日本人だけが知らない
世界から絶賛される日本人
黄 文雄著 徳間書店
ヘレンケラーが生涯の目標としたのは 江戸時代の日本の国学者だった。
日本にも、ヘレンケラーと同じように盲目でありながら、苦労の末に
大学者になった人がいた。
それを外国の人が知っていて目標にしていた!
なぜ日本人である私が知らないのか、私だけが知らないのであって
もしかしたら、日本では有名な話なのか。
とーちゃんに聞いてみたら 「知らない」と言ってた。
とーちゃんもあてにならないから結論は出ないけど知っている人は
少ないとみてよさそう。
塙保己一 (はなわ ほきいち)
戦前は教科書に取り上げられていたそうです。
7歳で視力を失い10歳で学問を始め、盲人であるので
本を読んでもらい、それを記憶していった。
その後、貴重な古書の編纂をしたり、後継者を育てることもした。
ヘレンケラーは母から、日本に塙保己一という人がいることを
教えられ、「あなたの目標になる人ですよ」と言われて努力してきた。
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台湾の中学二年生の社会科教科書
「総督府は 日本統治のはじめ水道を敷設して都市住民に
きれいな飲料水を提供し、都市の地下排水工事を行った」
台湾の近代化の礎となったのは 日本の統治による下水道工事だった。
当初台湾の生活環境は極端に劣悪で、不衛生であった。
人と家畜が同居しており、下水道設備がなく、清潔な水は豪族が
独占しており、庶民は雨水しかなく病気が蔓延していた。
(同時期の東南アジアの国はみな同じような環境だった)
そのため平均寿命は30歳くらいだった。
インフラを整備するために、東京帝国大学講師バルトンと
弟子の浜野弥四郎が台湾渡った。
苦労を重ねて土台ができたころ、バルトンは伝染病で死んでしまい
その後20年かけて完成させたのは 浜野弥四郎だった。
台湾には浜野弥四郎の銅像がある。
コンクリート製の設備がすべて完成したのは 東京や名古屋よりも
早かった。
震災の時に、台湾から親切な申し出がたくさんあり、
日本が台湾に貢献した過去があるらしいとは漏れ聞いたけれど
これほどと思いませんでした。台湾の近代化の原点には
日本人の活躍があったのですね。
このほかにも、海外で活躍したり、貢献したりと
知らない話がたくさんありました。
こういうのって、教科書に乗せてもいいのではないでしょうか。
戦争を境に教育の方法が変わってしまい、謙虚というにはあまりにも
自国民を卑下するような方向に行ってしまったような気がします。
海外で評価されることでやっと自信を持てるような風潮が
ありますが、日本人は日本人らしく仕事をすること自体が
すばらしいのだと、ちゃんと教育したほうがいいと思います。
日本にはこういう人々がいて、我々はその流れをくむ国民なのです
くらいのことを話したいですね。