8月10日今朝「明日へのことば」長崎原爆受け継ぐ命のバトンのテーマで個人塾経営平田周氏のトークを途中から聞いた。
原爆投下直後から書いた30何冊ある祖父の日記で母の看病と生活の苦しみが書かれており、祖父の看病があって母が生きられたことを知ったという。弟は結婚しており母との生活が長いが、私は母一人を残して家を出て一番苦労を掛けた。結婚が決まり引っ越してくることを知った母は安心したのか55才で亡くなったという。
その母は首の左側が熱線で焼けたただれた皮膚をむしり取り、コロイドのあとが残ったが放射能を浴びて良く生き延びたと思ったという。
祖父は英語が堪能で、また、俳句も読み山頭火を愛し、いつも私の先生と思っていた。何もかもなくした四枚の爆証明 の俳句は一瞬で家族も家もなくしたときのもので、また、身を寄せに行く二人なら皿も二枚 は祖父は両親に捨てられたと思って生きてきたが、家がなくなり両親の実家へ転居、職を失いすべてなくしどう生きようかと悩み苦しんだときと。
母は語り部の頑張り屋で戦争は絶対ダメ原爆はもってのほかと、9つ上の姉は上京して家計を助けた。が孫を持って初めて母に孫を見せたかったと涙を流しながら話した。オーストラリアに住む娘は祖母のことをやけどで皮膚が腐りやっと生き延びても、誰も恨まず未来を見て生きた人生があったことを今の人たちに忘れてほしくないと書いている。
私も祖父の書いたものを継承し、本に、朗読で、語り部としてどのように伝えたらいいかと悩んでいると結んだ。
原爆投下直後から書いた30何冊ある祖父の日記で母の看病と生活の苦しみが書かれており、祖父の看病があって母が生きられたことを知ったという。弟は結婚しており母との生活が長いが、私は母一人を残して家を出て一番苦労を掛けた。結婚が決まり引っ越してくることを知った母は安心したのか55才で亡くなったという。
その母は首の左側が熱線で焼けたただれた皮膚をむしり取り、コロイドのあとが残ったが放射能を浴びて良く生き延びたと思ったという。
祖父は英語が堪能で、また、俳句も読み山頭火を愛し、いつも私の先生と思っていた。何もかもなくした四枚の爆証明 の俳句は一瞬で家族も家もなくしたときのもので、また、身を寄せに行く二人なら皿も二枚 は祖父は両親に捨てられたと思って生きてきたが、家がなくなり両親の実家へ転居、職を失いすべてなくしどう生きようかと悩み苦しんだときと。
母は語り部の頑張り屋で戦争は絶対ダメ原爆はもってのほかと、9つ上の姉は上京して家計を助けた。が孫を持って初めて母に孫を見せたかったと涙を流しながら話した。オーストラリアに住む娘は祖母のことをやけどで皮膚が腐りやっと生き延びても、誰も恨まず未来を見て生きた人生があったことを今の人たちに忘れてほしくないと書いている。
私も祖父の書いたものを継承し、本に、朗読で、語り部としてどのように伝えたらいいかと悩んでいると結んだ。