昨夜のテレビ放映で菅野飯館村長が鎌で稲刈りする姿が映し出された。
15日福島県浜通り飯館村長泥地区は帰還困難区域で稲刈りが?どうしてと一瞬訝しく疑いの目で見た。帰還前進への道しるべという村長の言葉で少しは納得、収穫された米から放射能セシウムの濃度を測定、その結果から将来の営農再開に向けたデータを収集するのが目的であったという。
20,000Bq/kgだった土壌を塩化カリウム散布による除染で、1,700Bq/kgまで減少した広さ約5アールの水田で一部を刈り取り検査する。残りはすべて廃棄処分される悲しさはあるが、嶋原区長は農業ができたという幸せを感じたという。
震災当時3/17で、95μSv/hの長泥地区の南には浪江の赤宇木では80μSv/hの地区と原発爆発当時浪江町民は通常福浪線富岡街道114号を通り津島へまず避難した。3/15住民に不安を与えないようにゴム河童スタイルで津島入りした木村さんのアドバイスで、一時避難した町民はより遠くに避難した津島地区でもある。
15日福島県浜通り飯館村長泥地区は帰還困難区域で稲刈りが?どうしてと一瞬訝しく疑いの目で見た。帰還前進への道しるべという村長の言葉で少しは納得、収穫された米から放射能セシウムの濃度を測定、その結果から将来の営農再開に向けたデータを収集するのが目的であったという。
20,000Bq/kgだった土壌を塩化カリウム散布による除染で、1,700Bq/kgまで減少した広さ約5アールの水田で一部を刈り取り検査する。残りはすべて廃棄処分される悲しさはあるが、嶋原区長は農業ができたという幸せを感じたという。
震災当時3/17で、95μSv/hの長泥地区の南には浪江の赤宇木では80μSv/hの地区と原発爆発当時浪江町民は通常福浪線富岡街道114号を通り津島へまず避難した。3/15住民に不安を与えないようにゴム河童スタイルで津島入りした木村さんのアドバイスで、一時避難した町民はより遠くに避難した津島地区でもある。