歴史から眺望すると、日露戦争、1994年ソフィア王妃芸術センター3Fで私が見たゲルニカや湾岸戦争などの映像は報道のイメージが地上から空中へと変化し、無差別爆撃による航空写真から生々しい映像が短時間で世界に広まった。また、市民の写真は大衆化して、思い出に役立ち、誰かの思い出としての保持の必要なメディウムになった。
記録としての思考や表現技術の探求の材料として、ブルートスは写真を「人間における持続するもののスナップショット」と言って、写真や映像のメカニズムが深く影響していると指摘された。
多くの場合の写真は、卒業式、結婚式、葬式といった節目の儀礼の記録に欠かせないものであった。
しかし、過去の映像が、時間を超えて現在に現れ、過去からの距離は見る人の知覚や感情と切り離すことはできない。即ち、3.11の原発事故は、科学技術の進歩する文明の未来と環境破壊という未来を相反する時間に引き裂いてしまった。
人は、朝起きて昨日と何ら変わらない窓の外の景色を見て安心する。科学技術の進歩でより快適な生活を約束されても、戦争、災害、放射能汚染の負の遺産からその映像には残酷さがあり、生と死の境界線上で撮影した映像は一度切りの人生で見つめなければいけない。
9.11で現場に居合わせたカメラマンがその場の風景を生かすために一枚も写真を撮らなかったという。撮ればイメージとなって凍ってしまい写真はイメージを殺してしまうからと。写真は3.11の15:36撮影約8mの津波がひけ3m近く残る四倉海岸。
記録としての思考や表現技術の探求の材料として、ブルートスは写真を「人間における持続するもののスナップショット」と言って、写真や映像のメカニズムが深く影響していると指摘された。
多くの場合の写真は、卒業式、結婚式、葬式といった節目の儀礼の記録に欠かせないものであった。
しかし、過去の映像が、時間を超えて現在に現れ、過去からの距離は見る人の知覚や感情と切り離すことはできない。即ち、3.11の原発事故は、科学技術の進歩する文明の未来と環境破壊という未来を相反する時間に引き裂いてしまった。
人は、朝起きて昨日と何ら変わらない窓の外の景色を見て安心する。科学技術の進歩でより快適な生活を約束されても、戦争、災害、放射能汚染の負の遺産からその映像には残酷さがあり、生と死の境界線上で撮影した映像は一度切りの人生で見つめなければいけない。
9.11で現場に居合わせたカメラマンがその場の風景を生かすために一枚も写真を撮らなかったという。撮ればイメージとなって凍ってしまい写真はイメージを殺してしまうからと。写真は3.11の15:36撮影約8mの津波がひけ3m近く残る四倉海岸。