白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー151

2020年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
エルネスティーヌにとってマスコミ社会面は暴力的な言語に満ちており過剰な刺激を与えてしまう。花のノートルダムの消息を知りたいわけだが過剰な刺激、社会面という過剰な演出装置は、目まいを与えるばかりで肝心のノートルダムに関する裁判の行方を焦点の合わないものに変えてしまう。

「それらの行は粗雑に見え、音の出る、どぎつい色で描かれているように見えるのだった。それは踊り子の顔の上に置かれた赤い手、緑の顔、青い瞼といったところだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)

いったん落ち着く必要がある。煽れば煽るほど読者が悦ぶという社会の中では特に。だから当時のフランスの一般大衆のあいだでは、マスコミ社会面の目に見える暴力的文体が、目に見えない社会的文法の基準になっていた。人々は、そして陪審員も、慣習化していたその種の感覚の桎梏(しっこく)のもとで容疑者に裁きを与えていた。マスコミ社会面という暴力装置から次々と繰り出される往復ビンタにも似た快感に翻弄され身を任せるほかないエルネスティーヌ。しかし読まずにいられないのも確かだ。前回引用したようにジュネは「三面記事」が与える効果を「強姦」と述べた。たいへん巧みなアナロジー(類似、類推)だといえる。だからといってエルネスティーヌが実際の「強姦」に飢えているわけではない。そういう意味ではなく、そもそも人間には暴力に「飢える力」というものが備わっていて、彼女はこの種の「飢える力」という欲望に忠実だったわけである。ところがマスコミ用語はあまりにもしばしばエルネスティーヌを鞭打った。

「津波が消えると、彼女はラジオ欄の楽曲のすべてのタイトルを読んでいたが、音楽の旋律が自分の部屋に流れ込むことをけっして黙認しなかっただろう、それほど最も軽薄なメロディーはポエジーを蝕むのである。こんな風に新聞は人を不安にさせるものだった、あたかもそれが、拷問用の柱のように血まみれで、手足をもがれた柱(コロンヌ)、三面記事の欄(コロンヌ)だけで満たされていたかのように」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)

ジュネが述べているように「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」。なるほどそうであり疑問の余地はないのだが時系列的転倒を修正しておく必要性がある。「原因と結果の取り違え」を置き換えて読み直さなければならない。人間は自分固有の「ポエジーが蝕まれた」と気づいた瞬間、慌ててその原因を追求しに掛かり、それは「軽薄なメロディー」あるいは「メロディーの極端な軽薄さ」に違いないと事後的に認識するしか方法を知らない。是非なくあらかじめ人間の身体はそうなっているのであって、その不可避的事情を認識した上で始めて「軽薄なメロディーはポエジーを蝕む」と言うことが可能になる。可能になるやいなや人間は頑固一徹にそう思い込む。ゆえに軽薄なのは人間自身である。軽薄さと頑固さとが合体するとちょっとした僅かな差異を見出してどんどん差別へ置き換えていく。人間はその瞬間「けち臭く」なると同時により一層人間的になる。この「けち臭さ」とともに人間社会は成立し発展してきたという隠すにも隠せない歴史を作ってきた。たとえば商品の《価値》ではなく商品の《価格》について。

「《けち》。ーーー買物のとき品物が安いとわれわれのけち振りは増して来る。ーーーなぜか?小さな値段の差が、たった今けちの小さな眼を《こしらえた》からであろうか?」(ニーチェ「曙光・三〇五・P.303」ちくま学芸文庫)

価格については表示された瞬間からそう言える。だが価値については貨幣による商品交換が行われた瞬間から、信用が貫かれた瞬間から、あくまで事後的にしか研究できない。しかし大抵の場合、それでもなお「原因と結果の取り違え」は起こりうる。

「そしてわれわれが明日読むことになる裁判には、新聞はとてもつつましく十行しか与えておらず、それらの行は充分間隔があけられていて、あまりに暴力的すぎる言葉の間に空気を循環させることができるのに、これらの十行、ーーー絞首刑に処せられた者のズボンの前あきよりも、『麻のネクタイ』という言葉よりも、『陽気な人たち』という言葉よりも催眠術にかかったーーーこれらの十行は嫉妬深い老女と子供たちのすべての心臓をどきどきさせたのである。パリは眠らなかった。明日、ノートルダムが死刑を宣告されることをエルネスティーヌは期待していた」(ジュネ「花のノートルダム・P.324~325」河出文庫)

裁判過程については述べることができない。死刑に処されるのは有名なのだが裁判所でのやりとりは古典であるにもかかわらず今なお「ねたばらし」になってしまうからだ。ジュネは詩(ポエジー)を知っている。作品「花のノートルダム」はデビュー作ということもあってかわざわざクライマックスが設けられている。ジュネにとってこのクライマックスはユーモアや逆説や皮肉がたっぷり詰め込まれた詩(ポエジー)になっているため、さらに好き嫌いとか、あるいは古典嫌いの人々は知らないかもしれないし知っている必要性もない。しかし裁判所でのやりとりがクライマックスとして置かれた小説の場合、その「ねたばらし」は避けるほかない。となると、後は最後の一回でほぼ済んでしまうだろうとおもわれる。以上、長々と述べてきたが、それにしてもなおリハビリは続けていかなければならない。しかし次はどの本を手に取るか自分でもわかっていない。まるで白紙なのだ。
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さて、アルトー。特異な衣装の装着とその意義については前回述べた。自分で自分自身の身体を通常の生活での社会的位置から脱することである。

「私はとりわけペヨトルの司祭たちが、本来的に雄と雌であるこの儀式を行なう瞬間に、ヨーロッパ風の帽子を地面に投げすて、二つの突起を持つ鉢巻をつけるのを見た」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)

年中行事へ封じ込められてはいるが、そのぶん充実した節目として作用する変容の経験である。目指されているのは共同体の一人一人がそれぞれ確かな「人間」として承認されることであり、そのために必要な手続きとして《獣性》の再確認が年に一度用意されているのだ。

「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)

かつてマルクスは「自然力としての労働力」といった。

「《自然》もまた労働と同じ程度に、諸使用価値の源泉である(じっさい、物象的な富はかかる諸使用価値からなりたっているではないか!)。そしてその労働はそれじたい、ひとつの自然力すなわち人間的な労働力の発現にすぎない」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.25」岩波文庫)

アルトーはけっして政治運動家ではない。にもかかわらず共に設立した仲間たち、特にブルトンを筆頭としたシュルレアリズム運動から急速に離れていく。詩と演劇にのめり込んで行ったきり戻ってこなかった。その意味で仲間たちとの往復書簡は終生続いた一方、やっていることはだんだん異なっていった。ロートレアモンもそうなのだが、「シュルレアリズム運動」として一括りにしてしまうとわからなくなるのである。アルトーにしてもロートレアモンにしても「シュルレアリズム運動」の参加者として考えるやいなや異端者に見える。というのは言語は常に一般的なものしか出現させることはできないからだ。その証拠に「シュルレアリズム運動」という一般的な用語が発されるやいなやアプリオリででもあるかのように一挙に一括りに縛り付けてしまう暴力的拘束力を発揮する。言葉は諸力の運動から細部を切断して削ぎ落とし固定化し一般化することでコミュニケーションを可能にする必要物なのだが、ニーチェのいうようにそれは「粗雑な必要物」であって、けっして事実を現わすことはできない。事実というのは常に多様なものの流動性としてしか存在しないからである。だからマルクスのいう「自然力としての労働力」もアルトーのいう「自然の円環」としての「身振り」も現行犯で捉えることは不可能なのだ。それは個々別々な現実として生きられるほかない。その意味でマルクスの誠実さは小林秀雄を恐怖させた。必要労働と剰余労働との境界線について、それは「隠されている」、従って「わからない部分はわからない部分として残されたまま残っている」ということをマルクス自身が書いているからだ。小林秀雄自身、必死になって何度も繰り返しマルクスを読み込んだ。すると数年も経たないうちにただ単なるマルクス「主義者」よりも遥かにマルクスの理解者と化していたという笑えない笑い話が現実化するという事態が生じた。戦前の近代日本はその「拷問監禁リンチ見せしめ社会」という面ではなるほど今よりとことん無慈悲残酷な「地獄よりも地獄的」社会だったことは確かだ。日常の至るところから残忍さが自分の姿を捉えておりいつも官憲の暴力に覆われていた。ところがその「空気」はどうかという点においては今よりずっと「健康」だったと言えるかもしれない。雰囲気の読み合いは自由だったからである。目に見えていた。

「それはあたかも、彼らがこの身振りによって、磁気を帯びた極を持つ自然の円環のなかに入ることを示そうとしているかのようであった」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)

自然はもはやなくなろうとしていた。土地の地図化は急速に進捗していたし明治の近代日本は測量器としての国家的機能を淡々とこなしていた。もっとも、当時の「淡々と」というのは「殴る蹴る殺す」という目に見える暴力とともに、であるが。問題なのは何度も言うように、日本はもとより世界中がもはや目に見えない管理社会に突入したことだ。ニーチェは何度も繰り返し読むに耐えうるものを古典として奨めているが、今や作者周辺の現状に取材してあるいは想を得て巧みに描かれた純文学系新人賞作品でさえ仕事の合間にゆっくり目を通して三、四日持てばたいしたものだというような社会になってすでに久しい。二度とない。ポーが“nevermore”(二度とない)と看破したのはいつのことだったろうか。百七十年以上経つわけだが。ペヨトルを取り上げられたタラウマラは徐々にキリスト教との折衷を果たしていく。見た目には様々な宗教者同士がやり遂げたかのように見える。しかし実際にものを言ったのはいつものように資本主義の持つ鉄の意志でありその柔軟性である。一方、タラウマラの儀式(シグリ)は年中行事としてなお存続した。ペヨトルなしで。どうしたかというとかつてタラウマラ族が実際にペヨトル抽出物を用いて演じていた身振り仕ぐさのシミュラクル(模倣、見せかけ)によってである。自分たちで自分たちの過去の遺産を反復する。今度は薬物なしで。トランス状態に至るダンスの重要性。或る種の「狂気」に没入して再び帰ってくること。アルトーはそこに自分が求めていた「獣性」と「快癒」と「脱有機体」という行為の紛れもない一致を見出す。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー150

2020年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
殺人を自白した花のノートルダム。マスコミは一斉に報じた。反応は二つに分かれる。

「一夜のうちに、花のノートルダムの名前がフランスじゅうに知れ渡ったが、フランスは混乱には慣れている。新聞にざっと目を通すだけの者たちは、いつまでもぐずぐずと花のノートルダムにかかずらったりはしなかった」(ジュネ「花のノートルダム・P.322」河出文庫)

いつまでもノートルダムの殺人報道に固着して離れない人々は明らかに暇を持て余している夢見る遊び人である。金銭的余裕のある人々である。とはいえ、俗世間の富裕層のことを差して言っているわけではない。ジュネ的感性から言えば、俗世間の富裕層は金銭面でいつも相場に振り回されている哀れな相場フェチに過ぎない。固定化不可能なフェチを追いかけていつか必ず自分に隷属させ徹底的に所有するつもりなのだろうが事情は必ず逆に転倒する。

「《所有が所有する》。ーーー或る程度までなら、所有は人間を独立的にし、いっそう自由にする。もう一段進むとーーー所有が主人になって、所有者が奴隷になる。彼はかかる奴隷として、所有のために己れの時間を、己れの省察を犠牲にしなければならない。そして以後は、自分が交際に拘束され、場所に釘づけにされ、国家に同化されてしまったように感じる、ーーーそれも、すべてはおそらく彼のいちばん内面的な、またいちばん本質的な欲求に反して」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・三一七・P.213」ちくま学芸文庫)

フロイトに言わせれば幼少期には誰にでも見られる「糞便嗜癖者」が大人になってなお「糞便=貨幣」を偏愛しているだけのことだ。ジュネは大人だがそのような贅沢なフェチとしての相場に振り回されてばかりいる極端に忙しい生活様式が気の毒に思えてならない。それは何らの音楽も降らせないし性的至高性も知らない。むしろ音楽的快感には耳をふさぐ。詩人になれずそもそも詩を理解できず従って美しい光景を次々と見逃していくことを《欲する》までに至っている暮らし。どういうことをいうのか。

「彼らは、まるで獣(けだもの)のように、鈍感に、そして汗をかきかき山を登る。途中に幾つもの美しい眺めのあることを彼らに言っておくことが忘れられたのだ」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二〇二・P.415」ちくま学芸文庫)

ジュネたちにすればその種の忙しさは滑稽に見える。見栄を張って言っているわけでは毛頭ない。逆に同情を覚えるのである。その種の忙しさは泥棒やごろつきたちの精神を甘美に誘惑する。ジュネたちの犯罪への意志を逆にかき立てずにはおかない。泥棒してくれと大声を張り上げているに等しい。では一体どのような層が花のノートルダム関連記事に付き合うことになるのか。暇を持て余しており金銭面で余裕があり遊び心で爆発したいと欲している人々。

「記事の核心にまで向かう者たちは、異常なものを嗅ぎつけ、そこに彼の足跡を見つけ出して、奇跡の大漁を再び白日のものとする」(ジュネ「花のノートルダム・P.322」河出文庫)

彼らは危険で充満したマスコミ報道の、とりわけ社会面の冒険者たちである。

「これらの読者たちとは、小学生であり、それと四歳で五十歳になったときの顔と身振りをもつユダヤの子供たちみたいに生まれながらの婆さんであるエルネスティーヌのように、田舎の奥に居続けたみすぼらしい老女たちである。ノートルダムが老人を殺したのはまさにエルネスティーヌのためであり、彼女の黄昏に魔法をかけるためである」(ジュネ「花のノートルダム・P.322~323」河出文庫)

というわけだ。ディヴィーヌ=キュラフロワの母エルネスティーヌもその輪の中にいる。

「エルネスティーヌも三面記事の小さな行に向かってまっすぐに出発したのだったが、それは新聞の『バリオ・チーノ』〔ならずものの巣窟だったバルセロナの中国人街〕ーーー殺人、盗み、強姦、凶器による襲撃ーーーである。彼女はそれらの行を夢見るのだった。それらの簡潔な暴力、それらの正確さが、浸透する時間も空間も夢に残しはしなかった。それらの行は彼女を打ちのめしていた」(ジュネ「花のノートルダム・P.324」河出文庫)

当時の新聞記事の社会面の文章といえばただ単に暴力的で扇情的な煽り記事の宝庫だったことは誰もが知っている。本当は貴族でないのだが、恵まれた育ちの良さと教養で自分を貴族的な身振り仕ぐさで装うことができるエルネスティーヌは、この種のマスコミの社会面が提供する余りにも暴力的な文章に耐えきれず「打ちのめ」されることがしばしばだった。
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さて、アルトー。部分的にではあれ古代の生活様式を保存している少数民族から学べることはたいへん多い。

「タラウマラ族のあるものたちは、髪を後ろ側に角のように垂らしている」(アルトー『タラウマラ・P.104』河出文庫)

かつて中国で見られた辮髪やミケランジェロ作「モーゼ像」を例に上げている。

「これはモーゼの石像とともに、ある種のマヤの、あるいはトトナックの仮面を想起させるが、それらは額に二つの突起または穴を刻んでおり、それは垂直方向に刻まれていて、まるで石化した眼球システムの記憶のようなのだ」(アルトー『タラウマラ・P.104~105』河出文庫)

モーゼ像に関する「角」なのか「光り輝き」なのかという有名な論争に関しては諸説ある。専門分野を参照したいところだが参照すればするほどますますわからなくなる。その理由は必ずしも宗教だからというのではなく個々の学者の解釈次第による。一方で「角」と解すると顔面あるいは頭蓋骨から動物の「角」が生え出ていたことになり、動物と人間との直接的繋がりを否定する多くの宗教学者は無言の裡に避ける傾向がある。さらに古代には身体障害者に対する偏見が蔓延していたこともあり、もし「角」が正解だったとしてもイエスと答える学者は恐らくほぼいないだろう。だがそのような事情は欧米でのエピソードである。だから欧米は別として考える必要性もあるだろうと思われる。より適切な研究のためにはしばしば距離を置くこと、そしてまた近づいてみること、その反復が必要であり、逆に一点固着主義は何もしないよりなお悪影響を与える。

そんなわけで近代化が比較的遅く古代の宗教的儀式を長く保存していた地域、あるいは北極圏と赤道直下とが違うように生活環境の違いから別の方法をたどって近代化したり、さらに宗教的価値観の多様性こそが特徴的な日本のような地域では一定の距離を置いて思考する研究環境があるため、あえて「角」説を支持する研究者もいる。創成期の資本主義社会を築き上げた欧米列強は急速な帝国主義化とともに宗教においても絶対主義的な教義の早期確立が目指された。するとそれは暴力的な政治的圧力のもとで行われるざるを得ない。戦前の日本も急速に近代化を推し進めていたわけだが実状は中途半端という最悪の状態に直面して例外ではいられない過程をたどった。だからその方向にしがみつくと当然のように研究というより遥かに絶対主義的カルト的解釈に急接近してしまう。ありもしない幻想を本気で信じ込み周囲を巻き込んで大破してしまう。東京大空襲だけでは理解できず原爆を一発だけに留まらず二発投下されてようやく憑き物が落ちたかのように我に帰ることができた始末である。

さてしかし、そもそも世界の古代文献や民族創世神話には多かれ少なかれ「角」を持った存在が登場する。それをどう呼ぶにせよ、神にせよ鬼にせよ悪魔にせよ、しかし彼らは何らかの形で神格化されている。人間ではない何かとして出現してくる。おそらく心身ともに同一的な部分だけを受け入れていた古代の小さな共同体の内部には存在しないか存在しても不安視されすぐに殺されるかした存在。平均的であるとは見なされずに疎外され拒絶された存在。さらに別様の生活様式を営んでいる別の共同体の構成員。翻訳可能な共通言語を持ち合わせていない共同体。ただちに肯定することができず、言い換えれば「超人的」に映って見えた「他者」のことを指して述べているのだろう。「角、鬼、畏怖」といったように。もっとも、相変わらず欧米の、とりわけキリスト教保守派の宗教者は「光り輝き」だけを採用しているらしいが。

本当のところはわからない。しかし近代から、さらに現代になると、打ち続く戦争、いつもどこかで起きている宗教絡みの地域紛争、生物学的研究の飛躍的転回、そして本家本元ともいえるパレスチナの聖地を巡る宗教者たち自身による終わりの見えない戦争などに対する疑問が続出してきた。宗教そのもののあり方に対する疑問が世界を覆い尽くすような事態になってきた。資金があまりにもかかり過ぎていると感じる人々が何とかせねばと発言できる機会も増えた。もっとも、発言機会の増大は資本主義というシステムの自由自在性に含まれている成り行きであって、宗教者自身は自分から発言しているつもりを気取ることはできても実際は資本主義が宗教者の身体を借りてそう言わせているに過ぎない。でないと資本自身が自滅してしまう危険に近づくからであり同時に根本的に資本主義は閉鎖的動作環境を徹底的に嫌うからである。そうして一般的な市民の動向を見れば、一方で宗教から距離を置くようになった。しかし他方でカルト的信奉者やナショナリズム的指示団体が生まれてきた。資本主義は一方でナショナリズムを生み、もう一方でナショナリズムを破壊する。二律背反を常態として発展する。一貫しない一貫性を特徴として始めて稼働する諸力の運動である。そこから利潤が発生する。極めてアナーキーなものなのだが、そのような種々のアナーキーな流れを公理系化し上手く整流器で濾過した上で流れを速やかに流していく。脱コード化と条里化とを一度の同じ動作で行う。一度の同じ動作が脱コード化と条里化である。だから資本主義はいつも多様性そのものでなくては生きていけない。この傾向をもっと推し進めると世界中どこへ行ってもすべてが均一な平滑空間が完徹されて利子発生の余地もなくなる。けれども資本主義は器用にできており、平滑化と条理化とを常に同時に行うことで新しい利子発生の余地をさらに延長させていく。一つの壁が乗り越えられたと思ったら、その向こうではなく、まさしくそこにいきなり新しい壁が出現しているという試練。資本家は苦しむ。ところが資本主義はこれを楽しむのである。自己目的だからだ。

そのように古代神話解釈においても多様性が多様性のままばらばらに散在した状態で先にあると認めない限り宗教紛争は終わらないし終わるはずもない。にもかかわらず今の宗教紛争はなぜか我慢しきれず意図的に騒ぎ立て、どさくさ紛れに慌てて架空の会社を設立し何度も不動産取引を繰り返して利益を上げているようなものに見えてくる。地域紛争のためには軍事力が必要だが、それを作っている多国籍大手メーカーならどこにでもある。軍事産業依存症ともいうべき事態が勃発している。そうなってくると自然に世間は嫌気がさしてだんだん遠のいていく。どさくさ紛れの「箱もの、インフラ、ばらまき」行政がまかり通っている地方都市のような政財官界の死に引きずられて心中するなどまっぴら御免だからだ。地方都市の悲惨はマスコミ報道によってももたらされる。あたかもそれしか方法がないかのように。それ《のみ》が唯一の解決策であるかのように。まるで古代なのだ。地方行政とその放送局は。防災機能は必要だ。けれどもそれは同時に村の要塞都市化でもある。どこからどう見ても要塞都市になってしまえば常に二分割することが好きな世界のマスコミ報道によって自動的に誘導された空爆を浴びて再び更地になり、再土地化され、結局のところ不動産業者へ叩き売られ転売されることは目に見えている。

「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.356~357」ちくま学芸文庫)

そのうち、専門的な論争はともかく、一般のポピュラーな次元で受け入れられつつ残ったのは、あえて「角」の髪型を選択することで詩人あるいは芸術家のように「他者」として自己アピールあるいは自分の身体そのものをメッセージ化する方法である。

有名なのはドイツのKlaus Nomiの髪型。ヨーロッパのニューウェーヴを決定づけた貴重な映像。

The Cold Song

近年の流行ではポーランドのSarsaの髪型。

Tęskno Mi

アメリカでは多過ぎるので省略。そしてアルトーは自分の《文体において》何か大そうな宣言でもするかのような《身振り》を行使して見せる。

「私は、タラウマラの人々が、自分の鉢巻を縫うとき、突起が垂れ下がるようにしているのを見た」(アルトー『タラウマラ・P.105』河出文庫)

アルトーはその生涯を通して愚直なまでの演劇人でもあった。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー149

2020年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
大衆雑誌の小説は冒険がたっぷり詰まっている。伝説の素材は日常生活にあるが冒険者は大衆雑誌の読者によって生産されるのだ。「つぶれた活字」とあるが、当時の大衆雑誌というのは大抵そういう出版条件に置かれていたし、ジュネたちの場合はさらにそれを回し読みしたり古書店からの盗品であったりすたため、活字はつぶれている。しかしこの「活字のすり減り」は何を意味するだろうか。無限に延長可能な不特定多数の人間らのあいだを生き生きと流通しそこから生まれる冒険の感染者を大量に出現させてきたということではなかったか。大衆小説から生まれた数々の殺人者たちの冒険は読者にまたとない活気を、すなわち自然力としての労働力を、提供してきたのである。

「つぶれた活字の、これらの分厚い本のページのまんなかに、驚異が立ち現れる。まっすぐ伸びた百合のように、若い男たちが出現するのだが、彼らはいささか私のせいで同時に王子であり乞食である」(ジュネ「花のノートルダム・P.311」河出文庫)

ジュネの場合、「まっすぐ伸びた百合」という同性愛の象徴が出現する。ただ象徴的な「百合」は女性の同性愛者のあいだで多く用いられるとか男性同性愛者のあいだで発生したとか議論は様々あって一定しない。以前にも述べた。しかし問題はなぜ「百合」なのかということであって女性か男性かという対立的構造へ持ち込むのは誤りだろう。そもそも近代初期の刑罰で行われていた慣習が起源的だとは言える。特に重罪を犯した受刑者は肌に焼きごてを当てられて罪人としての過去を持つ二度と消えない徴(しるし)を刻印されるのが常だった。受刑者らはそれを「百合」と呼んだ。否定されたものを鮮やかに肯定すること。言語を用いればその作業は一瞬でこと足りる。ジュネは刑務所の中でも外でもこの種の言語的トリックの習得に熟達していく。

そして百合は「まっすぐ伸びた」ものでなければならない。ジュネの場合、それは理想的に勃起した男性器を意味しているわけだが、むしろ注目すべきはその象徴性である。象徴化されている限りでジュネの想像性あるいは創造性もまた実現される可能性を得ているわけであって、条件が異る場合、たとえば女性たちの場合、それは理想的に快感を与えると同時に与えられる象徴であることは疑いがない。「まっすぐ伸びた」象徴とは「理想的」なものを意味するのであって、貨幣のように、あるいは言語のように、仲間たちの共同作業によってその都度俊敏に変化するものでなくてはならない。

なお、「起源的」という限定の必要性は古代のいつ頃から始まったかわからないタトゥーの歴史の「起源」という問題に関わる。「起源」はわからないとしか言いようがない。だがしかしそれは近代化を達成した先進諸国から「未開」とされる他者の領域を見た場合にのみ「野蛮なもの」に見える風習からすでに始まっていることを考えれば、「未開、野蛮、犯罪」というヨーロッパ中心主義的偏見から生まれて実際の刑罰にスライドされ応用されるに至ったたことは確かだ。

たとえばボードレールのように詩人であることが世間から爪弾きされていた時代、ボードレールは自分で自分のことを罪人に喩えたし罪人であると同時に死刑執行人でもある二重性として意識的に振る舞ったことは有名である。その意味でボードレールは欧米全土に向けてこう言ったといえる。詩人ゆえに見抜くのではなく、見抜いている人々はすべて詩(ポエジー)の理解者である。共犯者なのだと。だからといって世界中の読者はすべて共犯者だとほのめかしはしても直接的に弾劾するようなことは言わない。詩人は弾劾しない。弾劾は政治家や法律家や裁判所の職務だ。むしろボードレールは詩人であるとはどういう事態をいうのか、いかなる分裂を能動的に生きることをいうのかについて、僅かばかり踏み込んで述べたに過ぎない。

そしてさらに、「同時に王子であり乞食である」というのは何度か触れたように世界中の諸民族のあいだで伝承されている創世神話はどれも共通して混沌から始まっていることと関係する。混沌としては《同時に一つ》でしかない。関係を上下に立てると両者の関係は「王子と乞食」とに二分割される。創生神話にはすでに人間の手が入っている。だから神話といってもあくまで事後的な人為的作業によって介入された後のエピソードに過ぎない。また関係を上下ではない別の方法で立てることもできるが、そうでないのは諸民族がまだ無数に分割された小さな共同体でしかなく諸民族間での横断的関係がなかったことによる。しかしそれは歴史以前、共同体間の交換の瞬間から始まる。

「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.161」国民文庫)

契約という問題含みの動作もまたこの瞬間に発生したことは間違いない。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・P.70」岩波文庫)

ここではまだ共同体あるいは契約で済ますことができる。だが、この種の交換関係はいったん成就されると加速的になおかつ横断的に拡大していく不断の傾向を不可避的に持つ。と同時に一般的にいう「社会」が発生する。すると契約はたちまちただ単なる約束事の次元を越えて「社会的契約」となり、人間によって創設されながらも人間社会の上に立って社会とその構成員たる人間を見えない鎖に拘束しておく桎梏(しっこく)として、国家的装置として、機能するようになる。ジュネが否定されたのはそのような社会からである。孤児という条件がフランス国家からの否定として受け止められるのが常識とされていたということ。ジュネは一九一〇年生まれである。先進諸国といえども二十世紀がいかに過酷な世紀であったか。そしてこの過酷さは十九世紀すでにあからさまに発揮されていたことはどこの国の歴史教科書にも載っている。ところがジュネは世界から否定された否定者としての自分を肯定することで生き延びていく方法を身に付けた。ジュネはその理論化に成功した稀有な事例だと言える。

「私が自分をディヴィーヌに変えるとすれば、私は彼らを彼女の愛人に変える。ノートルダム、ミニョン、ガブリエル、アルベルト、冷血漢となって口笛を吹く少年たちだが、彼らの頭の上には、よく見れば後光となった王冠を見ることができるだろう」(ジュネ「花のノートルダム・P.311」河出文庫)

このような作業は何によってなされたか。言語によってである。言語の両義性によって、そのパルマコン(医薬/毒薬)性によって、である。かといって「泥棒、裏切り者、性倒錯者」としての汚辱を着飾ったわけではない。「泥棒、裏切り者、性倒錯者」としては「こう書くほか思いもよらない」という必然性を言語化したに過ぎない。ジュネは事実を偽りの衣装で着飾るというような見えすいた嘘を述べたりしない。こうであるとしか思えないがゆえにそう書くのである。

「私は、横顔のなかの正面を向いた目や、血まみれの心臓といった残忍なデッサンと記号がすべてに染み込んだ、ヴェネツィアやロンドンの空のように灰色のページをした安価な小説へのノスタルジーを彼らに抱かさずにはおかない」(ジュネ「花のノートルダム・P.311」河出文庫)

大衆小説は宝石箱だ。それに目を通しそれを記憶装置の中へ保存しておくのが得意なジュネにとって。何度も繰り返し反復に耽ることのできる刑務所こそ何よりの学校だった。記憶装置の見取図については次の通り。321頁図5参照。

「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321~322」岩波文庫)

まさしくジュネはベルクソンのいうように「それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるように」行動したといえる。言うまでもなく膨大な犠牲が払われているわけだが。だがジュネはそれを犠牲とは言わないだろう。もっとも、犠牲と書くこともしばしばなのだが、そのときは常にそれを「捧げ物」として、国家への「奉仕」として、述べていることは自明であり実際にそう断った上で書かれているか、あるいはそう注釈したいがためにわざわざそう書くのである。キリスト教と一体化したフランス国家を勃起させ、それを自分の尻の穴へ突入させ律動させ死へと導く。国家が払った力は尻の穴を通してジュネへと移動する。「移動の力/力の移動」はこれほどにも簡単なことなのだ。嗜好によりけりではあるが。

ところで、二十世紀末までははっきり見えていた国家的桎梏(しっこく)は、しかし、消えたといえるだろうか。急速に目に見えなくなってきたことは確かだ。そのぶん国家的桎梏(しっこく)は「それだけますます狡猾に」生き延びるというのが実状ではなかったろうか。ネット社会は何を保存しさらに拡張させることに成功したかという問題を焦点化してみよう。こう言える。

「現代の神話は、不連続的である。それはもはや、構成された大きな物語としてではなく、ただ単に《ディスクール》(言説。英語でいう“discourse”=論説、講演)として言表される。それはせいぜい《作文》であり、文(ステレオタイプ=紋切型)の集合体である。神話は消えていくが、それだけますます狡猾に、《神話的なもの》は残る」(バルト「対象そのものを変えること」『物語の構造分析・P.164』みすず書房)

バルトのいう「神話的なもの」とは何だろう。極めて現実的なものだ。たとえば破棄できるとしても破棄できないような「契約」という制度がそうだ。このような「契約」は人間の目に見える次元でなく目に見えなくなればなるほどより狡猾でなおかつ必然的に人間を鎖に繋ぎ止める。

「相対的剰余人口(どの労働者も、彼の半分しか就業していないとか、またはまったく就業していない期間は、相対的剰余人口に属する)または産業予備軍をいつでも蓄積の規模およびエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストのくさびがプロメテウスを岩に釘づけにしたよりももっと固く労働者を資本に釘づけにする。それは、資本の蓄積に対応する貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分の生産物を資本として生産する階級の側での、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十三章・P.241」国民文庫)

しかし事情は変化するし変化した。とりわけ、かつては目に見えていた事態が徐々に目に見えない次元へ移動したことに注目したい。

「資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって労働力と労働条件との分離を再生産する。したがって、それは労働者の搾取条件を再生産し永久化する。それは、労働者には自分の労働力を売って生きてゆくことを絶えず強要し、資本家にはそれを買って富をなすことを絶えず可能にする。資本家と労働者とを商品市場で買い手と売り手として向かい合わせるものは、もはや偶然ではない。一方の人を絶えず自分の労働力の売り手として商品市場に投げ返し、また彼自身の生産物を絶えず他方の人の購買手段に転化させるものは、過程そのものの必至の成り行きである。じっさい、労働者は、彼が自分を資本家に売る前に、すでに資本に属しているのである。彼の経済的隷属は、彼の自己販売の周期的更新や彼の個々の雇い主の入れ替わりや労働の市場価格の変動によって媒介されていると同時におおい隠されている」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十一章・P.127」国民文庫)

そしてまた「おおい隠されている」といっても、何が「おおい隠」す側として作用しているのか。賃金体系そのものが、である。労賃というもの自体が恣意的「契約」の謎を「労賃」を用いて「おおい隠」す。ニーチェが言語について述べているように。

「《言葉がわれわれの妨害になる!》ーーー大昔の人々がある言葉を提出する場合はいつでも、彼らはある発見をしたと信じていた。実際はどんなに違っていたことだろう!ーーー彼らはある問題に触れていた。しかしそれを《解決》してしまったと思い違いすることによって、解決の障碍物をつくり出した。ーーー現在われわれはどんな認識においても、石のように硬い不滅の言葉につまずかざるをえない。そしてその際言葉を破るよりもむしろ脚を折るであろう」(ニーチェ「曙光・四七・P.64」ちくま学芸文庫)
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さて、アルトー。前回、タラウマラの地では「神」という言葉はないと述べた。「言語には存在しない」とアルトーはいう。

「タラウマラ族は神を信じてはいない。『神』という言葉は、彼らの言語には存在しない」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

神という言語はない。しかし人間を言い表す言語はある。では「神」は言語の外にあるのだろうか。そうではない。この地上。タラウマラの地。それ自身が自然として考えられており、奇妙な表現に聞こえるかもしれないが、タラウマラ族は自然界から「生えてきた」というほかない。

「彼らは自然の超越的な一原理に崇拝をささげており、この原理とは《当然ながら》、<雄>と<雌>なのである。そして彼らは秘儀を伝授される古代エジプト王のように、この原理を頭上にたずさえている」(アルトー『タラウマラ・P.103~104』河出文庫)

とすれば「ヘリオガバルス」のことが思い起こされる。原理とは何か。社会的文法である。しかし間違っても近代社会の到来とともに輸入された欧米由来の社会的文法ではない。資本主義以前的社会、すなわちただ単なる共同体だった頃の原理である。それは例えば日本でいう「春夏秋冬」に当たる。ところが正確にいえば「春夏秋冬」はもはやない。茄子(なすび)が年中市場に出回り出したのはいつ頃からだろうか。少なくとも江戸時代にはそんなことはなかった。だからといって徳川幕藩体制は良かったなどと考えるとしたらとんでもなく稚拙な推測だ。徹底的管理主義と拷問監視と身分差別とに貫かれた殺人的社会体制を復活させることなど思いも寄らない。今や本来の茄子(なすび)は俳句の季語としてしか存在しない。何度も繰り返し反復可能な代理物へと変化した。食物としても同時にシュミラクル(模倣、見せかけ)としてしか存在しない。もはやオリジナルという観念自体がシュミラクル(模倣、見せかけ)へと取って代わったのである。その意味で「タラウマラの地」はそのオリジナリティを失っている。だが「タラウマラの地」はシュミラクル(模倣、見せかけ)へ転倒したことで、逆説的に、いつどこにでも出現可能となった。問題はどちらがオリジナルかなのではなく、オリジナルの消滅と同時に進行した多国籍企業による脱コード化の運動である。国家が多国籍企業を所有するのでなく、逆に多国籍企業が国家を所有するという転倒が固定化したことに留意したいとおもう。だから幅広く諸外国へ展開している多国籍大手メーカーの動向次第でこれほど世界が恐慌状態におちいるという事態を招き込むことになったのである。パンデミックの条件は多国籍企業の歴史と重なっている事実に注目しないとわかるものもわからない。そう言われるのはリゾーム化する今後の世界に向けて、世界の中で、幾つもの危機の到来を示唆していた人々がすでに一九七〇年代にはいたからである。あれから半世紀。世界の中で日本は何をやって何をやってこなかったか。検証作業はまだこれからしか始められないのは確かだとしても、しかしなぜ、これまでに手を打っておかなかったかという問いはいつまでも残されるのである。

さて事実上、タラウマラの儀式で用いられていたペヨトル抽出物はなるほどオリジナルとシュミラクル(模倣、見せかけ)との違いを不分明にするドラッグカルチャーへと回収されてしまった。かつてはついつい自己の領分を越えるという悪質行為を犯しがちな人間の意識の暴力を阻止し、非現実の世界へ乱入しないための薬草として厳格な配慮のもとで、なおかつ彼らの儀式においてのみ用いられていたわけだが、ドラッグカルチャーとして商品化されブランド化されるやいなやペヨトル自身が何か犯罪的なものででもあるかのように取り扱われるようになった。そこでだが、国家的司法によって回収されたペヨトルはどこへ行ったのだろうか。資本主義とドラッグカルチャーとは同い年だということを思い出そう。ペヨトルの抽出物をたっぷり摂取してペヨトル化したのはほかでもない脱コード化の運動を止めるに止められない資本主義市場原理なのだ。要するに商品化された原理なき原理が世界的文法として出現したわけである。新自由主義とはそういうことだ。もはやヘリオガバルスはすべての人間を貫通しているにもかかわらず人々はそれにさっぱり気づいていないと言わねばならない。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー148

2020年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネとミニョンとの思考法が違ってくるのはどこからなのか。方法は大変似ている。けれどもジュネは等身大の自分自身を「甘受している」と述べる。だから襤褸(ぼろ)切れであることは間違いない。この「間違いなさ」がまさにジュネを覚醒させる。ジュネの想像性あるいは創造性は現実に襤褸(ぼろ)切れであることを根拠とすることから始まる。ジュネはより一層徹底的にぼろぼろになることができる。さらにジュネにとって襤褸(ぼろ)切れであることそれ自身がすでに上昇である。世間一般から見て下降に見えている以上、ほとんどごみ箱として路上にうずくまっていること自体、世間から否定され世間を否定したことをせっせと肯定するジュネ的価値観にとってそれは汚辱にまみれればまみれるほどそのぶん上昇として身体をますます燦然と着飾ってくれる諸要素として殺到する。ジュネはそういう事情を「一種の縮図のうちに、そう言ってよければ凝縮」するとともに活用する。

「だがまさしく夢に見た輝かしい運命への私の渇望が、私が生きてきた人生の、悲劇的で、緋色の要素を、濃密で、堅固で、極端に燦然たる一種の縮図のうちに、そう言ってよければ凝縮した」(ジュネ「花のノートルダム・P.308」河出文庫)

ジュネのいう「凝縮」という言葉はただちにフロイトのいう「圧縮、転移」の法則を想起させずにはおかない。そしてこの「圧縮、転移」は夢の作業としてだけ起こるわけではない。フロイトが「夢分析」の中で述べたのは、特に夢において「圧縮、転移」という作業は明確に確認されるという意味でとりあえず「夢分析」とタイトルした一冊の中でまとめて発表したというに過ぎない。というのも、眠っていないときに作業は中止されているだろうかと問うことはいつでも可能だからである。フロイト自身、夢の作業が日中には中止されているなどどまったく考えていない。さらにラカンはフロイト理論の研究対象を神経症から統合失調症へ重心を移動させつつ、眼差を代表とする「対象『a』」の機能についてこう述べる。

「欲動がそこで機能するかぎりでの視るという水準には、他のすべての次元において認められるのと同じ対象『a』の機能が見られます。対象『a』とは、主体が自らを構成するために手放した器官としてのなにものかです」(ラカン「精神分析の四基本概念・P.136」岩波書店)

主体の出現は或る器官の放棄あるいは切断と同時に始まる。放棄あるいは切断されるやいなや「対象『a』」として出現する欲望とは何か。

「新生児にならんとしている胎児を包む卵の膜が破れるごとに何かがそこから飛び散るとちょっと想像してみてください。卵の場合も人間、つまりオムレット、薄片の場合も、これを想像することはできます。薄片、それは何か特別に薄いもので、アメーバのように移動します。ただアメーバよりはもう少し複雑です。しかしそれはどこにでも入っていきます。そしてそれは性的な生物がその性において失ってしまったものと関係があるなにものかです。それがなぜかは後ですぐにお話ししましょう。それはアメーバが性的な生物に比べてそうであるように不死のものです。なぜなら、それはどんな分裂においても生き残り、いかなる分裂増殖的な出来事があっても存続するからです。そしてそれは走りまわります。ところでこれは危険がないものではありません。あなたが静かに眠っている間にこいつがやって来て顔を覆うと考えてごらんなさい。こんな性質を持ったものと、我われがどうしたら戦わないですむのかよく解りませんが、もし戦うようなことになったら、それはおそらく尋常な戦いではないでしょう。この薄片、この器官、それは存在しないという特性を持ちながら、それにもかかわらず器官なのですがーーーこの器官については動物学的な領野でもう少しお話しすることもできるでしょうがーーー、それはリビドーです。これはリビドー、純粋な生の本能としてのリビドーです。つまり、不死の生、押え込むことのできない生、いかなる器官も必要としない生、単純化され、壊すことのできない生、そういう生の本能です。それは、ある生物が有性生殖のサイクルにしたがっているという事実によって、その生物からなくなってしまうものです。対象『a』について挙げることのできるすべての形は、これの代理、これと等価のものです。対象『a』はこれの代理、これに姿を与えるものにすぎません。乳房はーーー対象か自分かが曖昧なものとして、哺乳動物に特徴的なもの、たとえば胎盤と同じようにーーー個体がその誕生の時点で失った彼自身の一部、もっとも古い失われた対象を象徴することができるものを表しています。そしてその他の対象についても同じことが言えます」(ラカン「精神分析の四基本概念・P.263~264」岩波書店)

失われたことによって始まるのが「主体」である。そして主体はこのようにして失われた器官をどのような欲望-対象へ変換させているのだろうか。

「私が主体の分割あるいは疎外の機能と呼んでいるものをもっとも確かな形で打ち立ててくれるのは、欲動の再認です。では欲動は、どのようにして再認されたのでしょうか。それはこういうことからです。すなわち、主体の無意識において生起している弁証法は、何も快感の領野に、つまりめでたく、やさしく、好ましいイメージに準拠しているとはかぎらないということからです。それどころか、結局は何の役にも立たないようなものが立派に対象になっているということが見出されたではありませんか。これらの対象は対象『a』、つまり乳房、糞、眼差し、そして声です」(ラカン「精神分析の四基本概念・P.327」岩波書店)

ラカンは差し当たり「乳房、糞、眼差し、そして声」の四個を上げている。しかし本当に四個だけだろうか。フロイトはフェティシストについてこう言っている。

「呪物崇拝者(フェティシスト)は、後々の生活においても、まだ他の点で性器代理物が非常に役立っていると考えている。呪物は、その意味を他人から知られることはなく、したがってまた拒否されることもない、それは容易に意のままになるし、それに結びついた性的満足は快適である。他の男たちが得ようとしているものや、苦労して手に入れねばならぬものなどは、呪物崇拝者にとってはぜんぜん気にならない」(フロイト「呪物崇拝」『フロイト著作集5・P.393』人文書院)

ただし「性器代理物」とあるのはラカンにしたがって「出生と同時に断ち切られたすべての器官、とりわけ胎盤」へと置き換えられなければならない。問題は「対象『a』」が何度も繰り返し反復可能だからこそ選ばれたということ、またこの意味での反復は「《再発見》し、その都度確認する」ことが目的化されているということである。そしてそれはもはや「ぜんぜん気にならない」ものとなった欲望-対象と化しており、そこら辺のどこにでもごろごろ転がっている「どうでもいいもの」でもある。肝心なことは何度も繰り返し反復可能なことであり、それは「客体」としては「外部に存在する必要がなくなる」ということだろう。

「主観的なものと客観的なものの対立は最初からあるわけではない。それは思考が、一度知覚されたものを再生によって表象界にふたたび登場させる能力を得、一方客体がもはや外部に存在する必要がなくなるということによって始めて生ずるのである。したがって現実吟味の目的は一にも二にも、表象されているものに照応する一つの客体を、現実的知覚の中に見出すということではなくて、それを《再発見》し、それがまだ存在していることを確認するということなのである」(フロイト「否定」『フロイト著作集3・P.360』人文書院)

だからおそらく、ラカンのいう「対象『a』」は差し当たり四個に絞り込まれているだけであって、個々人のレベルで言えば年齢性別国籍宗教に関係なく、もっと大量の「対象『a』」を見出すに違いないし実際に見出されている。言うまでもなくフェチの系列は無限である。マルクスのいう無限に延長される諸商品の系列のように。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)

ただ、フェチというものは常に固定的であるとは限らない。しばしば頻繁に移動する。異性愛者の男性の場合、目の前の座席に座っている或る女性の服装がフェチ化することがある。しかしその女性が立ち去り別の女性が目の前の座席に座ったとしよう。すると今度はたちどころにこの別の女性の服装が新しいフェチとして取って代わることがある。実に頻繁にある。ほとんどいつもそうだといっていいほどある。その点ではなるほどマルクスを引用することはできる。だが絶対的なフェチとして不動の欲望-対象の地位を勝ち取ったフェチもある。それは或る特定の女性が特定の時期に限り身に付けていた服装をともなう身振り仕ぐさのモンタージュ(奇妙な合成物)というべきものだ。現代経済学ではただ単純にそれは貨幣〔信用〕にほかならないと言って済ますことも可能だろう。しかしフェチの全系列はどこまでも拡張され得る。資本主義が拡張するからである。だから一文無しになって死ぬことも辞さないという人間が美学の領域でときどき見出されるのは特別不思議な現象ではない。ナチスドイツを見れば顕著なように「政治の美学化」によって貨幣よりも死を欲するという転倒が国家的規模で出現した。避けられない「各自固有の死」(ハイデガー「存在と時間・第四十六節〜第五十三節」参照)から逆に考えて人間の進路を決定するという死のリレーを現実化させ加速化させた。自殺的国家の特徴。

「奇妙なことに、自分たちが何をもたらすのか、ナチスは最初からドイツ国民に告げていた。祝宴と死をもたらすというのだ。しかもこの死には、ナチス自身の死も、国民の死も含まれている。ナチスは、自分たちは滅びるだろうと考えていた。しかし、どのみち自分たちの企てはくりかえされ、全ヨーロッパ、全世界、全惑星におよぶだろうとも考えていた。人々は歓呼の声をあげた。理解できなかったからではなく、他人の死をともなうこの死を欲していたからである。これは、一回ごとにすべてを疑問に付し、自分の死とひきかえに他人の死に賭ける、そしてすべてを『破壊測定器』によって計測しようとする意志である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.141~142」河出文庫)

ジュネ的方法がミニョン的方法と決定的に違ってくるのは逆に「軽やかな」《変身》を欲する点においてである。しばしばディヴィーヌに《なる》。それは身振り仕ぐさを通して行われる。ジュネはディヴィーヌの中に入る。そしてディヴィーヌの内面を極度の混乱状態に置くことも間々ある。

「私にはディヴィーヌの複雑な顔をもつことがあって、それはまず第一にそして同時に時には、彼女自身であり、顔の特徴とその身振りにおいてあまりにも現実的なお気に入りの想像上の存在たちなのだが、その厳密な親密さのうちに彼女はその存在たちとのいざこざを引き起こし、そのいざこざは彼女を苦しめたり奮い立たせたりするが、彼女を休息させてはくれず、指の皺や震えのかすかなこわばりのせいで複雑な存在のあの不安な様子を彼女に与えているのである、なぜなら彼女は無言のまま墓のように閉ざされ、墓のように胸の悪くなるようなもので満たされているからだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.308」河出文庫)

ディヴィーヌはなぜ「墓のように閉ざされ、墓のように胸の悪くなるようなもので満たされている」のか。ジュネの精神がディヴィーヌの精神を想像し創造しているからである。ジュネとディヴィーヌとはしょっちゅう入れ換わる。いつでも交換可能なのだ。ジュネの精神はディヴィーヌ(彼女)がまだキュラフロワ(彼)だった頃から、常にキリスト教とその全装置とともに、そこから否定され、そこを否定した、汚穢まみれの否定者として、否定者を肯定する運動状態にあるからである。また「墓」についてだが、大事なのはアナロジー(類似、類推)であって、世間一般でもそうであるように、実物の墓であればそれでよいというわけには簡単にはならない。かといって何でも構わないというわけにもいかない。事情はそれほど単純でない。「葬儀」で披露された「マッチ箱と棺桶」とのただならぬ関係を思い起こそう。

「ポケットのなかに私は彼の柩を持ち歩いていた。その棺桶の雛型は真物(ほんもの)である必要はなかった。厳粛な葬いの柩がそのちっぽけな品物の上に威力をおしつけていた。ポケットの中の、私の手が愛撫するその小箱の上で、私は葬儀の雛型を執り行なっていた。それは奥まった礼拝堂の祭壇の向こうで、黒布をかぶせた偽物の柩と相対して、死者たちの霊魂のために唱えられる彌撒(ミサ)にもひけをとらず有効で、道理にかなったものだった。私の小箱は神聖だった。それはジャンの肉体の一きれすら納めているわけではないのだが、ジャンの全体を納めていた」(ジュネ「葬儀・P.34」河出文庫)

重要なのは目に見えないが誰もが心得ている「社会的文法」なのだ。
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さて、アルトー。前回ニーチェから引用したように古代の諸民族はどれも自分の頭上に《のみ》神を持つ。その意味で極めて排他的である。排他的なのは常に他者が周囲のどこかから不意に襲撃してくるような恐怖を感じているからである。アルトーは最初、タラウマラ族が「裏に<神話>を隠している」と疑っていた。そうではない。

「原理-種族といっても、今日ではもはや誰もそれが何であるか知らないし、タラウマラ族に出会っていなかったら、このような表現は、その裏に<神話>を隠していると私も思うところだった」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

ニーチェは「自分の頭上に《のみ》神を持つ」と述べている。「裏側」には何もないというのである。仮面しかないと。ところでタラウマラは「神」という言葉を持たない。「神」という言葉はないが「人間」を表す語彙はある。だからといってタラウマラ族は自分で自分自身のことを神だと思っているわけではない。彼らの土地では自然と人間とは切り離されて存在するものではまったくない。一体化している。だから「頭上の神」はただちに「タラウマラ山脈」を意味した。

「しかしタラウマラ山脈においては、<古代の壮大な神話>の多くが、再び現実のものになっている」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

《この地上》の人間。実在する土地としては、その名を「西シエラマドレ山脈」というけれども、逆に《この地上》というとき、ニーチェのいうように「地上に生きる」ことは幸福の追求では《ない》。それは《事業》である。

「いったいわたしはわたしの《幸福》を追求しているのか。否、わたしの追求しているのは、わたしの《事業》だ(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・徴(しるし)・P.532」中公文庫)

タラウマラへの旅というアルトーの実験は《事業》として「タラウマラ山脈」という人間に《なる》ことであり、ペヨトルという植物の知恵に《なる》ことであり、出現するトランス状態とともに流動する微粒子と化して限りない宇宙に身を開くことなのだった。
ーーーーー
なお、新型ウイルス問題についてさらに。ウイルスは常に両義的だ。どんな劇薬であってもパルマコン(医薬/毒薬)であり得る。それは一方で殺し、もう一方で知恵を与える。日本政府のように金をばらまくことで事態をさらに曖昧にするのでなく、ただ単純に《無償で》知恵を与える。問題視されていることがある。いつものことだが病者とその所属あるいは帰属に対する社会的差別である。日本ではどさくさ紛れに身体障害者である国会議員に対して健常者である国会議員から金銭的賠償が提案される始末である。偽善的マスコミはしきりに「不寛容」という言葉を濫用している。しかし「不寛容」とはどういう態度をいうのだろうか。フロイトは述べている。

「集団の不寛容というものは、奇妙なことに、根本的な差異に対するよりは小さな区別に対して強く発揮される」(フロイト「人間モーセと一神教」『フロイト著作集11・P.341』人文書院)

日本では明治維新前後、武士階級は「攘夷」のスローガンを大っぴらに掲げながらも、実のところ圧倒的「他者」としか思われない外国人に向けてではなく、逆に同一階級に向けて血で血を洗う大量虐殺を繰り返した。引いておこう。

「江戸期を通じて武士階級にはつねに薄氷感があり、去勢感情とその否認が存在したとみてよいであろう。その証拠の一つは、黒船襲来後の尊攘運動である。地獄の釜が開いたごとき殺し合いは、西南戦争(一八七八年)まで四半世紀にわたって続いた。この間、殺害された外国人は数えるほど少数である。否認された去勢感情の反動としての奇妙な特徴として、階級の自己破壊ともいうべく、主目標は自己階級内部に指向された」(中井久夫「分裂病と人類・P.77」東京大学出版会)

日本の国会の中は今なおそのような空気が充満しているのであろうか。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー147

2020年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
獄中のミニョンは相変わらずいつも何らかの身振り仕ぐさを反復している。ミニョンに限ったことではない。人間はいつも何らかの身振り仕ぐさを知らず知らずのうちに演じてしまっているのであり、それは絶えず自分とは別の何かを模倣することにほかならず自分とは別の何かになることでもある。けれどもミニョンはそのような事情にはまるで無頓着だ。ジュネの説明が挿入される。

「夜、彼は散乱した煙草を拾い上げて、それを吸う。足を広げて、仰向けにベッドの上に横たわって、右手で、煙草の灰を落とす。左腕を頭の下にやる。それは幸福の瞬間であり、彼のポーズによって、最も深くそれであるところのものである能力、そしてあのなくてはならないものが彼の真の生によってそこに蘇らせる能力でできている」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

ミニョンが獄中で「鎖」に固定されても死んでしまわないのはなぜか。「彼の感嘆の的である人物の身振りを自在に引き受けることによって」あるいは「自分で自在にそれを創造することによって」、である。たとえばミニョンがマスコミや大衆雑誌の中で伝説化され伝えられている歴史的犯罪者の身振り仕ぐさへの憧れから、知らず知らず彼らの個々の身振り仕ぐさだけでなく物腰全体を模倣しているとしよう。そのときミニョンは獄中の奥底へ閉鎖されギロチンのもとで死んでいった歴史的犯罪者の心情をも模倣してしまっているのであり、心情の模倣は歴史的犯罪者への懐かしい郷愁(ノスタルジー)をミニョンに賦与する。ミニョンは二重化される。するとどういうわけでか耐えられない境遇に置かれているにもかかわらずその同じ境遇に耐えられるという事態が起こってくる。ジュネが利用するのは想像性ならびに創造性が出現させるこの種の力なのだ。

「ミニョンはけっして苦しまないだろう、あるいはこの同じ状況のなかにいる彼の感嘆の的である人物の身振りを自在に引き受けることによって、そして本や奇談が彼にそれを提供しないなら、自分で自在にそれを創造することによって、いつも苦境を切り抜けることができるだろう」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

ところで身振り仕ぐさのアナロジー(類似、類推)によって人間は始めて人間になる。なるほど人間は生まれてくるとき人間の胎内から生まれてくるのであらかじめ人間として生まれてくるかのように見えはする。だがそれは見た目にそう見えるというに過ぎない。もっとも、生まれてくるのはなるほど人間であるには違いない。だが人間として承認されるには一定の手続きがいる。生まれたばかりの乳幼児はそうすることで始めて人間化され人間として生まれてきたことを知り、人間という名の身体に閉じ込められたことに気づく。その過程は極めて弁証法的だ。ラカンから順次列挙する。

「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。

この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126』弘文堂)

「重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~127』弘文堂)

「じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.127』弘文堂)

「鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。

けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。

《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.128~129』弘文堂)

この過程はマルクスによれば次のように述べられる。

「価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.102」国民文庫)

そして最先端科学の現場は何をやっているかというと、十九世紀から二十世紀前半にかけて発表されたこれらの事情を二〇二〇年の今頃になってようやく正当性のあるものとして証明しつつあるのである。ところで、一概に想像性とか創造性とか言ってみても、なるほど言葉は同じでも、その効果はミニョンとジュネとでは違っている。ジュネは自分とミニョンとの違いを述べにかかる。

「だから彼の欲望(だが彼がそれに気づいたのはあまりにも遅すぎた、そのとき彼は一歩も引けなくなっていた)は、密輸業者や、王や、曲芸師や、探検家や、奴隷商人でありたいという欲望ではなく、密輸業者のひとり、王のひとり、曲芸師のひとり、等々、すなわちーーーのようでありたいという欲望だった」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

次の文章はジュネの場合。

「最も惨めな境遇にあっても、それが彼の神々(そして、もし彼らがそうではなかったなら、そうであるようにミニョンは彼らに強制しただろう)のうちの誰かの境遇でもあったことをミニョンは思い出すことができるだろうし、彼のものである境遇は、我慢のできるどころの話ではないというまさにそのことによって、聖なるものとなるだろう」(ジュネ「花のノートルダム・P.307」河出文庫)

作品の早い時点で述べられているように、そもそも花のノートルダムは「ピロルジュに対するジュネの愛から生まれた」ことを思い出そう。

「こんな風に私は、ヴァイドマンや、ピロルジュや、ソクレイというあれらの男たちを、彼ら自身でありたいという欲望から再創造する私に似ているのだが、これらの登場人物への彼の忠実さゆえに、まさに私とは似ても似つかぬものなのだ、というのも私はずっと前から私自身であることを甘受しているからである」(ジュネ「花のノートルダム・P.307~308」河出文庫)

ジュネは「再創造する」。しかしそれはジュネがそうするように再創造《される》のであって、実際のヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイではない。反対にミニョンはまったく彼ら「《のようで》ありたい」という願望の忠実さによって、忠実さゆえにかえってただ単なる模倣でしかなくなる。ジュネのいう想像性あるいは創造性はむしろヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイらの身振り仕ぐさを反復することで、より一層完成されたヴァイドマン、ピロルジュ、ソクレイに《なる》想像性あるいは創造性であり、それは一瞬の閃光として達成される。ジュネ自身は世間から否定され世間を否定した襤褸(ぼろ)切れに過ぎない。その同じジュネはヨーロッパ全土に散乱する否定にまみれた数々の襤褸(ぼろ)切れをやさしく蒐集し言語化し思いのままパッチワークを施し肯定することで彼らを神話的次元へと再創造する。実際に彼らがどのように振る舞ったかという詳細までは知るよしもない。だがその危険な冒険に満ちていたであろう彼らの身振り仕ぐさは伝説化され大衆雑誌で何度も繰り返し反復され市民社会から恐れられ畏怖されていることでかえって彼らに《なる》ことは容易なのだ。そこで伝説から離れて距離を取り、わかりもしない忠実さを奇妙に真似ようとしてみても逆にその忠実さが乗り越えられない壁となってしまい、ミニョンをただ単なる一人の「けちな」囚人でしかないという現実へと送り返してしまう。
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さて、アルトー。欧米文化とタラウマラ族との対立へのこだわり。対立するようになったのはいつ頃のことだろうか。むしろアルトー自身、両者の違いにこだわるあまり、対立構造を強化する方向を取っていはしないだろうか。しかし差し当たりアルトーは東西文化の差異を対立という形式に還元した。アルトーが言いたいのは欧米文化だけが絶対的に正当性のある文化なのではなくタラウマラという文化もまた存在するという主張の開示ではない。とはいえ、両者は仲良く融和するべきだという安易な妥協による折衷主義を取っているわけではなおさらない。そうではなく、次元はもはや異なっており、アルトーはすでにペヨトルとして述べているのである。

「タラウマラ族とともに、われわれはまったく時代を超越した、この時代に対する挑戦である世界の中へ入っていく。しかし私は、これはこの時代にとっては不都合でも、タラウマラにとってなんら不都合ではないとあえていおう」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

文化人類学の普及によってタラウマラ族だけでなく世界中から少数民族に関する大量の資料が収集された。しかしデリダが述べたようにそれらはどれもヨーロッパ中心主義的見地から見られ計測されたものに過ぎないことは自明である。だから文化人類学もまた欧米中心主義に加担した罪禍を持つ。と言ってはみても、そのことでタラウマラにおけるペヨトルについて何がわかるわけでもない。植物を摂取することで、タラウマラ族の儀式における慣習ではペヨトル摂取によって、タラウマラの伝統はいったい何を保存しようとしたのか。何を保存しないよう心がけたのか。アルトーはそれを見ようとしている。逆に安易に欧米とアジア、欧米と中南米、欧米とアフリカ、といった対立を立ててみる行為はなおのこと東西対立あるいは南北対立の構造を延長させ欧米中心主義をさらに徹底化させてしまうことに気づいていない欧米文化の傲慢さの現われでしかない。何にでも「対立を見てしまう習慣」と言ってニーチェは欧米文化をからかっているが。

「《さまざまな対立を見る習慣》。ーーーふつうの不精確な観察は、対立が存在するのではなくて程度の差があるにすぎない自然の至るところに対立(例えば『温暖と寒冷』といった)を見る。この悪習は更にわれわれを誘いこんで、こんどは内的自然、つまり精神的、道徳的世界をもこうした対立にしたがって理解し、分析させるに至った。こうして、段階的推移のかわりに対立を見ると思いこむことによって、言い知れぬ多くの苦悩、傲慢、苛酷、疎隔、冷却が人間の感情のなかに入りこんできたのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・六七・P.325」ちくま学芸文庫)

ほとんど死滅した「言葉を使うなら」と断った上でアルトーは述べる。

「今日まったく廃れてしまった言葉を使うなら、タラウマラ族は自分のことを、ある原理-種族と呼び、そう感じ、そう信じているし、またそれをあらゆる仕方で証明してもいる」(アルトー『タラウマラ・P.103』河出文庫)

試しにニーチェから二箇所引いてみる。第一に。

「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.356~357」ちくま学芸文庫)

第二に。

「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)

両者を重ね合わせると古代諸民族の世界観が見えてこないだろうか。「タラウマラ族は自分のことを、ある原理-種族と呼び、そう感じ、そう信じているし、またそれをあらゆる仕方で証明してもいる」というアルトーの文章は、十九世紀後半にニーチェが言っていたことを、二十世紀半ばになってようやくメキシコ山岳地帯の一部をてくてく歩いて立証する試みであったと言える。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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