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黒鉄重工

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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その16 【2015/06/24~26】

2016-05-09 01:34:34 | 海外旅行記

2015年6月26日(金)6時41分
ワシントン州ショアライン リッチモンド・ビーチパーク

3日目最終日です。
この日はまずレンタカーを9時までに返却しなくちゃならんのですが、早起きすればもう一箇所どっか行けるなと思い、朝の5時に起床して半にはレンタカーを停めた駐車場へ。
シアトルから25kmほど北上してリッチモンド・ビーチパークという公園へ車を走らせて、そこで列車を撮影します。いわゆる朝練。
この公園は海沿いにあって、さらに海岸沿いに線路が走っているので、列車の撮影にはいいのかもと思った次第。撮影地ガイドみたいなのはネットでは見つからんかったので、航空写真からそれっぽいところを探しました。たぶんもっといい場所はあると思うぞ。

そいで、ちょうどいい感じに貨物列車が来ましたな。



望遠で。
2階建て海上コンテナのダブルスタックと長物車にトレーラーを載せたピギーバックで編成された貨物列車で、牽引機はEMD SD70ACe形BNSF9004号機+GE Dash9-44CW形BNSF5274号機。
ここはBNSF鉄道の線路のようです。地図を見てもここはなんとか線だよとは書いてくれてないのです。必要ない情報ですしね・・・。



引きで。うーんでかい。
速度は結構出してます。加速は遅いけどスピードに乗ればこっちのもんよって感じなんでしょうね。



先頭が通過してもまだ尻尾が見えないんですけど・・・。数は数えてませんが100両は超えてるんだろうな。
この物量は、ある意味鉄道の極地のひとつですね。鉄道の利点を最大限利用しています。



貨物列車が通りすぎないうちに、サウンダートレイン1703レシアトル行きが南下していきました。
ていうか、海を背景に列車を撮れると思ってきたんですが、イマイチ・・・。少なくとも午前中は影がかかってダメだ。あと電線が超邪魔。思い通りには行きませんな。



牽引機はEMD F59PHI形SDRX901号機でバイレベルカーは3両。短けぇ・・・田舎かよ。
バイレベルカーもダブルスタックの前だと小さく見えますねぇ・・・。これ2階建て新幹線と同じくらいの高さあるんですけどね。



ようやく通り過ぎたかと思ったら、ケツには後補機Dash9-44CW形BNSF5114号機が着いてました。尾灯はないから前照灯を点けてんのか。
この後この列車はしばし停車します。



海岸線沿いに走るサウンダー。動画撮影だと面白い区間かもしれませんね、ここ。



南行の貨物列車。SD70ACe形BNSF9182号機+Dash9-44CW形BNSF4891号機。
これもダブルスタックトレインでしたが、なんだかやけにゴミ臭いコンテナが載っていました。産廃かな?



うねうねいいですね。



サウンダー1705レ、F59PHI形SDRX905号機。うーん、客車2両・・・。
側線に置いてある無蓋車はなんなんでしょうね。正直邪魔。



撮影地点を変えるべく移動していたら南行貨物列車が通過していきました。意外と列車が多いですな、ここ。何本かの路線系統が集中する区間なのかもしれません。
牽引機はES44DC形BNSF7403号機+ES44DC形BNSF7388号機+ES44C4形BNSF7090号機+ES44DC形BNSF7594号機。堂々の4重連。まあこっちじゃ4重連くらい普通らしい。



列車のケツ。
日本の現在の貨物列車と同じで、アメリカのそれも車掌車(こっちではカブースと呼ぶ)は連結していません。
代わりにフラッシング・リア・エンド・デバイス(FRED)という四角い筒のような外付けの標識灯を付けます。これの機能は尾灯の点灯だけでなく、列車のブレーキ圧などのステータスチェックを行うことが主。かつてカブース要員がやっていた列車監視業務を無人化させることが目的なのです。
FREDの監視状況は無線で機関車に送信されます。これを利用して、アメリカの鉄道マニアはFREDの無線を傍受して列車の位置を特定するのに役立てています。なので無線機はこっちのマニアの間じゃ割りと大事なアイテムのひとつらしい。



サウンダー1707レ、F59PHI形SDRX902号機。ICカード「オルカ」の特別塗装機ですね。

時刻は8時前でそろそろレンタカーの返却時刻が迫ってきたのでこれで撮影終了。
レンタカー屋へ車を返却しに戻ったのでした。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その15 【2015/06/24~26】

2016-05-06 22:17:57 | 海外旅行記

2015年6月25日(木)18時51分
ワシントン州キーポート 海軍海底博物館


気がついたらなんだか変なところに迷い込んだ。
18時にキングストン港に着いてフェリーを降りたんですが、途中で何回か道を外しているうちに方向を見失いました(今回はカーナビ無しなのだ)。
ワシントン州道3号線に乗ることは出来たものの、今度は降りるところを間違えてしまったようです。Naval museumって標識が立ってたから合ってると思ったんだけどな()
アメリカとカナダって日本で言うところの青看板が無いので、土地勘がない土地で車を走らせると割と簡単に方向を見失ってしまうんですが・・・。かといってカーナビ載せてる車も見かけないし、みんなよく平気ですね。

で、なんだか辿り着いたのが「海軍海底博物館 Naval Undersea Museum」。いや、ここは来たかったところとは違うぞ。もうとっくに博物館は閉まってるし、なにも分からない。なんだここ。

・・・と言う感じに頭に?マークが飛んでたんですが後で調べてみた結果、ここはアメリカ海軍の敷地内にある博物館なのでした。軍施設にフラッと入っちゃったけどいいのかこれ。
海底博物館という名前ですが海洋学系の展示はどうも無さそうで、やはり海軍の博物館なので海底を移動する潜水艇/潜水艦およびそれの装備なんかを展示をしているようです。ちょっと魅力かも。



既に閉館してたので館内には入れませんでしたが、幸い屋外展示もあります。せっかくなんで見ていきましょう。たぶんまた来ることなんて無いだろうし・・・。ただしだいぶ時間をロスしていて急いでいたのでとてもいい加減な写真しかないです。

まずは、潜水艇トリエステII(DSV-1; Deep Submergence Vehicle)。主に海洋学調査に使われた潜水艇です。製造はアメリカ海軍メアアイランド造船所。1964年竣工、1984年退役。運用者はアメリカ海軍。
トリエステIIは潜水艇の中でもバチスカーフ Bathyscaphというタイプの潜水艇です。バチスフィア Pathysphereという耐圧球から発展したものです。チスフィアが動力を持たずに海面からロープで吊り下げられて潜水するのに対して、バチスカーフはそれに推進力と浮力をくっつけた潜水艇と思っていただければいいんじゃないかなと。
なので、船体の殆どはフロートだとか動力だとかで占められていて、本体である耐圧球は前脚の間に隠れているあれです。前からは撮ってないので肝心の耐圧球の写真はないです。う~ん、いい加減。
フロートには航空用ガソリンが充填されていて、水よりも軽いこれで浮力を得ていました。ガソリンは圧力をかけても体積がほとんど変化しないからフロートとして最適なんだそうな。
このガソリンのフロートと耐圧球の組み合わせがバチスカーフだと、これを発明したスイスの物理学者オーギュスト・ピカールは申しております。スイスって海がないのに深海に興味を持つというのも変わったものですな。なおバチスカーフの由来はギリシャ語のBathys(深い)とScaphos(船)を組み合わせた造語。
ガソリンは6.6万ガロン充填されていて、また潜行用に数トンのBB弾サイズの鉄球を抱えていました。浮上時には鉄球を切り離します。推進方式は電気モーター動力のスクリューです。
自身の最深記録は1977年南キューバのケイマン海溝での水深20,236ft(約6100m)。任務は前述のとおり海洋学調査や深海探査などの学術系が主ですが、事故で沈没した原子力潜水艦USSスレッシャーとUSSスコーピオンの調査も行いました。

余談ですが、トリエステというと先代の方のトリエステIの方が恐らく有名で、こちらは史上初めてマリアナ海溝の最深部(水深10,911m)に到達した潜水艇となっています。マリアナ海溝というと世界で一番深い海底なので、自ずと世界で一番深い海底に到達した乗り物およびその乗員となります。現在はその記録も塗り替えられているかもしれませんけど。
それなのに耐圧球以外は解体されてしまったそうで、もったいないことをしたなぁと。耐圧球も、このトリエステIIに流用されるから残ったのであって、そうでなかったら一緒に解体されてたとおもいます。
なおトリエステIIの耐圧球は途中で交換されているので、今展示してあるのは2代目の耐圧球です。現在トリエステIの耐圧球はワシントンD.C.の海軍博物館に収蔵されてるらしい。



次はディープクエスト号。製造はロッキード・ミサイル&スペース社。ロッキードって潜水艇も造ってたのかいな。就役期間は1967~1980年。
これも海底調査用に使われた他、深海救難艇(DSRV; Deep Submergence Rescure Vehicle)のプロトタイプにもなったそうな。最深記録は1968年2月の水深8130ft(2400mちょい)。
先のトリエステ号よりも幾分か小型で、胴体内には耐圧球が2つあります。この中に乗員2名と観測者3名を収容できます。耐圧球はそれぞれ連結されているので行き来が可能だとか。



DSRV-1ミスティック。上のディープクエストの成果を形にした深海救難艇・・・だと思いますよ、きっと。就役期間は1977~2008年。割と最近まで現役でした。
即応救難潜水艇として世界中どこにでも展開できる体勢が整っていました。現場近くまではC-5輸送機で急行して、そこから母艦になる潜水艦に搭載されて現場に向かっていたようです。
もう面倒くさくて解説板に近寄りもしなかったんで書くことはこれくらいしかないです。



USSスタージョン原子力潜水艦(SSN-637)のセイル。進水1966年、就役はその翌年、退役は1994年。スタージョン Sturgeonはチョウザメの意味。潜水艦チョウザメ、うーんこの。
冷戦期のアメリカ潜水艦艦隊の主力で、同クラスは37隻も建造されました。げ、原潜やぞ・・・?やっぱこの時期のアメリカはちと狂ってるな。
特に何かあったということもなく、1994年にシアトルで解体されてセイルだけここに寄贈されました。セイルだけでも結構大きさがあって、本体はかなりでかかったんだろうなぁと。

屋外展示は全て見たんでこれで撤退。さすがに日暮れが迫ってきてるんで急ぎますよ。



はい、着きました。
19時半頃にブレマートンに着きました。最初、海底博物館までに50分もかかってたのにそこからは意外と早かった。
着いたのはUSSターナージョイ博物館。名前のまんま、退役したアメリカ海軍駆逐艦USSターナージョイ USS Turner Joy(DD-951)を展示しています。本来来たかったのは海底博物館でなくてここ。
前日、シアトルの観光案内所で情報収集していたらたまたま目に飛び込んでしまい、あまり遠くないので急遽予定を組み込んだ次第です(ってのを随分前に書いたんだけどたぶんもう誰も覚えてない)。ただ開館時間が10~17時だったので、ようやく辿り着いた現在は余裕でアウト。というかフェリーの列を待ってる時点でアウトでした。予定がロスタイム無しでトントン拍子に運ばなければ、無理だったでしょうね。
それでも昔の駆逐艦は今まで見たことなかったので外からでも眺めようと強行した次第。



ただ、まあ、これ、見づれぇ・・・。岸壁におしりを向けて停泊しているのでこれはどうしようも・・・。



引きで撮ろうとしてもヨットが邪魔でいかんともしがたい。
悩んでいたところに、艦の北側に橋が架かっていて対岸へ渡れるのが目に入りました。あ、向こうからなら見れるな。



狙い通り。歩くと15分くらいかかりそうだったんで車で移動しました。
USSターナージョイは1958年5月5日進水、1959年8月3日就役、1982年11月22日退役したフォレスト・シャーマン級駆逐艦の18番艦で同級最後の艦です。建造は海軍ピュージェット湾造船所ということで地元です。ターナー・ジョイとは第一次世界大戦~朝鮮戦争あたりの軍人の名前です。3つの戦争生き延びるのってすごいなぁ。

実はアメリカがベトナム戦争に直接介入するきっかけとなった、例のトンキン湾事件にも一枚噛んでいた艦なのでした。
1964年8月2日に北ベトナムの情報収集を行っていた駆逐艦USSマドックス(DD-731)が北ベトナムの魚雷艇3隻から攻撃を受けます。USSマドックスの攻撃と空母USSタイコンデロガ(CV-14)の艦載機の支援攻撃により撃退します。この時ターナージョイも現場に向かいましたが、マドックスと接触した時には事態は収束していました。
続く8月4日、USSマドックスとその僚艦USSターナージョイは再び北ベトナムの魚雷艇による雷撃を受けました。これを受けてアメリカは報復措置として空母艦載機による北ベトナム軍の軍事施設を攻撃した、というのが一連の流れです。
8月2日の攻撃は間違いなく発生しているのですが、4日の方はアメリカとベトナムで食い違いが発生していて、これがアメリカの(・∀・)ジサクジエーンと言われています。

アメリカにとって正直いいイメージでは無いベトナム戦争、そのきっかけとなったトンキン湾事件に立ち会った艦を保存しているというのはちょっとびっくりでした。勇気ある決断だったんじゃないかと思います。



寄せて見てみます。
艦首には主砲のMk.42 5インチ単装砲が1基。丸っこいカバーはなじみの形であり、アメリカ以外の西側諸国にも輸出された砲です。日本でも導入されていて、今も現役の艦だと「くらま」やはたかぜ型なんかに装備されています。
その後ろに艦橋構造物があります。背は低いです、というか日本の護衛艦が背が高いんだよな。あれは何だかそういう伝統でもあるんですかね?
艦橋の上にはレーダーマストが前部煙突に被さるように建っています。余裕が無さそうな配置。
前に突き出している大きいのがAN/SPS-29対空レーダー、その後方の小さいのがAN/SPS-10対水上レーダー、だと思います。



続いて艦後部。
後部煙突からもマストが伸びていますが、これはたぶん電子戦装備。
煙突は2本建っていて、細くて弱そう。煙突の間には小さくて見えないですが3連装魚雷発射管があります。
後部甲板には艦首と同じ主砲が2基。この艦首と艦尾に主砲を装備する配置は第二次世界大戦時の艦隊型駆逐艦と同じもので、実際フォレスト・シャーマン級はこれの流れを汲んでいます。ちなみに以降の駆逐艦はミサイルが主兵装になったので、本級が最後の艦隊型駆逐艦と言われています。
USSターナージョイは対潜強化あるいはミサイル駆逐艦化の改装を受けていないので、比較的原型を留めている保存例だと思いますが、詳しいところはよく知りません、はい。対潜迫撃砲と対空機銃が見えないけど、角度の問題かな?



引きで見るとこんな感じ。周辺の地形は入り組んでいます。

USSターナージョイ、大まかには第二次世界大戦時の駆逐艦を想起させるスタイルで、資料的には結構いい艦だなと思います。駆逐艦を保存するというのも珍しいです。
アメリカは博物館船の保存に関しては太陽系最強の量と質を持っていると言ってよく、戦艦・空母から駆逐艦・潜水艦に至るまでそこら中で保存されています。反面、巡洋艦は中途半端なせいか軽視されてしまったようで、あまり保存例は少ないです。
特に海洋国家ってわけでもないだろうによくもあんなに持ってるよな、と不思議に感じます。なお日本。だいたい戦争に負けたのと建築基準法のせい。

USSターナージョイが保存されているブレマートンは、シアトルのダウンタウンからフェリーが出ていて、ブレマートンのフェリー乗り場からも歩いていける距離なのでまたシアトルに来ることがあれば再履修。次は艦内も見よう。



ブレマートンで夕飯にメキシコ料理を食べたらそろそろホステルに帰りますが、その前にもう一箇所寄り道をします。
先ほどちらっと書きましたが、ここにはアメリカ海軍のピュージェット湾造船所があり、それに隣接して海軍キトサップ基地もあります。どちらも空母も停泊できるデカい基地です。航空写真を見たら空母がゴロゴロいたんで、何かしら見れるだろうと思い適当に基地周りの道路を走ってみることに。
見えるところまで来たんで車を停めてみると、鉄道の転車台が。基地の専用線の一部でしょうね。今も現役なのかしら?



はいそしてドーン!
いましたいました、空母USSインディペンデンス USS Independence(CV-62)です。でけぇ!「よくこんなの浮かんでられるな」というお決まりの言葉も出てくるわけです。
フォレスタル級空母の4番艦で、同級は当時世界最大級の軍艦だったとか(基準排水量6万t、全長325m)。余裕の大きさだ、排水量が違いますよ。
USSインディペンデンスは1958年6月6日進水、1959年1月10日就役、1998年9月30日退役しました。
空母ってことで海外派遣は何回も経験してきたそうです。1991年からは横須賀を母港にしていたということで日本とも縁のある艦です。
退役後はモスボール保存されてましたが、再就役することはなくいずれ解体されるようです。15年以上放置されているんで外観はすっかりくたびれています。飛行甲板も航空写真を見る限り大半が錆び付いていました。
2015年に解体される予定だったのが2016年後半までずれ込んだらしく、今の執筆時点でも見ることが出来るのかもしれません。

ちなみにその奥にはUSSキティホーク(CV-63)がいます。他にもUSSコンステレーション、USSレンジャーと空母だけで4隻(現役艦も入れればそれ以上)もいるヤバいスポットです。まあ、まともに見えたのはUSSインディペンデンスだけなんですが。



もう1隻、一応程度ですが見られました。補給艦USNSブリッジ USNS Bridge(T-AOE-10)です。サプライ級高速戦闘支援艦4番艦です。ストレートなネーミングだこと。
艦名接頭辞のUSNSはUnited States Naval Shipの意味で、民間人が乗り込む艦艇に割り当てられる接頭辞だそうな。艦の管轄も海軍の軍事海上輸送司令部という部署です。
これは今も現役で、キトサップ基地が母港です。

以上で、今日の予定は全て消化。あとは帰るだけです。シアトルまではフェリーが結んでいてこれが楽で早いんですが、フェリー賃が惜しいのと、ドライブがしたかったんで、ピュージェット湾を迂回して陸路で帰ることに。
まずブレマートンから州道3号線、同16号線を走行します。ピュージェット湾の最奥オリンピアまで走るのはだるいので、途中タコマ海峡橋を渡ってショートカットします。なんと有料橋でした、ここ。上下線で2本の橋が架かっていて、2本目は2007年に開通したばかりでまだ償還が完了してないみたいです。とほほ、想定外の出費だ。
タコマからはインターステート5号線に乗って北上、途中で給油してシアトルへと帰り着きました。着いたのは22時過ぎで、さすがに着く頃には暗くなっていました。思ってたより時間かかったな・・・。
明日も早いんでとっとと寝ることにしました。
翌日に続きます。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その14 【2015/06/24~26】

2016-05-01 03:03:50 | 海外旅行記

2015年6月25日(木)13時43分
ワシントン州エバレット フューチャー・オブ・フライト

工場見学の集合時刻の13時45分に近づいてきたので、集合場所へ向かいます。
飛行機の模型が置いてありますね。ボーイング以外の飛行機もやたら置いてありました・・・。

さて、肝心の工場見学ですが、見学時はあらゆる所持品を持ち込むことは出来ません。カメラはもちろん、携帯電話、財布に至るまで全て。荷物はコインロッカーに預けることになります。
というわけなんで、写真ありません。これはどうしようもない。まあ、映像や写真はネットの海にいくらでも転がっているんで、探してみてください(丸投げ



集合場所で受付を済ますと整理券を渡されると映写室に案内されます。そこで軽くボーイングとその工場のことについての映像を見ます。内容はもう忘れた。
その後いよいよ工場見学です。FOFの建物から工場までは離れているので、バスに乗ります。写真は前回屋上に行った時に撮っていました。
バスは写真のPrevost LeMirage XL-40でした。おお、ステンレスだ・・・。観光仕様のバスで側窓が僅かに天井まで伸びているんですが、意外とこれが眺めが良いんですね。



見学後に撮影した工場外観。ゴミが・・・。
5分にも満たない時間でボーイングの工場へ。ここは最終組立工場で、各地の工場から集めた部品や部材を合わせて1機の飛行機に組み上げるという行程の工場です。部品の製造自体は行っていないはず。部品は前回書いたとおり世界中から集まってきていて、日本からも主翼だとか胴体だとか大きい部品が来ています。
工場の床面積は39万8千m²、容積は1330万m³とピンと来ないくらい巨大。曰く世界最大の建造物。カリフォルニアのディズニーランドが完全にすっぽり入る大きさだそうな。東京のだと少しはみ出ます。ここまでデカいともう町みたいなもんなので、工員はチャリンコやカートで移動しています。

ここでは大型機の747と777、中型機の767と787の4機種を製造しています。ベストセラー小型機の737だけはシアトル南部のレントン工場で製造しています。余談ですが組立て前の737の胴体は貨物列車に乗って運ばれて来ます。やることが違うもの。
機体は奥から手前に向けて(外に787がいる方が手前)流れ作業で組立てられていきます。なのでひとつのラインに何機も飛行機がいるという格好になり、よくもこんなに造るもんだなと呆れます。昔の飛行機の組立は確か流れ作業じゃなかった記憶なので、その頃と比べてだいぶ効率化してるんだと思います。
見学時はテンションの高いおばちゃんに案内されます。アメリカのガイドはこういう人が多いですね。見学していて楽しいです。
1回の見学で2つの班に分かれて見学します。1班につき十数人だったかな?バスを降りると地下通路に連れて行かれて、そこから業務用の貨物エレベーターに乗せられて上層階に上ります。見学はここから見下ろす形ですることになります。いい眺めでしたよ。ちゃんと見学コースになっていて、あちらこちらに模型やら画面やら解説板やらが設けられていました。
逆に工員と同じ階には降りませんでした。まあ邪魔だしね。
個人的にショックだったのは工員がシャツ一枚メット無しで働いていたことでしたね。さすがに直接機体に携わる人達はメットしている人もいましたが(してない奴もいたぞ)、作業着着てる奴は一人も見かけなかったぞ。イカンでしょ!とはならないのかなアメリカでは・・・。天下のボーイングでこれだもんな。
チャラい格好の工員はいなかったんでさすがに服装規定はありそうでしたが、うーんこの。

見学時間は全部合わせて90分。楽しかったですな。今度は旅客機マニアも拉致って行こうな。



チケットはこんなんでした。



最後に駐車場から機体を見ていきます。
一番手前は空中給油機のKC-767。軍用機もここで造るのか、まあ当然か。
その後ろにはアメリカン航空とエアカナダの787が並びます。



お、JALの787もいますよ。



ラン航空の787-9。聞いたことねぇ。
チリのフラッグキャリアで、ランとはLatin American Networkの頭文字だそうな。日本には就航していないんでそりゃ知らんわな。
ちなみに787-9は今まで見たことなかったんで、これが初787-9に。



さっき見たサウディアのB777-300ER(HZ-AK27)が動いていました。これから試運転かな?
パッと見が767と見分けがつかないことで私の中で有名な777でしたが、最近はおでこの広さで見分けがつくようになりました。おでこが広いほうが777で覚えよう。



まあ正面から見るとまた分からなくなるんですけどね。

これにてボーイング撤退。また来ます。



また車を走らせて、今度はエバレットから南下してエドモンズというところへ。ここからフェリーに乗ってキングストンというところへ渡ります。
シアトルとオリンピック半島の間には氷河の侵食によって形成されたピュージェット湾が横たわっていて、アメリカのイメージからはかけ離れた複雑な海岸線を持っています。シアトルから外海に出ようとすると、ピュージェット湾の海峡をすり抜け、オリンピック半島とカナダ領バンクーバー島との間を通ってようやく太平洋という感じです。
この湾を陸路で迂回するとなるとタコマのさらに南のオリンピアまで南下しなければならず、えらく時間がかかるので湾内にはアメリカ最大のフェリー公営会社「ワシントン州フェリー」が湾内にある20の港を10個の経路で短絡しています。



フェリー乗り場の手前に着いたんですけどかなり後ろまで車列が出来ていて、あらかじめ用意されたレーンをはみ出ていました。あっこれヤバい。
この写真は料金所の手前で待っているところなんですがこれの500m以上先までは列が伸びていて、いやこれはまずいなぁ(滝汗)と。
結局当初乗る予定だった16:45発の便には乗船できず、その次の17:25発の便に乗ることになりました。この時点でもう次の侵略先はほぼ攻略できないと悟ったんですが、まあせっかくなんで見えるところだけでも見ようと思って強行しました。



エドモンズのフェリー乗り場のすぐそばには線路があって、近郊列車サウンダーのエドモンズ駅もあります。
そこに偶然アムトラックの列車が通り過ぎて行きました。「普通のP42にスーパーライナーか、たぶんエンパイア・ビルダーかな?」とこの写真だけ撮ってカメラをしまったら、次の瞬間すんごい古い鋼製客車が現れて目が点になりました、はい。カメラを再び取り出した時には通り過ぎてしまったんで写真はないです。何だったんだアレ・・・。



はい乗船。車でフェリー乗ったのは初めてですわ。



今回乗ったのはジャンボ級フェリーのMVスポケーン MV Spokane。ジャンボ級ってまた安直な・・・。スポケーンというのは町の名前です。他のフェリーもワシントン州内の都市名から名前を採っています。
ただし名前に違わぬ搭載能力を持っていて、乗用車206台(!)、乗客2000名(!!)を載せることが出来ます。車両甲板の左右の端2列は2階建てになっていて詰め込みを追求しているのが分かります。
この2階部分は地上のランプから2階へ上がるわけではなくて甲板内にあるスロープで上ります。スロープにも車を停めます。こんな構造は今まで見たことなかったです。なんかもう無理やりだね。
ていうかこんだけ積めるのに1便逃したのか、ワイ。



乗船時間は30分間と短いですが客室もきちんとあります。供食設備もあります。1973年就役だそうなんでちょっと古さが見受けられますが。
ただこれ2000人も客室に入らんだろう・・・。たぶん車内で過ごす人も計算に入れているんでしょう。



外に出ます。いい天気ですね。もうすぐ18時ですが太陽がまだあんなに高いところにあって沈む気配がありません。
この時期は日没が20時~21時と本当に遅いもんですから、サマータイムとの合わせ技で活動時間が長くなって大変よろしいです。日本もサマータイムやりゃいいのに。



お馴染み、航跡の写真。



エドモンズ行きのフェリーとすれ違い。MVワラワラ MV Walla Wallaでした。変な名前だ。たぶんネイティブアメリカン由来の地名でしょうね。
MVスポケーンとは同型ですので、MVスポケーンの外観はあんな感じです。両端にブリッジが付いた両頭船です。

今回はここまで。


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