オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ちょっと早めにX’mas

2008-12-22 | Weblog

昨日は家族で一寸早めのX’masパーテーィまでは行かないが食事会。娘達や、ボーイフレンド、姪も来て10人となる。

朝から、妻は料理やケーキの制作に忙しい。誰も手伝わないのでプンプンしている。

毎年、ケーキと鳥のローストなど料理は手作り、感心します。(単なる食いしん坊?)

僕は夕方に会社に出ていたので、食事のスタートに遅れる。帰り着くと料理は残骸になりつつある。急いで、写メール。

 

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料理は、中華風おこわ、鳥丸の香草・ライス詰め焼き、カニの殻付き四川風焼き、サラダ、マグロ・アオリイカの刺身。カニは、Tさんから届いていたもの。

マグロ・イカは土曜日に渋谷「奈加野」の主人にくっいて行った築地市場で買ってきた。この他、タラコとマテ貝を買った。

築地の場内は、素人も随分と来ているが、プロが買うのと値段が明らかに違う。この時ばかりは、奈加野さまさまである。仕入の後、洋食の竹田で食事とビール、主人は飲まないが、僕は何時も飲む。(よく朝から飲めるな~と云われるが、休みの日は飲むのだ。これが、僕流)

 

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食事の後は、ケーキとコーヒー。コーヒーとシャンパンは娘のボーイフレンドのS君のお土産とか。この他に彼のお母さんが作ったハーブオイル二瓶を頂く。

そして、昨夜も食べ過ぎてしまったのだ。・・・反省。

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相棒と銀座のクラブ

2008-12-21 | Weblog
ヒロさんとはよく飲んだ、飲みに飲んだ。

何時しか、店が定まった。「銀座のクラブ」これが合言葉だった。
ヒロさんから電話がないときは、僕から掛ける。何処かで仕事をしていようが、飲んでいようがお構いなし。必ず来てくれた。

それじゃ「銀座のクラブ」で、何時ごろにと云う。
たまに僕が先に着く事もある。クラブの親爺が言う、「連れは未だだよ、奥にいるよとか」結構に人の出入りが多い店だったが、すっかり顔馴染となった。それやあそうだ、多い週は、ほぼ毎日だった。

有る時、PR誌の編集をサポートしてもらっていたO氏と打合せの後、「銀座のクラブ」へ同道した。僕とヒロさんが熱燗を頼む。彼も同じ物を注文した。
一口含み、ノタマワッタ。「こんなものを飲んでちゃあ体を壊すよ」。酒は四谷の何とかと言う、彼の行きつけの店の上物でなけりゃいけないと。
僕等は口を揃えて云う「じゃ~今度飲ましてみろよ」・・・一度も実現するはずもないが。
それ以来、O氏とは酒も飲まない、仕事もしなかった。

僕等の「銀座のクラブ」はN社のビルから程近い、有楽町のガードの脇にあった。あたり一辺に焼きとりの臭いと、煙が何時も立ち込めている。
カウンターか、長テーブルにへばりついて飲む。そんなオヤジ御用達の店だ。ただ飲むための、ウダウダと話をする為の店なのだ。
冬は、煮込みと焼き鳥を何本か頼み、熱燗を飲る。夏は、ビ-ルとやっぱり同じツマミ。

一年の四分の三はヒロさんと一緒に居た。それ以上かもしれない。仕事とプライベート、そんな区切りのない日々を過していた。
毎日に毎晩、話した、聞いた。それを繰り返しても、繰り返しても、尽きなかった。

そんな日々の中で、僕は元気をとり戻していた。
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相棒

2008-12-20 | Weblog
相棒のヒロさんと出会ったのは16~7年前になる。
故人となった、共通の知人の紹介による。
当時、僕はN社から出向しグループ会社の広告代理店の営業職についていた。

その日、銀座・泰明小学校の隣にある中華店で昼食を共にした。ヒロさんは、スーツ姿で固い表情をしていた。大した話や具体的な事が出るわけでなく、雑談をし、また会いましょうと別れた。(ランチはご馳走になった)

ヒロさんは、それまで既に、僕が在職する会社の製作部とは何度か一緒に仕事をしていた。そんな、こともあってか、その後何度か訪ねてくれたが、具体的な仕事に発展することは無かった。一度、築地のすし屋だか居酒屋か見分けのつかない小さな店で酒を飲んだ。ヒロさんは、コップ酒を5~6杯開けケロリとしていた。(このときも、ご馳走になった)

それから暫くして僕はN社に戻り、日比谷に勤務することとなった。意に沿わぬ転勤だった。心の整理が中々つかず、悶々とした日々を過ごした。
会社を辞めたいと切に思ったが、広告の仕事で食っていく自信が無かった。

グループの広告会社への出向は、自らが希望して行った。会社人として生きるのでなく、職業人としてこれからの人生を拓くために。それだけに、本社に戻ることによる喪失感は大きかった。
25歳の時に大きな挫折を味わって以来、そのときの何倍かのショックだった。自分の人生を、生き方を定めなくてはならない年齢での挫折に、なす術がなかった。

鬱々とした日々の中、ヒロさんは日比谷の会社を訪ねてくれた。

ヒロさんは、朴訥な話した方をする。間を置いた話をする。その間のあいだに、幾百・幾千の意味が込められている。その間、その間が僕の心を和ました。

少しづつ、仕事のことが話題になっていった。自分のやるべきことが、やりたいことが明らかになっていった。

毎日のように会う仲になった。僕は何時も聴く方だった、聞かせて貰った。僕が、口を開くのは、与太話や、混ぜ返し。

何時しか、一緒に仕事を重ねるようになった。ビデオ製作や情報誌発行、写真展の企画や冊子の製作等。仕事や酒場での姿を通じてヒロさんを少し分かってきたような気がした。

或る時、多摩の山あいにある「知的障害者施設」へ撮影に行った。演出家としてのヒロさんは、入所者と対等に生真面目に向き合う。撮影の合間、疲れていたヒロさんが施設の一間で少し横になってまどろんだ。

入所者の青年(20才前か)がその姿をみて「心配しなくていいんだよ、何か会ったら僕が教えてあげるから」と、心配そうにヒロさんに云った。どなん人達とも通じ合おうとする、分かり合いたいするヒロさんだから、青年は本当に心配をしたのだろう。

また或る夏の盛り、遠州灘で海亀の保護をしている団体の取材に訪れた。延々と続く砂浜、炎天の下で、その団体は孵化した亀の放流イベントの準備をしていた。
取材の僕たちも、団体のメンバーと共に海岸のごみ拾いを手伝う。

真夏の太陽に照り付けられ、暑い・熱い。30分ほどで、会場近辺のごみ拾いをお終いに
した。
ただ一人、ヒロさんはゴミを拾いつづける、砂浜に埋まったビニールや空き缶を掘り出し、何時までも、何処までも拾いつづける。

それは、ヒロさんの仕事にも共通する姿。追いつづける、煮詰める、探しに探す、考える・考えつづける、推敲を重ねる・重ねる。こだわる、こだわりつづけ、妥協を許さない。

そんな、ヒロさんを見ている、見てきたから、安心して仕事を委ねた。一緒に仕事をしたかった。器用とは思わない、シャープさは感じさせない、そこがまたヒロの好いところ。

そして、何時の頃からか、僕の相棒、僕が相棒と思ってきた。(この項は、また書く)
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サンド・山盛り

2008-12-19 | Weblog

12/19(金)今週も早や金曜日を迎えた。

 

夜中に目覚め、明け方から少し眠る。そんなことで、弁当の準備が遅れる。

とは云え、メニューは昨夜のうちから決めてあるので問題なし。7時から制作に入る。

8日ぶりに、サンドイッチの登場なのだ。これに、ホットドッグが参入する。

 

今日は、サンドイッチ。野菜、卵、ツナ、コンビーフ、ウィンナー、チーズ、ハム、以上の組合せ。8~9人前が出来上がった。(どうすんだよ!こんなに)会社で、誰かが被害に遭うだろう。

 

 

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四種競技

2008-12-18 | Weblog

12/18(木) 昨日は、弁当を食することが出来ず。残念!

T物産のO社長から昼に電話あり、何処にいるのかとのこと。

えっ!約束は明日では、と問い直す。私の勘違いで今日だった。大急ぎで大手町に向う。

新規ビジネス開発案件で、ランチを摂りながら情報交換をすることとなっていた。

 

そんな訳で、弁当は会社のT/Yに頼み喰って貰う。

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   箱詰め前の四種

本日のおかずは、四種類五品。ぴり辛キンピラ、きゅうりの酢物、シフ-ド炒め、豚肉生姜焼き・豚肩ロースの焼肉(これは昨夜の残り物)となった。

キンピラは、昨夜帰宅してから仕込んだ。牛蒡と人参を笹がきにし、蒟蒻をちぎる。

油少々に、赤とんぼを2~3本放り込んで砂糖、醤油で炒める。

酢物にきゅうりの他、若布とおおばを刻み少々入れる。砂糖と酢を適当に入れて完成。生姜焼きと焼肉、海鮮物炒めはご想像の通りに調理する。

 

しかし、仕事が遅い。遅いが、早く作ろうとは思ってないので、これでいいのだ。

料理を手早く片付け始めた時、私の仕事のやり方も変ってくるかもしれない。

何時になるか・・・。

 

 

昨夜は、かって、前職のおりに現場で一緒に仕事をしたメンバーとの忘年会であった。

あれから早や、12年が経った。忘年会が重なったのか、8名での忘年会。

この会は、当時企画課長だったSさんを中心とするメンバーである。Sさんの人柄で、職場を、仕事を異にした今も、こうして集まる。以前は、海外への遠征もしていた。

後程、当時のことを振り返り、思い出してみたい。何かの気付きになるかも・・・。

 

 

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喪中の便り

2008-12-17 | Weblog

k係長

生意気盛りの25~6歳、僕は、K係長の下にいた。両国にある〇〇公社の現場管理機関が職場、係長と僕の二人だけの係。仕事は、職員の訓練・研修担当である。上部機関からの研修計画に基づく、研修派遣者の調整、研修案内通知等のルーチンワークの他、管内の新任管理職・監督者研修の計画・実施等。比較的に暇な日常。

 

K係長は当時、43~4歳。お酒が好きだった。当時の僕は余り飲めない。それでも、一緒に酒場の暖簾を潜る回数は多かった。Kさんは、飲めば飲む程、飲む。当然、酔う。それでも飲む。(飲み方が、相棒のヒロさんに似ているかもしれない)

 

〇〇公社は、給料が安かった。当然飲みに行く店は、大衆酒場、居酒屋。(立ち飲みはなかった)何時も何時も、大衆酒場。ばあさんか、じいさんがやっている店である。

時々、僕は言う「係長、たまには若い娘がいる店に連れって下さいよ」。そんな時、たま~に(10回に1回ぐらい)連れて行ってくれるのが、「民謡酒場」であった。確かに、此処には若い娘もいた。民謡唄っている、店の歌い手。唄っていないときは、酒や料理を運んでいる。

若い娘と云っても民謡を唄う歌い手さん、K係長にとっては若いが、僕からすればチットモ若くなかったが・・・。

 

「係長、若い娘がいる所」と言うと、民謡酒場。錦糸町や亀戸の裏通り、吉原、よくこんな場所を知っているなと思うぐらいに知っていた。そのはず、Kさんは、声に艶・張りがあり唄が上手だった。唄は、民謡。僕も教わった、「ぼ~しゅう白浜、あの磯伝い・・・」あの時の白浜音頭が懐かしい。

飲んで、飲んで、飲んで、酔っ払て、唄って。また飲んで、更に酔っ払うぐらいにお酒が好きな人だった。でも、いい酒飲みだった。愛すべき酒飲みだった。

お酒と唄の他に、釣りが好きだった。休みには、房総の海にいつも出かけて釣り三昧。初めて、海釣りに連れて行って貰うことになり、両国の駅前で安い道具を仕入れ、夕方から、職場の前にある震災祈念堂の広場で、竿の持ち方、リールの巻き方から錘を付けての投げ方、仕掛けの作り方ときめ細かに気永に教えて貰った。

 

怒らない、叱らない、人だった。優しい人だった。逆らわない人だった。大人だった。

僕は転勤し、その後、結婚。結婚式に出て頂いた。それ以来、お会いしていない。

毎年、年賀状を頂いた。僕の子供達の名前を全部書いて、「〇〇チャンは元気でいますか」等と気遣ってくれる方だった。

 

来年から、あの年賀状を見ることはない。読むこともない。

 

あれから、36年が経つ。僕はあの時の係長のような大人に未だ、なれない。なっていない。

 

 

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トンカツ

2008-12-17 | Weblog
12月17日(水)朝から雨。若かった頃、値の張る傘を買ったことがあった。雨が降る日が愉しかった。今、高い傘を買ってもそんなことは思わないだろう。自転車で廻る仕事が中心の妻達の苦労を偲ぶ。

今日の弁当は、トンカツ。これにホタテと小松菜の煮物。定番、卵焼き。

朝の準備が遅れ、大急ぎで米を磨ぐ。煮物用の鍋をガス台に架け、豚肉の下味を付ける。
卵3個を溶かし、醤油で味付け。炊き立ての飯で、大き目のおにぎりを一つ。
45分で、4人分が完成。娘から、油物が多いと忠告を受ける。ご批判は真摯に受け止めなくてはいけない。稚拙な僕の弁当を食べて頂くのだから。
「弁当とおかず」なんて言うレシピ集を探して、勉強に励むか・・・。

昨夜遅い時間となったが、弊社の顧問でもあるW氏と久々にお会いした。Wさんの知人が盛岡から進出、銀座で冷麺の店を出しているとのこと。有楽町マリオンで待ち会わせ、その店「ぴょんぴょん亭」へ。電通通りに面したビルの11階。綺麗なつくりで大きく広い、銀座らしいお洒落なお店である。何組かテーブルが空くのを待っている。
冷麺を売りにした焼肉店のようだ。コース料理には全て仕上に冷麺が付いている。初めて食した冷麺は、米の麺とかでこれまで食べてきたものとは違った。絶品とはこのこと、固くもなく、柔らかでもなくそれでいて腰のある麺。太さは、パスタぐらい。美味かった。

Wさんは、元大手電機メーカの幹部。香港や米国の現地法人の社長を勤められ、米国での体験が氏をフィランソローピーに目覚めさせたと云う。日本における、その分野の草分けである。15年も前になるが、私も前職においてご指導を頂いた。
企業人のボランティア活動から福祉、高齢者社会への取組、地域社会活性化等をテーマに企画提言、仕組み作り、講演と幅広くご活躍されている。70歳を過ぎられてなお、活動範囲を広げておられる。(若さの秘訣かな・・・)

私の相棒のT氏(これからは、ヒロさんと呼ぶ)とも旧知の間柄である。そんな縁もあって、顧問をお願いしている。


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親子丼と蜜柑

2008-12-16 | Weblog

12月16日(火)今朝も早くから目覚める。昨夜のうちに決めておいたメニューで弁当を作る。

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今日は、ハンバーグ(冷凍)と鶏肉の土佐風すき焼きに。何が土佐風かというと、単に砂糖・醤油で甘めにすき焼きにするだけ。

冷蔵庫に野菜がない!しょうがない、玉葱・長ねぎ・リュウキュウで鳥肉を煮付ける。

他に、定番卵焼きの予定を変更、鍋にとき卵を入れて、親子風にしてしまう。これを、あっ熱の飯に載せると、何ともいえない親子丼となった。少し、味見。いいねー。

 

妻や子供達は弁当に親子丼は嫌との事。自分の分だけを親子丼にする。

ハンバーグを焼き、ウィンナーを添える。(妻がみて、「なによ~この焦げは!」そう、焦がしてしまったのだ。

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立派な「蜜柑」 松山より届く

 

昨日、松山のM氏より立派な蜜柑が届いた。色艶、形といい申し分のない蜜柑、今年手にする最高の蜜柑だ。会社のスタッフは大喜び。早速、氏に礼状を書く。

 

氏とは先月、久しぶりに松山にてお会いした。今年退職し、大阪本社のグループ会社に再就職、四国事業部長をされている。

氏は、私が前の会社に居た時の後任として四国から着任し知り合った。それまで私がやってきた仕事を引き継ぎ、発展させた。

大体が、大会社における前・後任とは交わりがうすい。私も幾つかのポジションを経てきたが、その殆どに於いて前任者、後任者とは交わらなかった。またその必要がなかった。

甚だしい場合は、前任の仕事を全否定するような例も多々見られる。

M氏はその点、大人であったし、立派である。サラリーマンの縦型社会では、利害関係が一致しない限り人を大事にしないのが大勢。俺が、俺がの世界なのだ。

 

僕の相棒のT氏とも親しく付き合って下さったし、かって、T氏のボランティア活動を取材したルポルタージュ「ちょっと寄ったこの地球で」を出版した際には、西日本本社という、経営環境が厳しい処におられたが、その状況下においても、T氏の本を沢山購入し、活用して下さった。

 

こうして、会社ぐるみで長くお付き合いをさせて頂くこと、出きることに感謝したい。

 

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ホタテとTさん

2008-12-15 | Weblog
12月15日(月) 何時ものように起床するが、今日は早く出社のつもりなので、昨夜の内にメインの食材を調理した。しかし、後一品を布団の中で考える、考える、考える。

そうだ、ホタテだ。前日、北海道に居る友人、Tさんからカニと一緒に届いている。冷凍にしたものだが、大きくて見るからに美味しそう。これを、バター焼きにしよう。


今日のメニューは、肉団子の揚げ物と鶏肉から揚げを少々。豚の三枚肉と蒟蒻・油揚げ・椎茸・大根・小松菜の煮物。肉団子のソースを作り、絡める。煮物を暖める。
ホタテを解凍し、オリーブオイルとバターで軽めに炒め焼。付き合せに舞茸とセロリ・ピーマンを炒める。
以上、3品が今日のメニュー。

ホタテを味見する。ジューシーで甘味と香りがいい。なんとも言えずに美味い。昼が待ち遠しくなるとは、このこと。
Tさん、有難う!(妻は、勿体無いと云うが、美味しい物は早く頂こう・・・)


北海道のTさんは、女性である。女性であるが、もの凄~い、剛速球を投げる。

彼女と初めてお会いしたのは、16~7年前になる。私が、以前に勤めていた会社の北海道支社の係長として着任されたのがきっかけ。
私は、本社の課長職で、Tさんの仕事のライン上にいた。私達の担当の仕事は、会社としても、他所の企業としても本業とはちょっと異なる仕事、今で言うCSR活動の推進セクションだった。草創期でもあり、暗中模索の中、手を付けるべき事も沢山あったが、やらなくても何の問題もなかった。

Tさんは、着任して間もない頃、本社を打合せで訪ねてきた。

案件の一つが、社員のボランティア活動支援策として、助成金制度を作ってほしいだった。そのときの、やり取り。

Tさん、「社員の活動を推進する上で、具体的な制度がないのはおかしいと思いませんか」

私、「おっしゃることはよく分かります。しかし、社員間の公平性、活動の意義をどう測るか、他の制度との整合性等・・・新しい制度を創るのは簡単ではないんですよ」

Tさん、「ないものは創ればいいじゃないですか、創るのが本社の仕事ではないんですか」

私、「まあ~検討しますよ・・・ウニャムニャ・・」
私の内心、『そう簡単に行くのであれば、やってまんねん。よう、ずけずけ言ってくれるぜ』

このような出会いだった。しかし、彼女の仰ることは、真理である。
この初対面で、Tさんをすっかり信頼した。真剣に仕事をやる気がある人と。
元気があり、一方では各方面への気配りができる。自分の役割を真っ当しようとする姿勢・行動力に、その後、大いに助けられた。

Tさんは本質・本音を言うが、私は何でもオープン、おまけに口が悪い。今ならセクハラで訴訟でも起されそうだが、その後、交流が深まり、Tさんを「オバサン・オバサン」と呼んでいた。(因みに私より、5~6歳下だが、先方は、私の方が下と思っていた)

処が、ある時、札幌でセミナーが開催されることになり、そのパネリストとして私は出席せざるを得なくなった。プロフィールが必要だ云うのでFAXする破目になる。これには、生年月日を入れてある、拙いな~と思いつつ・・・。

「FAX頂きました~」その後は、大笑い・大爆笑、腹を抱えているTさんの姿が目の前にあるようだった。
一言、「課長の方が、ジジイじゃない!」・・・セクハラで訴えるぞ

その後、Tさんは北海道で管理職となり、幾つかの職場を元気にし、今も札幌で契約や派遣の女性たちを束ね、素晴らしい仕事をされている。

Tさんは凄い。剛速球を投げるだけではない。柔らかに周囲を気配りし、細部に渡る緻密さと、人の痛みが分かる人。

そうそう、Tさんから責められた社員への支援制度は、十分な形ではなかったが、その後1年程で実現した。

ホタテが運んでくれた、Tさんの想いで。
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自転車とおにぎり

2008-12-15 | Weblog

12月13日(土) 一升の米を炊く。そして全部を「おにぎり」にする。

 

土曜日、立川の昭和記念公園内で「TOKYOエンデューロ2008」4時間自転車競技に、社内のメンバーが出場した。この応援の為、おにぎりとから揚げ等を作る。

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前夜、渋谷東横デパートの地下で「たらこ・シラス・鳥肉」を仕入れる。これに、ストックしてある紅鮭・おかかの4種類を各6個づづ、合計24個の予定が23個でご飯不足となる。どうも、大きく握りすぎ。

6時に起床し、完成まで2時間半を要す。揚げ物はまだまだ、上手くいかない。

とりあえず、箱詰めをして風呂敷にて運ぶ。

 

レースの方は、無事に完走して終えた。メンバーの中で本格的に乗っているのはA君だけ。先月の社内懇親会(誕生会)で盛り上がり出場することとなった。俄かチーム。

成績よりは参加すること、完走することが先ずは優先。久しぶりにいい汗を流したことだろう。

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帰路、吉祥寺にて相棒のT氏と会い一杯、二杯~とグラスを重ねる。中々いい飲み屋(焼鳥中心)だ。こんな店が、我が人形町にも欲しい。狭くもなく、大きくもなく、旨い焼き鳥とほどほどの猥雑、老人・若者入りみだれているがある種の落ち着きがある。ほどほどの値段(であろうT氏の奢り)。今年入った店の、ベストワンではないだろうか。

更にもう一件、T氏御用達の三鷹の店になだれ込む。すっかり酩酊、フニャ・グラ・朦朧として帰宅。

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