遅ればせながら、YOMIURI ONLINEに「アメリカ美術館、福島での所蔵作品展示を拒否」という見出しを見つけました。
もしかすると、、、と胸騒ぎを覚えて、記事を読んでみると、
福島県立美術館(福島市)が、神奈川県の美術館など3館と共同で開催する「ベン・シャーン展」をめぐり、展示を予定していた作品約500点のうち、アメリカの美術館7館が所蔵する作品計69点が、福島県内では展示されないことがわかった。
東京電力福島第一原発事故による放射性物質の影響などを理由に展示を拒否されたという。
やはり、今年6月3日~7月16日に福島県立美術館で開催される「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト-写真、版画、グラフィックアート-」展のことでした。
記事によれば、
県立美術館によると、展示が見送られたのは、ニューヨーク近代美術館などが所蔵する写真などの作品。原発事故後、アメリカの美術館3館が、県内での展示を拒否。ほかの美術館は「直前まで様子を見たい」「条件が変われば展示も検討する」などの意向を示していたが、開催時期が迫っていたため、昨年8月、展示を断念した。
県立美術館の荒木康子学芸員は「展示を断念した当時は、何が何でも福島は安全だと言える状況ではなかった。残念だが仕方ない」と話している。
と、去年の夏には決まっていたことのようです。
関係者、とりわけ、ベン・シャーンを研究テーマの柱のひとつにしている学芸員の荒木さんには、さぞかし辛いことだったと思います
ここで思い出したのは、この展覧会(神奈川県立美術館 葉山でこの展覧会を観た記事はこちら)の図録
に福島県立美術館の酒井館長が寄せた文章
の最後の一節でした。
第五福竜丸は、アメリカでは「ラッキー・ドラゴン」と訳された。福島を英訳すれば「ラッキー・アイランド」である。どちらも放射能汚染というアンラッキーな運命を共有することになった。さらに、<ラッキー・ドラゴン>という作品を福島県立美術館が所蔵するという不思議な偶然が重なっている。
しかしいま福島は、「ヒロシマ」「ナガサキ」とならんで、ローマ字やカタカナ表記によって世界中に知られることとなった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は戦争という非日常の状況の中で、人間の決断の結果生じた悲劇であるが、「フクシマ」は平和な日常の中でおこった災害である点で異なり、いつかどこかでおこり得る普遍性を持っている。いわば現代文明が生んだ災害である。いまわれわれは、ベン・シャーンとともにすこし立ち止まって、人間の運命や未来について考えてもよいのではないだろうか。
おそらく酒井館長がこの一文を書いたのは、「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト-写真、版画、グラフィックアート-」展が巡回する4会場の中で福島県立美術館だけアメリカの美術館が所蔵する作品を展示できないことが決定した後のことだろうと思います。
大事な作品が福島で放射能に汚染されることを危惧するアメリカの美術館の気持ちも理解できますが、なんとも酷な話です。
酒井館長の文を借りれば、「平和に暮らす人々の日常を突然襲った悲劇として」ラッキー・ドラゴン・シリーズを描いたベン・シャーンは、「平和に暮らす人々の日常を突然襲った悲劇」のために、自分の作品の一部が展示されなくなったこのできごとをどう思うのだろうか、と考えてしまいます。
なんとも辛いニュースです。
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してくれた方の訃報が届きました。
ただただ辛い…。