「名古屋旅行記(その6)」のつづきです。が、ちょっと見聞録から離れて、トリビア・ネタを…
私、「地名」に興味を持っておりまして、常々、昔ながらの地名を大事にしたいものだと思っています。それゆえ、こちらで書いたように、横浜市界隈で群れをなしている「お花畑地名」に虫酸を走らせております。
さて、見聞録が続いている「トヨタ産業技術記念館」を設置・運営しているトヨタ・グループの本丸(「本家」は豊田自動織機(株))たるトヨタ自動車の本社所在地は、
愛知県豊田市トヨタ町1番地
です。
もちろん、もともとこんな地名だったはずはなく、旧地名は、
で、1959年に、それまでの挙母市から、トヨタ自動車の創業家「豊田家」に因んで改名されたわけですが、どうしたことか「豊田市」の読みは、「豊田家」の「とよだ」ではなく「とよた」。
因みに、ご本家「豊田自動織機」や「豊田通商」の読みは「とよた」で、「豊田合成」は「とよだ」です。どういう基準で決めているんでしょ?
たしか「豊田自動織機」も「豊田通商」も以前は「とよだ」じゃなかったかなと思って調べると、両社とも1987年に「とよだ」⇒「とよた」と読みを変更していました。
日本語(漢字)では「豊田」のままですが、英文表記(ローマ字)だと、「TOYODA」と「TOYOTA」は別物だと思われるっつうか、「まがい物」に思われることを危惧したのでしょうか?
1985年、「豊田商事会長刺殺事件」という事件が起こりました。
これは、「現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた」豊田商事の会長が、「逮捕近し」と集まっていたマスコミの目の前で刺殺
されるという、日本全国に強烈
な印象を残した事件なのですが、この「豊田商事」の読みは、それこそ「トヨタ・グループ」と錯覚
させることを意図したとしか思えない「とよたしょうじ」でした。
そんな事件からわずか2年後に、「豊田通商」が社名の読みを「とよだ」⇒「とよた」に変えたというのは、今にして思えば大胆なことです。社員の方々に抵抗はなかったのでしょうかねぇ…
既に「豊田商事会長刺殺事件」が風化していたのか、海外でも「トヨタ・グループ」であることを認識してもらうことを重視したのか…
ただでさえ話題が「名古屋旅行記」からズレた記事なのに、ますますズレた
話を「挙母市」⇒「豊田市」に戻します。
この市名変更は、トヨタがゴリ押ししたとか、要求したとか、願ったとかそんな形跡は見られません。
Wikipediaでは、
市制を敷いた当初は、「挙母市」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があって愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。
と記されています。
市名変更の請願書を提出したという商工会議所が、殿(トヨタ)の思いを忖度したのか、勝手連的に活動したのか判りませんが、市名が「挙母市」⇒「豊田市」となった事実は動かしようがありません。
数百年後になれば、この「豊田市」という市名が「昔ながらの地名」になっている可能性はありますけれど、現時点では、ヤボな改名だと私は思っています。
ところで、「トヨタ産業技術記念館」の所在地は、
名古屋市西区則武新町4-1-35
です。
すぐ近所には、高級陶磁器メーカーのノリタケの本拠地があるんですが、こちらは、地名の「則武(のりたけ)」が社名の由来になっています。
地名が社名になるところあり、社名が地名になるところあり、やはり地名って面白いと思います。
つづき:2015/04/29 名古屋旅行記(その8)