二度目の八丈は、大学を卒業前年の秋、10月の下旬に訪れた。宿は、前回お世話を掛けた「みどり荘」である。
大学は、全国に万延していた学園紛争で休校続き、何時開講するか見通しなし。就職の心配もあったが忘れる事にした。
みどり荘の小母さんは僕のことをよく覚えていた。あの時の礼を云い、一週間程世話になった。毎日、秋の海に入り、島をぶらついた。この時期の島は閑散期、他にお客さんもなく僕だけだ。
毎日の食事に魚が出るはずだが、殆ど出ない。小母さんに尋ねると「あんたは、魚が好きじゃなかったから」と、肉をよく出してくれた。
2年半も前のことを覚えていたんだ。年中にお客はあろうに、貧乏な学生のことをちゃんと覚えていて、食事の好き嫌いまで配慮して下さっていた。
それから、八丈は僕が大好きな、より大好きな処になった。
今年も島へ行ったが「みどり荘」を訪ねていない。民宿はやっており、二代目の息子さん(あの時の小学生)が継がれているとの話。みどり荘の近くを何度か探して歩いた。
誰かに尋ねれば直ぐに分かるだろうが・・・。
島は随分近代的になった。特に道路や、家々が変わった。
島の緑・空の色・海の色・あの空気と風は「あの時と」同じだ。いつか、みどり荘を訪ねてみたい。おじさんや、おばさんはもういないだろうが、あの人達の遺伝子は残っている、と思うから。
会社も、そんな優しい遺伝子を伝えて行く組織・チームであってほしい。
先月、伊豆の「湯ヶ島温泉」をちょっと訪れた。伊豆長岡温泉に宿泊し、翌日友人でドコモ東海に勤務するN君が訪ねてくれた。彼の車に同乗し、天城山の麓までドライブした。その途中に湯ヶ島はある。作家の川端康成氏、井上靖氏とも関りが深い土地である。
私は、中学・高校生の頃に読んだ本の所為で、この地は特に印象深い。これまでも何度となく通っているが、温泉場(国道の下にあり、わき道を谷川まで下りる)まで下りるのは、42年振りとなる。尤もあの時は、夜のしじまの中を歩いて下りた。
昭和41年の晩春というよりは初夏か。三島発の夜遅いバスに乗った。行き先は、天城峠を越えた伊豆下田の予定。下田には、高校時代の同級生が温泉旅館の板前として就職していた。此処に泊めて貰うつもりで往復のバス代だけを持って行った。
処が、バスは湯ヶ島が終点であった。運転手に尋ねると此処から下田への乗り継ぎは既になく、三島へと折り返すバスもないという。途方にくれる、とはこのことであった。
困り果てた僕に、バスの乗客で一番最後に降りてきた男が、運転手との会話を聞いていたのだろう「俺のところへ来いよ」と気軽に声を掛けてくれた。年の頃は二十代の半ば過ぎか、ヤクザじゃない、かと云ってまったくの堅気風でもない。ちょっと異風な雰囲気のする兄さんだった。
こちらは、右も左も分からぬばかりか、世間知らずの田舎でのアンちゃんである。にも、関わらず、その兄さんは、僕を泊めてくれるという。見ず知らずの人であるが、僕はホットした。
バス停から、温泉場へとつづく、暗い木立の細道を10分程下って行った。谷川ほどしかない、狩野川沿いの狭い所に温泉旅館や少しばかりの民家がある。(尤も翌朝に分かったことだが)
暗闇の道を歩きながら、男はひと言「訊かれたら、俺の友達だちだと云え」と言った。
男のアパートは、川沿いの崖の上に建つ、六畳一間に流し台が付いた小さな部屋で、部屋に誰も居なかった。直ぐに寝たが、部屋の電気を消すと、谷川の瀬音が耳元で聞こえる。暫くして闇に目が慣れ、谷に面した窓を見ていると、ホタルの灯りが一匹、二匹とゆれている。そうしているうちに、何時の間にか眠った。
ドアに近い場所で寝ていた僕は、夜中に人の気配でフット目が覚めた。見上げると女の人が、僕の枕もとを跨いで奥に足を踏み出した処だった。部屋に入り、付けた電気の灯りで僕は目が覚めたのだろう。灯りが消え、また眠った。
翌朝、早やくに男と一緒にアパートを出た。女は、未だ眠りの中に入る。
外に出ると、糸を引くような雨が降っている。男が差し出した番傘には大きく旅館の名前が書かれていた「湯ヶ島舘」。
名も聞かず、訊かれず椙木立の細い道をバス停へと送ってもらう。篠つく雨と靄の中を傘を差し掛けてもらいながら黙って登って行った。
後日、蝉時雨の木立を下り、アパート訪ねた。小さな菓子折りを携えて。
部屋には、女が一人で居た。「この前は、お世話になりました」その一言だけを伝え、アパートを後にした。
小さな山あいの温泉場に暮す男と女。宿の番頭か料理人の男、温泉街の酒場に勤める女。そんな二人がひっそりと暮す部屋に、見ず知らずの若者を「俺のところへこいよ」と言ってくれた兄さん。
いい時代だったと云えば、それだけのこと。「俺のところへ、こいよ」といえる男に、なりたいものだ。何時の時代だって。
そうでなけれや、八丈島の小母さんや、湯ヶ島の兄さん。これまで巡り会ってきた、数多の兄さんや姐さん、オジサン・オバサン、お天道さんに顔向けのしようがない。と思いつつ生きてきたが、何時になったら、顔向けができるようになるのやら・・・。