10/31 10月最後の日なので、10月に在ったことにはけりをつけておこう・・・。と云うわけで、稚内でのことなどもう少し記す。
宗谷岬・最北端の碑と「宗谷岬の歌碑」、間宮林蔵の像
10月4日、この日は木曜日となるので本来であれボランティアの皆さんは休みとなる(木・日が休み)が、明日から天候が崩れそうだということで、急きょジャガイモの収穫を行うことになった。朝、VP用のインタビューを済ませて、渡部さんが借りている農園へと作業に向かった。農園の周りはぐるりと電線が巡らせてあった。エゾシカとアライグマ除けに電気を流すそうだ。
農薬を使わない農園で、大根畑も草が延びていた。これをボランティアメンバーが手作業で引いていく。「草が伸びると日当たりが悪くなる、風通しが悪い。少し周りにな除草剤を使えばいいのに」と、あるメンバーは云う。それでも渡部さんには拘りがあるようで、首を縦に振らないそうだ。
広い農園には一万本の大根、収穫が済んだ南瓜、まだ残っているジャガイモ。渡部さんは大型のトラックターでジャガイモを掘り起こす。草取りを一段落させて、皆で拾い集めるのであろう。農園の向こうに広がるのは牧草地、延々とつづいている。
そんな風景を撮影し、次の場所へと私とカメラマンは移動した。ノシャップ岬と”九人の乙女の碑”がある稚内公園へと向かった。前日、空港に到着してから宗谷岬の撮影だけは駆け足で済ましておいたので、夕方までには残りの取材は片付く予定。
ノシャップ岬は特に記すほどのこともない、印象が薄かった。遥か北の海から寄せる波だけが瞼に焼きついた。稚内公園へと向かった。小高い山、丘と云うよりは高い。幾曲がりかして坂を上った頂上に稚内開基100年を記念した記念館と塔が建っていた。ここの展望台から市内を一望できるので写真を撮る。
ノシャップ岬のイルカ、稚内公園から市内遠望
稚内・宗谷岬とサハリンの間は43Kmとのこと、現在の市内の人口は4万人に足りない。水産業の衰退が市の経済の縮小に繋がっているのか、アーケード街にはシャッターを下ろしたままの店が散見された。
さて肝心の「九人の乙女の碑」は、頂上から少し下った展望台や売店がある広場の奥にあった。すぐそばに氷雪の門の記念碑もあるが、私にとっての大事なモニュメントは『九人の乙女の碑』である。
終戦五日後、ソ連が侵攻した。カラフトの真岡郵便局の電話交換手であった九人の乙女は侵攻直前まで通信を守り、最後の言葉を残して毒を呷った。身を呈して通信を守ったこの悲劇を、彼女たちの思い・無念を忘れることなく後世に残すために建てられた碑。
かつて電信電話会社に勤めた身として、この哀しい出来事を知る一人として、「九人の乙女の碑」の前にかしずき、黙祷を奉げることは責務であった。
この出来事を耳に、目で文字を追う度、目頭が熱くなる・・・。強い風の中、碑に頭を垂れた。