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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その9 【2015/06/24~26】

2016-04-14 23:53:30 | 海外旅行記

再びメインハンガーへ。13機目はアメリカ陸軍カーチスJN-4D「ジェニー Jenny
第一次世界大戦時のアメリカの航空機といえばコレ、という機体だそうです。私は全く知りませんでしたが。
1917年、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決めたものの、当時アメリカにあった飛行機はスポーツ用ばかりで、「これじゃ戦争に行ってもすぐにやられちゃうよ」となったのかはよく分かりませんが、戦闘用の練習機としてJN-4は開発されました。当時のアメリカ人とカナダ人パイロットのほとんどはこれに乗って練習したと言われています。
生産数は約6000機とされ、当時としては結構造っていた方なんじゃないんでしょうか。ドイツのフォッカーD.VIIが約3300機、イギリスのRAF S.E.5が約5200機くらい。
大戦終結後は1000機のJN-4が民間に払い下げられました。曲芸飛行用に使われた機体もあるそうで、低速飛行できる特性からマジキチ曲芸飛行ことウィングウォーキングに適しているとかなんとか・・・。あれってそんな昔からやってたのか。



この機体は、1918年製でカリフォルニア州マーチフィールド基地(9ヶ月後行くところだ...)で250時間以上の飛行訓練を行ったとされています。
なんと1919年には製造元のカーチスに売り戻されてしまい、その後は個人に再売却され以降何人かの手を渡り歩きながら俳優としてテレビや映画に出演したとか。
1999年にFHCは入手したときはボロボロになっていて、入手後にフライアブルにまで復元されました。
ボロボロだったものを飛行可能にまで復元したってことはこれほとんどレプリカに近いようなものなんだろうかね。フライアブル機は飛行時の負荷や安全性に耐えなくてはいけないので、多かれ少なかれ機体の構造部に至るまで新品に取り替えているということがあります。安全性のため、これのエンジンはオリジナルの種類とは全く別物が積んでいるとのことです。まあ書くと長くなるんで突っ込むのはこのくらいにしておきます。



14機目、ソ連赤軍のポリカルポフU-2/Po-2。制式時はU-2だったけど航空機命名規則が変わった時にPo-2に名前が変わりました、という経緯があります。
1927年6月初飛行の練習機です。かなり安定性があり練習機としては最適という機体だったそう。農薬散布機としても使われたそうな。
第二次世界大戦にも参戦していて、さすがにドイツ空軍と正面切って張り合えはしませんでしたが、偵察・連絡・補給といった裏方で活躍。
私は知りませんでしたが(泣)中でもドイツ軍から「夜の魔女」と呼ばれた第46親衛夜間爆撃航空連隊の活躍は有名だそうで。その異名通り部隊のパイロットはなんと全員女性でした。ここら辺の男女同権はソビエトって感じします。で、彼女らの任務は夜間にこっそり超低空で侵入してイモ野郎どもに爆弾をプレゼントすること。部隊名は大層なものですがその狙うところは撹乱や士気の低下といった嫌がらせってところでしょうかね。
Po-2、最高速度は150km/hと第二次世界大戦時に爆撃任務に就く機体としては遅すぎって話じゃ済まないくらい遅いんですが、意外と相手にとっては撃墜しにくい機体だったようです。あんまり遅いんで、例えば高速バカのBf109だとPo-2に速度を合わせると失速寸前の速度になってしまいヘタすると墜落してしまうんだそうな。あとは、爆弾投下前にはエンジンを切って滑空しながら爆弾を落としていました。エンジン切るのは消音対策ですね。機体が木製でさらに低空飛行するので、レーダーにも映らなかったというのも成功の要因とされています。夜は寝れねぇわ、あんな旧型機相手に手玉に取られるわで、ドイツ兵相当「ぐぬぬ~」としていたそうで。
同様の嫌がらせは朝鮮戦争でも行われていて、アメリカ軍国連軍相手に実行されました。爆弾1発でF-86を9機破壊したなんて言う奇跡みたいな戦果も挙げたとか。



後ろから。暗いな・・・。
本機は1944年製で、たぶん第二次世界大戦時に再生産されたグループだと思います。ベラルーシで放棄され、その後ポーランドで復元、2000年にFHCが入手。塗装は件の第46(中略)連隊のものです。
ちなみに生産数は4万機で、複葉機としては世界最多。



FHCでは最大の展示物15機目、アメリカ陸軍ノースアメリカンB-25J「ミッチェル」。初飛行は1940年8月。生産機数はギリギリ1万機に届かず、9816機とも9984機とも。実に惜しいので、お情けで1万機軍団に入れてもいいと思いますよ。
大型の戦略爆撃機B-29やB-17ほど有名ではないにしろ、ドゥーリットル空襲というキラリと光るエピソードがあるのでB-18やB-26みたいな聞いたことも見たこともない爆撃機ほど埋没しているわけでもない中型爆撃機です。

ドゥーリットル空襲は、負け続けだったアメリカが「日本本土を爆撃してクソジャップに一泡吹かせちゃるウシシ」という作戦で、それに使われたのがこのB-25なのです。ただ、アメリカ領から日本へB-25を飛ばすとトランスフォームしたって航続距離が足りないので、近くまで航空母艦USSホーネット(CV-8)に運んでもらいその甲板から発艦したのです。ちなみにB-25は艦載爆撃機としては設計されてない陸軍の爆撃機なので、かなりアレしてます。この作戦が無茶とか無謀とか言われるのはだいたいここです。
少しでも軽くして短い空母の甲板から発艦できるようにするために機銃から爆撃照準器まで余分なものは何から何まで下ろして出撃したとされています。照準器まで外したらマズいと思うんですが、嫌がらせが目的で精密爆撃は重要でなかったのと、照準器が結構な軍事機密だったんで万が一鹵獲されたら堪らんとあえて外したらしいです。そもそも、たかが16機のB-25が爆撃したところでその直接的な戦果は殆ど無いのです。
で、着艦はどうしたかというと、結論から言うとUSSホーネットへは戻ってきませんでした。発艦はともかく着艦は無理だったようで、着陸先は当時同盟を結んでいた中華民国の飛行場、つまり爆撃後は日本列島を横切って中国大陸へと向かっていったのでした。本当に無謀だと思いますよ、これ。
爆撃は東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸に対して行われました。アメリカ側は80名の搭乗員に対して戦死者は3名、捕虜8名とその無謀さからすると軽微な損害で済みました。大成功と言っていいでしょう。
この戦果はアメリカで大きく宣伝され国民の士気を上げることに成功し、日本は泡吹いて倒れてミッドウェイ海戦にマジで取り組み始めることになったのです。Po-2の夜間嫌がらせ爆撃といい、戦争において心理戦は大事よのう。

余談ですが、この作戦の立案者ジミー・ドゥーリットル、どうも結構人気者らしい。北米P4で訪れた航空博物館では彼の胸像をやけに見かけたのです。そ、そんなに大好きなのかしら?
もっと他にも誰かいるだろう怪しいぞってことで彼の経歴を少し調べてみると、元はパイロットで、MITの博士、初のアメリカ横断飛行を達成、シュナイダー・トロフィー・レースなど3つのエアレースで優勝となっておりました。おおう、これ結構な有名人じゃないか。
となると、この作戦の宣伝するところは「トーキョーを空襲してやったぜ」ではなく「あのみんな知ってる超有名人ドゥーリットル中佐が率いて成功させた作戦」だったのかもしれません。作戦名が東京空襲大作戦とかじゃなくてドゥーリットル空襲っていう人名から取ったというのが前から引っかかってたんですが、そういうことなのかな?



後ろから。
デカイんで展示スペースから主翼や尾翼がはみ出ます。
当時はこんなに大きい機体を持っているなんてすごいなと思ったもんですが、後で調べると割りと手頃なサイズなせいかB-25は大きい博物館にならどこにでもある機体と思うくらい保存されているんですね・・・。フライアブル機も多いですよ、ええ。アメリカすげー。
ちなみにこの機体は最終生産型のJ型ですが、これが保存機のほとんどを占めるサブタイプです。逆にJ型以外だったらB-25でも珍しいB-25よ、ということに。



胴体後部側面の機銃。こんなところにも付けるかい?



主翼の付け根にも機銃。というかこの機銃は防御用ではなく攻撃用だよね。
というのもJ型はH型の仕様変更型で、変更点は機首の75mm砲を撤去したこと。な、75mm砲!?
戦車砲か対空砲クラスの75mm砲を敵戦闘機からの防御に使うわけもなく、これは対地対艦攻撃用に使われました。他にも攻撃用の12.7mm機銃が8門・・・。爆撃機を攻撃機に使ったわけか。たまげたなぁ。まああまり効果なかったようです。
ちなみに日本陸軍にも四式重爆撃機に75mm高射砲を取り付けたトンデモ飛行機キ109がいました。

この機体の経緯ですが、1944年製で、戦後は世界初の射撃管制装置(FCS)ヒューズ社E-1の訓練用を積むために改造されました。
どういうわけかカナダ空軍で運用され、1961年に余剰機になり売却。その後カナダ・カルガリーの民間企業が購入し、今度は消防爆撃機に改造されます。
1990年にFHCが取得し、カリフォルニア州チノで大戦時に復元されました。
めちゃくちゃ改造されてんやん、おまえさん。傍目にはそう見えないというのはすごいですな。
B-25は戦後も練習機、輸送機、レーダープラットフォーム機として使うために残存しています(となると、原型のB-25って意外と少ないのかもしれないですね)。B-25がやたら、しかもJ型ばかり残っているのと関連性がありそうです。J型以前はほとんど潰してしまったんだろうね。



機首。機銃、多いなぁ。全部合わせて12門あるんですって。



16機目、イギリス空軍スーパーマリン「スピットファイア Mk.Vc」。初飛行1936年3月。総生産数約23,000機。イギリス戦闘機といえばこれですな。
エアレース「シュナイダー・トロフィー・レース」用に設計したレース機が設計の元になっていて、主翼が楕円翼という独特な形状なのが特徴。まあ地上から実機を見てもあんまり分かんないんですけど・・・。そんな基本設計の良い機体に、過給器が改良されるごとにパワーアップしていくイギリスの至宝マーリンエンジン(後期型はグリフォンエンジンに替えられたそうよ)が合わさったことで、Mk.IXが出てきた辺りにはドイツ軍機をけちょんけちょんにしてやったとかしなかったとか。
バトル・オブ・ブリテンで最強のルフトバッフェ相手にブリテン島を守りぬいたってことで、イギリス人はこれが超好きらしい。

スピットファイアはマークナンバーがとてもややこしいことで有名で、1938年量産開始のMk.Iから始まりMk.24まで派生型をこさえやがりました。これ、欠番無いからな。さらに海軍型のシーファイアや偵察型なんかも入れると30種類は余裕で越すと思うしもしかすると40いくかも(もう数えるのをやめてる
スピットファイアさんのめんどっちいところは同じマークナンバーでも主翼の形と武装が異なるということで、A~Eの各タイプがあります。ややこしいな。さらにさらに高高度型と低高度型もあって、それぞれHF型、LF型と分けられているのだ(通常型はF型)。翼端の形状が異なっていて、通常型と比べてHFは翼端が伸びていてLFは翼端がカットされているのだ。あとはエンジンもチューンされているらしい。ああもうややこしいな(ただし、翼端形状は前線でも簡単に交換できるせいか、高度の分類まではマークナンバーに書かれないからこれは無視してもいいと思う、ていうか無視したほうがいろいろ楽だ)。
なんて底の深い沼だ、スピットファイア!にわかの僕では手に負えん。スピットファイアのバリエーションを完璧に空で言えるのはイギリス人だけだろう。



この機体はMk.Vc(5c)で、Mk.Vは最初期の量産型であるMk.Iの改良型となっています。生産数が最も多いタイプなので保存機は多い・・・はず(大戦前半の機体だからあまり残存してないかもしれない)。ちなみにMk.IIは失敗で、Mk.IIとMk.IVは試作機止まりになっています。
大戦前半はスピットファイアといえどもドイツ機に圧倒されていて、「Mk.Iだと性能足りないし、かといってMk.IIは失敗したしIIIとIVも上手くいかねーし、これじゃやべーよ」とヤケクソ気味になって新しく改良されたマーリン45エンジンをはめ込んだ結果、なんかうまくいったらしい。
なので改良型と言ってもMk.Iの機体のエンジンを換えただけ。まあ戦況は逼迫してたし仕方ないね。性能もドイツ相手に打開できるほどでもなかったらしい。それをするには後に出てくるMk.IXを待たなければならなかったのでした。

その次、Mk.VcのCはC翼(C wing)のCで、主翼によって主翼内に収まっている武装が異なるというのは今書きました。で、C翼というのは20mmイスパノスイザ機関砲4門あるいは20mmイスパノスイザ機関砲2門、7.7mmブローニング機関銃4門の選択式。同じC翼でも武装が異なるというアレさです。プラモデルじゃないんだから・・・。ただこの拡張性や翼端の換装はロボット物みたいでロマンありますね。
ここの機体はどうかというと後者です・・・んー、上の写真見ると銃口片側4つあるなぁこれ・・・(汗)。主翼前縁から飛び出ているのが20mmで、その脇のはガンカメラだろう、きっと。その外側に7.7mmが2門あります。赤いシールが貼られているところです。当時の飛行場は舗装されていない滑走路が一般的でしたので、地上駐機中や離陸時にホコリを巻き込まないようにシールを貼るのです。離陸後に機銃を撃ってシールを外します(そうなるとさっきガンカメラと言った部分の説明がつかなくなるけどもう考えるのをやめた

この機体は1942年9月11日にイギリス空軍第312飛行隊に配備された機体。第312飛行隊はチェコ人で構成された舞台です。あくまでイギリス空軍なのですが、コックピットの辺りにチェコの国籍マークがあるのが分かると思います。他にもカナダ人部隊や亡命ポーランド人部隊で編成された部隊もあり、同様に胴体の何処かにそれぞれの国籍マークが小さく書かれています。
この機体は同部隊隊長トーマス・バイビラルの機体(だと思う)で、英仏海峡のガーンジー島で戦闘で被弾し撃墜、パイロットは脱出しましたが機体は大規模修復が必要でした。
戦列復帰後は別部隊で運用されていたそうで、終戦後は教材、展示用に使われました。1964年に用途廃止となりカナダの博物館へ売却、1999年にFHCが入手しました。



後ろから。やっぱり上から見ないと楕円翼って分からないなぁ。
20mm機関砲の根元から出ている主翼上面のコブは、内側に機関砲が収まっています。スピットファイアの主翼は薄いので大口径機関砲は収まらず、コブを付けることで無理やりねじ込んでいます。
他にもキャノピーとかオイルクーラーとか見るところあるんですけど、ちょうどいい写真がないのともう書くの疲れたんで、今日はこのくらいにしてやります。調べるほどドツボにはまっていく。



17機目、アメリカ陸軍のノースアメリカンP-51D「ムスタング Mustang。初飛行1940年10月。生産機数約16,000機。
強い、安い、カッコいいと、ムカつくくらい非の打ち所が無いと言われる第二次世界大戦最優秀戦闘機。真打ち登場って感じ。

1939年、ドイツがハッスルして戦争が始まると、イギリスが「P-40ライセンス生産してちょ」とノースアメリカンに頼むんですが、「あんなアゴ戦闘機なんて言わずに俺たちが超イケイケの戦闘機を新しく開発してやんよ」と今日にでも戦闘機がほしいというくらいのイギリスの要求を拒否し、後にイギリスで「ムスタング」と呼ばれるようになる(アメリカではP-51A)原型機を102日で完成させます(初号機ロールアウトまでは117日とも)。元々はイギリス用戦闘機だったんですよ、これ。
ところがこれに積まれていたエンジンは、あんまり大したことないエンジン(除くP-38)ことアリソンV-1710エンジンだったのだ。これによりなんだか平凡な機体に仕上がってしまい、世界線が違えば戦場の影で対地攻撃や写真偵察を行っていた地味地味な機体に終わっていたのかもしれません。
が、今我々がいる世界線にはマーリンエンジンがあったのでした。イギリスの技術士がエンジンをマーリンに換装させて飛ばせてみるとあら不思議、性能が段違いに良くなったのです。魔法かいな。このマーリンを積んだムスタングは、アメリカではP-51B/C、イギリスではムスタングMk.IIIと呼ばれるようになりました。
そして、みんなも知ってるキャノピーを全周が見えるようにしたバブルキャノピーと6門に増やした12.7mm機銃を装備したP-51D/ムスタングMk.IVが完成したのです。あとP-51Hってのがあるけど無視します。



横から。胴体は意外と短いんだなぁって思います。これで爆撃機並みの航続距離を持つんだからどこに燃料載せてんだっていうアレ。
最初はパッとしない奴だったけどその後超絶パワーアップして敵国をボコボコにしてやったという、なんだかアメリカ人が好きそうな機体なのか知らないですけど結構な数が現存していて、いるところにはいる機種です。速いところに目をつけられてエアレース機に魔改造された機体もいるそうですよ。贅沢なことするなぁ。

この機体はアメリカ陸軍第8空軍第353戦闘航空団所属だった機体。第8空軍はドイツへの戦略爆撃を行っていた部隊で、第353戦闘航空団はその爆撃機の護衛隊ですな。
ハリソン・ブド・ルドルフ大尉の搭乗機で、Me262ジェット戦闘機も撃墜したんだそうな。戦後はスウェーデン空軍とドミニカ共和国空軍を渡り歩きます。ドミニカ共和国はP-51を最後まで運用していた国で、1984年に退役するまでその状態は良好であったと思います。その後1998年にFHCが入手し、1945年の状態に復元。2003年にはルドルフと再会しました。



後ろから。いやぁ、これはカッコいいでしょ。



スピットファイアの横に置いてあった、イギリスの至宝ロールスロイス マーリンMk.25 V型12気筒エンジン
スピットファイアを常に一線級の戦闘機にパワーアップさせ続け、P-51を超優秀戦闘機の押し上げた傑作エンジンというのはさっきも書きました。実は戦闘機以外にも使われていて、ランカスターやモスキートのような爆撃機、果てはコメットやセンチュリオンといった戦車に加えてモーターボートにも搭載されてしまい、その枠は航空機用エンジンを超えています。なんだこいつ。
生産数も16万台となんじゃそりゃという数で、これは本家ロールスロイス製の他にも、大量生産の権化アメリカでもバカスカとライセンス生産されていたからです。
アメリカではパッカードという自動車メーカーが造っていました。パッカード製エンジンはパッカード・マーリンとかV-1650とかと呼ばれています。なおP-51に載せられていたのはパッカード・マーリンの方です。他にイギリス用にも輸出されとりました。

このMk.25はロールスロイス製で、モスキートに搭載されました。戦闘機用と爆撃機用ではチューンが異なるのかしら。
高度2000ftで1640馬力、高度9500ftで1500馬力となっております。
カットモデルになっていて中身が見えますが、まあ、よく分かんねぇです。写真手前側が前です。



後ろ側。エンジンの後ろに出っ張ってゴチャゴチャと付いている部品は、機械式過給器(スーパーチャージャー)です。
マーリンはエンジン本体も優れていましたが(どう優れてたかと聞かれると分からないけど)、過給器も優れていました(どう優れてたかとry)。過給器の改良によりマーリンはパワーアップを続けてきました。過給器が良いとエンジンの出力は上がるし高高度でも性能を発揮できるんで結構大事な部品。
このMk.25は1段2速。まあ、よく分かんねぇわな(手抜き
最終的にMk.61以降の2段2速の発展していきました。

今回はここまで。


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