ伏せてやる!

一作目

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コメント
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