好きな作家のひとり 米原万里さんの
終生ヒトのオスは飼わず
図書館で借りてきました。
私、この本をずっと誤解していて 「ヒトのオスは飼わないの?」と
混同していました。
それで、2007年の出版なのに読んでいなかったのです。
米原万里さんは 2006年に亡くなっていますから、死後に
雑誌に連載されたものが出版されたのでした。
似たようなタイトルだったので、てっきりもう読んだものと思ってしまって。
米原さんは、のら猫や保護されて殺処分されそうな犬を何匹も
引き取って大切に飼っていましたが、この本はその飼い猫、犬騒動記
のような内容でした。
それぞれの猫ちゃんやワンコのエピソードが楽しく、また悲しく語られています。
まるで、人間の家族のようです。
というよりは、人間よりずっと純粋な心の交流のように感じました。
ことばは交わさないのに会話しているような場面もありました。
特に猫は、脳が人間に似ていて、人間の前頭葉を取ったら
猫の脳になるそうです。
道理でね~、人間ぽいですもんね~。
米原さんの文章は洗練されていて語彙も豊富で
テンポもよくて、全く嫌味がなくさらっと読めてしまいますが
大事なところはしっかり心に残ります。
ある日大事なワンコが行方不明になってしまい
何年も探し続けて結局この世では再び会えなかったという
哀しい話が書かれています。
文章は割と淡々とあっさりと感じるほどですが、米原さんの心の痛みが
じんじん伝わってきます。読み手に迫らない配慮があるのです。
ロシア語のほかにいったい何か国語をマスターされているのか
わかりませんが、膨大な言葉のタンクから選び出さるのは
やさしい言葉です。
米原さんは、うつくしい言葉だけがいいとは思っていないようで
「うつくしくないことばでも、気持ちを表すことのできる言葉は必要」
と考えていたようです。
たとえば、 ウザイ、キモイ のような言葉でも。
彼女がそのような言葉を使うことはなかったですけど。
少女時代をロシアですごし、日本のように以心伝心があるとされる国とは
違う環境で暮らした経験からの考えだったのでしょうか。
本の最後に 米原さんの秘書さんが猫ちゃんやワンコが
どのようになったのかを追記してくださっていて、ホッとしました。
みんな、自分の運命をちゃんと受け止めてそれなりに
暮らしていました。泣けました。