フェースブックをあけたら、懐かしい写真が出てきました。
東日本大震災現地NPO応援基金のフォローアップで盛岡に行ったときに、立ち寄った城跡公園の紅葉です。
こんなに素晴らしい紅葉は初めてみたので、感動しました。
それにしても、9年も前なんですね・・・
フェースブックをあけたら、懐かしい写真が出てきました。
東日本大震災現地NPO応援基金のフォローアップで盛岡に行ったときに、立ち寄った城跡公園の紅葉です。
こんなに素晴らしい紅葉は初めてみたので、感動しました。
それにしても、9年も前なんですね・・・
出掛けるときは茶々ケージをケージに入れますが、長い時間になる時は自分でケージを開けられるようにしておきます。
緊急時にメールをくれると助かるのですが、肉球では無理ですかね・・・
11月も中旬になると、日の出前は真っ暗です。
早朝の散歩は、茶々の首にLEDが光る首輪をつけて出掛けます。
ご本人は、どこまで理解しているのか・・・
強い風が吹いた日は、夕方になると大気が澄み渡って、富士山がきれいに見えることがあります。
昨日も一日中強い風が吹きましたが、夕日が沈むころに美しい姿を見せてくれました。
某の手柄ではありませんが、自慢したくなりますね💔
昨日は、NPO法人ワップフィルムの高橋さんがお線香をあげに来てくれました。
富士山が綺麗にみえるベランダで、カミさんのことなど語りながらランチビールを楽しみました。
おかんの介護の合間に来てくれた監督の心遣いに感謝です!
昨日は、横浜ではお昼前後に強い雨が降り続きました。
こんな時は、茶々を膝にのせて巣ごもりが一番です。
雨が止んだ夕方の散歩では、いつものコースの川はかなり増水しており、被害がなくて良かったです。
このまま何事もないようにと、夕飯は雑炊の予定を取りやめましたとさ (^^♪
「父上、今日のお料理はなんですか?」
「サーモンと野菜のホワイトシチュー、それにリンゴが入ったサラダだよ」
「父上のお料理は、いつも素晴らしいですね。天皇の料理番になれますね♪」
「そう言えば若い頃、そんな話があったような・・・」
「おだてると直ぐに木に登ろうとするんだから!」
「お父さんはお猿さんかい? じゃあ、茶々とは犬猿の仲というわけだ」
このところ花を飾ることが多くなりました。
でも、花瓶は置き場所に困りますね。
そこで究極の省スペース花瓶を使うことにしました。
仕舞うときは、クリアファイルの半分になります。
昨日は、親しい友人が二人で遊びに来てくれました。
というか、カミさんが亡くなってから二度目の安否確認です。
お土産のお菓子とフルーツを食べながら2時間ほど話をしましたが、(いつまでもグダグダしてないで、少しは世の中のために動いたらどうなの)という秘められたメッセージだと受け止めました。
コロナ禍の前は夏になるとベランダでBBQをした仲間です。来年の夏には、また一緒にできると良いですね。
【つぶしてつくろう たまごサラダ】
ネーミングにひかれて買ってしまった。
本来は袋に入ったままつぶすようですが、中身をみたくて開けてみました。
マヨネーズにまみれたゆでタマゴ2個(ふーむ)
これをつぶしてサラダにするってか!
「父上、最初からつぶしてあるものを買ったほうが手間がかからないですよね」
(確かに・・・)
快晴の朝、我が家のベランダから雪化粧の富士山が綺麗にみえます。
昨年は雪が少なくて斑模様でしたが、今年は10月末から絵になる姿になっています。
「まったく雲がない富士をみる」
どこかで似たような句を目にしたことが・・・
「まったく雲がない笠をぬぎ 山頭火」
格が違いますね。
寒くなってくると、茶々が布団に潜り込んできます。
ワンコの体温は38度ぐらいなので、湯たんぽを抱えているように暖かいですね。
でも、トイレで出たり入ったりするので、夜中に何回か起こされてしまいます。
斯く言う某もトイレに行くときがあるので、茶々も同じように思っているかも知れませんね。
某は末っ子なので、椎野家の墓は長男が管理しています。
息子は二人とも独り者なので、お墓を持つと将来的にお付き合いを続けていくことができません。
どうしようかと思っていたら、縁あって家の近くのお寺で樹木葬・永代供養をお願いすることができました。
若い住職は太陽光発電を取り入れており、徒歩10分以内であれば車を使わないから環境に優しいという理由でご近所割りにしてくれるというエシカルなお寺です。
調子に乗って「仏壇も位牌も置きたくないのですが・・・」と呟いたら、さすがに瞬殺されました!
ならばと、「あの世はクラウド、お墓はデスクトップ、仏壇はモバイル」だと考えることにしました。
おかげで朝夕、モバイル仏壇でカミさんと交信を行っています。
7月20日からSNSの投稿をお休みしていましたが、そろそろ再開したいと思います。
実は、カミさんが7年余りの闘病の末に8月に光の国へと旅立ちました。
お世話になった皆様にはもっと早くお伝えすべきでしたが、カミさんは病気のことを兄弟にも知り合いにも知らせていませんでしたので、某も控えていました。
葬儀についても、「死に顔を人様に見せないで」「遺影を飾らないで」ということでしたので、私と二人の息子だけで見送ることにして、写真も若い頃のものを使いました。
四十九日の法要と納骨を済ませてから1月が経過しましたが、某の怠惰な1日と少しでも長く生きたいと願っていたカミさんの1日が同じでは申し訳がないという思いが強くなりました。
まだ一人になったことを十分には受け止められていませんが、少しづつ動き出したいと思いますのでよろしくお願いいたします。