「南東北ドライブ旅行記 #2-4」のつづきです。
喜多方で2日連続のラーメンを食したあと、R121を北上
して米沢を目指しました。
R121は片側1車線ながら、車線は広く、路面はしっかりと整備されていて、快適でした
会津若松と米沢といえば、伊達政宗が米沢から会津若松へ、上杉景勝が会津若松から米沢へ国替えされたという「間柄」で、引っ越しの際に伊達家の皆さんや上杉家の皆さん、さらには保科正之が山形から米沢へ国替えされたときも、R121(の辺り)を通ったのだろうか? なんて感慨にふけりながら
、クルマ
を走らせました。
ところが、「鶴ヶ城公式ガイドブック」
によれば、伊達家・上杉家・保科家(のちの松平家)が通った「米沢街道」は、R121の東側、裏磐梯の現在の桧原湖の近くを通るルートだったのだとか。
ということは、私がこの日、会津若松から米沢へ向かったルートは、途中で旧街道を逆に走っていたということですな…
ちなみに、
1888年の磐梯山の噴火で街道は機能を失い、桧原宿なども水没した。しかし、春先に神社の鳥居などが水中より姿を見せることもあるという。
ですと。
確かに、右に載せた地図では、旧街道を示す点線が桧原湖を横切っています
っつうか、1888年まで桧原湖はなかったわけで…。
ここで、「#2-4」で載せた「道の駅 裏磐梯」からの桧原湖の写真を…(磐梯山は写真の右側にあって、写っていません)。
R121の喜多方⇒米沢の3/4辺り、「道の駅 田沢」でトイレ休憩。
トイレを済ませたあと、お土産品を眺めたり、観光パンフレット
を物色したりしたのですが、こんなチラシ
をget
この時点では、へぇ~、「米沢 上杉まつり」をやっているんだぁ~程度にしか思っていなかったのですが、再びR121を走り出し、米沢市に入ると、目
に飛び込んできたのは、
通行止め規制あり
の看板 (写真は、米沢の市街地にある駐車場にクルマを駐めたあとに撮ったもの)。
え" です。
信号待ちの間に、「米沢 上杉まつり」のチラシ
を見ると、この日、5月2日は、
16:30から、私の目的地に設定した上杉神社をスタート地点にして、「武禎式軍団行列」が行われることになっています
交通規制が始まるまではまだ時間がありますが、ヘタすると、駐車場からクルマを出せなくなる可能性もあるゾ というわけで、上杉神社からちょいと離れた場所にあるコインパーキング
にクルマ
を駐めました。
もうちょい上杉神社に近い駐車場もあったでしょうけれど、私、米沢にはまったく土地鑑がありませんし、どこの通りが交通規制されるのかも判らない状態では、安全サイドに振るしかないでしょう。
で、駐車場⇒米沢城趾⇒駐車場のルート図はこちら。
行きと帰りとでルートが違い、かつ、帰りは寄り道していますが、これは単に道を間違えただけです
でも、道を間違えたおかげで、面白いものを見られたのですから、人間万事塞翁が馬ですな。
そのお話は、米沢城趾での見聞録と共に「#2-6」で書きます。