ヘリテージパーク3回目。引き続き車庫を見ていきます。
扇形車庫は前回見終えたのですが、実は車庫はもう1棟あったのです・・・。
その名も車両工場 Railway car shopで、1992年に新築されたもの。従来屋外保存されていた車両を天候による劣化から守るために建築されました。19世紀後半~20世紀初頭のカナディアンパシフィック鉄道(CP)の車両工場を再現しているとのことです。
屋外に野ざらしで保存というのは劣化が早いものでして、割りと頻繁な整備が必要です。屋根を付けるだけでもだいぶ違うと言われています。この中に保存されている車両は木造車なので屋内に保存する必要があったのでしょう。
ちょうどCP2023号機がやってきたので撮影。こちらもなかなかええ感じに。
前照灯がシールドビームっぽかったり煙室扉がやけに小さかったり、他にも色々気づくところがありますね。
カナディアンパシフィックジョルダン式除雪車CP402829。1912年製。
ジョルダン除雪車というのは幅の広い翼を持ち、展開することで複数の線路の雪かきが出来る除雪車です。主にヤードなど線路が密集しているところで使われます。一度に吸う本文の除雪が出来るので効率が良いですが、翼に掛かる雪の抵抗が大きいので積雪量の多い雪かきは苦手です。
屋内に侵入してみます。めちゃくちゃ古そうな客車ばかりが置かれています。本当なんなんだ。
復元中と思われる謎客車。恐らくCP2658植民客車。
移民客車、英語で書くとコロニストカー Colonist carです。西部開拓時代に使用された北米独自の客車で、名前通りヨーロッパからの移民用に19世紀中頃より造られた客車です。
数千kmを旅するため車内は583系のようなプルマン寝台になっています。移民客車の設計の特徴は、寝台車としては質素な設計であることです。どこらへんが質素なの?と聞かれてもちと分からんのですが、1両にできるだけ多くの乗客(72人乗り説、50人乗りを100人まで乗せた説など)を乗せられるように設計されているのだと思われます。
なぜ詰め込みが効くようにしているかと思ったかというと、移民列車の運賃は格安で採算を取るにはとにかく詰め込む必要があるから・・・と考えた次第です。どのくらい格安かというと、ひと家族全員乗って7ドルで大陸横断できるくらい格安でした。モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ。
なんでこんなに安いかというと、まずはそもそも移民はだいたい身一つでやって来たような貧乏人ばかりだったので、そんな彼らでも乗れるような運賃設定にしたことというのが考えられます。さらに、鉄道会社としては自分ちの沿線に根を下ろしてもらって、ゆくゆくは乗客になってもらったり生産物を輸送するようになってもらったりして自社に利益をもたらして欲しいと考えるわけで、将来の金の成る木をみすみす競合他社に取られるわけにはイカンと価格競争に陥った、という可能性も無きにしろあらず。例によって確証なしですが。
なお、格安運賃7ドルの中には食事や寝具は入っていません。本当に人を運ぶだけの料金です。なので食事と寝具は乗客が用意する必要があります。
寝具はともかく食料を用意するのが大変だったと思います。日持ちする食料がどれだけあるか分かりませんし途中駅で調達するのは難しそうだし・・・。ちなみに簡単なキッチンが車内にあるのでそこで調理して食べていたそうです。なんていうか衛生的にヤバそうな列車ですね。人権が無い。移民するのも命懸けだ・・・。
移民客車の需要は第一次世界大戦の直前あたりでピークに達します。しかし1920年代には移民制限が始まり世界恐慌も起こるわで減少しました。余剰車は他の車両へと改造されていきました。
第二次世界大戦では詰め込みが効くのを利用して兵員輸送に使われ、大戦後も再び始まった移民ブームによりにわかに需要を取り戻します。しかし、1960年代には移動手段が陸から空へと移り変わり、これをもって移民客車は完全に表舞台から消え去ります。
残存車は他車種へ改造されたため、現存する植民客車は数えられるほどしか残っておらず貴重な存在になっています。これもその1台です。くたびれていますが、今後復元されていくかもしれません。
カナディアンパシフィックCP76号客車。1882年製。ここにある車両の中では一番古いのでは?
クリームの塗装や窓の意匠がおしゃれな客車ですが、これは要人輸送用の客車なのです。故に豪華。
車内のベッド。枕こんなにいらへんやろ。
座席もあり。
それにしても内装の造りが客車とは思えないほど凝っていて、走る家と呼びたくなります。
ウィニペグ軌道 馬車鉄道客車8号。1880年代の時代を再現したレプリカです。
蒸気機関車ではなく馬に客車を牽かせて走っていた鉄道です。形態的には路面電車の先駆けみたいな感じです。馬の世話が大変なので電車や機関車が登場するとあっという間に姿を消しましたが。
ウィニペグの馬車鉄道は、夏期は街に敷かれた軌道の上を走り、雪の積もる冬期には車輪ではなくソリを履かせて運行していました。
現在は廃止されているようですが、園内で実際に馬車鉄道を運行していた時期もあったようです。
CP141号客車。1907年アンガス工場製。分類としては行楽用座席車とでも言うべきでしょうか。
1900年頃の昔より都会の人々は都会特有の忙しい日々に辟易としており、休日くらいはそこから逃避したいと思うようになっていました。
そこでCPは夏季に行楽列車を運行することを決め、141号はそれ用に製造された車両の一つです。
外装はマホガニー材のニス塗りで、現存するニス塗りマホガニー材客車はほぼこれだけみたいな書かれ方をしています。ちなみに一等車です。
車内。ニス塗りの外装もそうでしたが、いかにも夏向けに作られたような爽やかな趣を感じます。
座席はなんと転換クロスシート。こんな時代から存在していたとは。
生地はバスケットのようなアレになっています。
カナディアンパシフィックCP100号「ヨーク」。
英国コーンウォール州の公爵ヨーク公とその公爵夫人(後のキングジョージ5世とメアリー)がカナダを周遊する際にCPが1901年に製造した9両の特別車両の1台。日本の御料車と似たような客車かと。
CP100「ヨーク号」は王室寝台車として製造され、電気、電話、スイートバス、召使い部屋が備えられています。自分の名前の付いた客車に乗るのってどうなんだろうな。やんごとなき人には特に感じることはないのかな?
1906年に御料車として運用され、その後実施年は不明ですがウィリアム・リヨン・マッケンジー総督が自身の公用車に使えるように改造しました。
個室寝台。元御料車なわけですから、そら豪華よ。
厨房。
ダイニング。
こんなところで今日はここまで。
その50へ→