今日は正月七日、七草粥を食べました。
子どもの頃、七草粥と十五日の小豆粥を食べるときには、卓袱台の中央に置かれたどんぶりに砂糖が盛られており、それをかけながら食べたものです。
変った食べ方だと思うかも知れませんが、江戸の風俗や事物を広く集めて分類、説明した守貞漫稿(筆者は喜田川守貞)に、次のような記述があります。
「正月十五日、十六日、俗に小正月という三都ともに今朝赤小豆粥を食す。京阪には此粥にいささか塩を加ふ。江戸は平日粥を食さず、故に粥を好まざる者多く、今朝の粥に専ら白砂糖をかけて食す也。塩を加えず。又今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥という。」
砂糖が貴重であった時代に、江戸の商人が示した精一杯の心意気だったのかも知れませんね。
子どもの頃、七草粥と十五日の小豆粥を食べるときには、卓袱台の中央に置かれたどんぶりに砂糖が盛られており、それをかけながら食べたものです。
変った食べ方だと思うかも知れませんが、江戸の風俗や事物を広く集めて分類、説明した守貞漫稿(筆者は喜田川守貞)に、次のような記述があります。
「正月十五日、十六日、俗に小正月という三都ともに今朝赤小豆粥を食す。京阪には此粥にいささか塩を加ふ。江戸は平日粥を食さず、故に粥を好まざる者多く、今朝の粥に専ら白砂糖をかけて食す也。塩を加えず。又今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥という。」
砂糖が貴重であった時代に、江戸の商人が示した精一杯の心意気だったのかも知れませんね。