NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

今月今夜のこの月は・・・

2010年01月17日 | エコでボランタリーな江戸の町
今日(1月17日)は、高等中学生の間貫一が許婚の鴫沢宮を資産家の富山唯継に奪われ、熱海の海岸で彼女を足蹴にした日ですね。

その時の貫一のセリフはお馴染みの「僕がお前に物を言ふのも今夜限だよ。1月の17日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は貫一は何処で此月を見るのだか! 再来年の今月今夜・・・10年後の今月今夜・・・一生を通じて僕は忘れん、忘れるものか。死んでも僕は忘れんよ! いいか、宮さん、1月の17日だ。来年の今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから・・・」というものです。




熱海市観光協会HPより


でも、これって変なんですよね。江戸時代は、月の満ち欠けの周期によって歴月を決め、二十四節気によって太陽との調和をはかる、太陰太陽歴(旧暦)を使っていましたから、新月の日が1日で、三日月は3日、満月は15日(十五夜)というように、日付と月の満ち欠けに対する呼び名が一致しています。

尾崎紅葉の金色夜叉が読売新聞に掲載されたのは明治30年からですが、既に明治6年には太陽暦(新暦)に改暦しています。新暦は月の満ち欠けには関係ありませんから、15日に新月のときもあります。例えば、今日(1月17日)の正午月齢は1.8ですから、新月から少しだけ月が出てきた状態です。

旧暦では、毎月十七日は満月に近いので貫一さんのセリフも通用しますが、新暦では涙で曇らせようとしても、1月17日に月が出ないときだってあるわけです。旧暦から新暦になって20年以上経ってもなかなか新暦が普及せず、紅葉さんも勘違いしたんでしょうね。

余談ですが、明治政府が新暦を導入したのは財政悪化が原因だったという逸話があります。月の周期は約29.5日ですから、旧暦では1年が354日となりますので、3年に1回ほど閏月を入れて1年を13ケ月にして太陽の動きと調和させていました。

新暦に改暦したのは明治5年12月3日で、同日を6年1月1日にしました。実は、6年は閏月が入るため1年が13ヶ月となるので、役人の給与を13回支払わなければならなかったのです。そこで、太陽暦に切り替えて6年の給料の支払いを12回に抑え、尚且つ、5年12月の給料を支払わずにしたという話です。

これに倣い、現政権も1年を10ケ月にする歴の大改革を行えば、国家公務員の総人件費を2割削減するというマニフェストも難なく実現できるのですが、いかがでしょうか。

あ! 私の給料も年10回になるのかー*:∞△?             
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