オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

九人の乙女の碑

2012-10-31 | Weblog

10/31 10月最後の日なので、10月に在ったことにはけりをつけておこう・・・。と云うわけで、稚内でのことなどもう少し記す。

               

                宗谷岬・最北端の碑と「宗谷岬の歌碑」、間宮林蔵の像

10月4日、この日は木曜日となるので本来であれボランティアの皆さんは休みとなる(木・日が休み)が、明日から天候が崩れそうだということで、急きょジャガイモの収穫を行うことになった。朝、VP用のインタビューを済ませて、渡部さんが借りている農園へと作業に向かった。農園の周りはぐるりと電線が巡らせてあった。エゾシカとアライグマ除けに電気を流すそうだ。

農薬を使わない農園で、大根畑も草が延びていた。これをボランティアメンバーが手作業で引いていく。「草が伸びると日当たりが悪くなる、風通しが悪い。少し周りにな除草剤を使えばいいのに」と、あるメンバーは云う。それでも渡部さんには拘りがあるようで、首を縦に振らないそうだ。

                          

広い農園には一万本の大根、収穫が済んだ南瓜、まだ残っているジャガイモ。渡部さんは大型のトラックターでジャガイモを掘り起こす。草取りを一段落させて、皆で拾い集めるのであろう。農園の向こうに広がるのは牧草地、延々とつづいている。

                      

そんな風景を撮影し、次の場所へと私とカメラマンは移動した。ノシャップ岬と”九人の乙女の碑”がある稚内公園へと向かった。前日、空港に到着してから宗谷岬の撮影だけは駆け足で済ましておいたので、夕方までには残りの取材は片付く予定。

ノシャップ岬は特に記すほどのこともない、印象が薄かった。遥か北の海から寄せる波だけが瞼に焼きついた。稚内公園へと向かった。小高い山、丘と云うよりは高い。幾曲がりかして坂を上った頂上に稚内開基100年を記念した記念館と塔が建っていた。ここの展望台から市内を一望できるので写真を撮る。

                        

                    ノシャップ岬のイルカ、稚内公園から市内遠望

稚内・宗谷岬とサハリンの間は43Kmとのこと、現在の市内の人口は4万人に足りない。水産業の衰退が市の経済の縮小に繋がっているのか、アーケード街にはシャッターを下ろしたままの店が散見された。

                       

さて肝心の「九人の乙女の碑」は、頂上から少し下った展望台や売店がある広場の奥にあった。すぐそばに氷雪の門の記念碑もあるが、私にとっての大事なモニュメントは『九人の乙女の碑』である。 

                           

終戦五日後、ソ連が侵攻した。カラフトの真岡郵便局の電話交換手であった九人の乙女は侵攻直前まで通信を守り、最後の言葉を残して毒を呷った。身を呈して通信を守ったこの悲劇を、彼女たちの思い・無念を忘れることなく後世に残すために建てられた碑。

                           

かつて電信電話会社に勤めた身として、この哀しい出来事を知る一人として、「九人の乙女の碑」の前にかしずき、黙祷を奉げることは責務であった。
この出来事を耳に、目で文字を追う度、目頭が熱くなる・・・。強い風の中、碑に頭を垂れた。

 

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昨夜は、四軒だぜ・・・

2012-10-31 | Weblog

10/31(水) 今朝は目覚まし時計に起こされる始末、珍しいといえる。大概は、5時45分にセットしてある時計が鳴る前に目覚めているのだが・・・。昨夜のご帰還は、日付変更線を越えたばかりの時間。それほど遅くはないが、滞留時間は長・短とさまざまなれど、タイプの異なる店を四軒こなしたので疲れがでたか?

この程度で疲れるようじゃ、どうしようもないぜ・・・。訪れようとする、冬の荒波さえも乗りきれない、もっと鍛えなくては。

さて、今朝のお弁当だが「煮物」「焼き物」「炒め物」のセオリーには変わりなし。昨夜も帰宅のすがら、東急ストアにて弁当用の「厚揚げ」と「牛小間」を贖い準備を整えてあった。大したものさ・・・。

煮物は、豚肉の白菜巻きと厚揚げ・シシトウの合わせ煮であった。焼き物は、自家製の鮭の粕漬け。

                   

炒めものは、牛小間と舞茸・キャベツ・タマネギ・ピーマンの野菜炒め。肉と野菜は別々に炒めたうえで、最後にドッキングする方式を採用。中華系の味付けを目指したが・・・。

                        

以上なので、調理時間も早かった。万端で三人の弁当が完成となった。

                   

 

   「奈 加 野」

この店のオヤジ(先輩であり、友達ともいえ、知り合いと云うこともある)は、昨晩はかなり酔っていた。私が三軒目となるスナックから呼び出し、店に来た時はヘロヘロの様子。それでもマイクを握ると元気になった。店仕舞いがあるからと、一時間ほどで帰ったが、寄る年波なのか、過労なのか、酔いが早い。

誰かと会う時は、概ね「奈加野」となる。それだけお気に入り、お奨めの店である。若者が多い渋谷、若者向けの店が氾濫する中で大人の店である。魚の目利きと出汁の味は、さすがに長年にわたり商売をしているだけのことがある。と、云うことで奈加野の紹介である。

                           

渋谷・宇田川町交番を東急ハンズの方向に50mほど行った左側に入り口がある。丁度、スペイン坂を下った突き当りとなる。一階はキリンシティで、その二階に在る。板場をL字に囲むカウンター、四人から8人ほどまで座れるテーブルが6卓、掘りごたつ形式の座敷は、入り座が10人、奥の座敷は20~24人までは入るか。昔は、席待ちの客が並んだ時代もあったが・・・。

                            

店への階段を上がると、お地蔵さんのような置物。これは、薩摩の「田圃の神様」を据えたものだそうな。これの小さな置物が店内にもあったが、何時の間にや消えた。その一つは、遥か以前に私が持ち帰ったが、我が家からも消えた。生まれた薩摩に帰ったか?

一番高い一升瓶のボトル焼酎は「伊佐美」で、8000円である。一番安い「いいちこ」で2500円かな?私は伊佐美しか飲まないので、他の値段は?である。勿論他にも720mlもあるし、日本酒も各種そろっている。この店の味が確かなことは、美食家でもある醸造学の大家「小泉武夫先生」が贔屓にされていることからも頷けよう。

 後は、自分の舌で確かめようではないか、各々方。          

     

コメント (2)
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