新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

南東北ドライブ旅行記 #2-5

2017-09-02 21:54:40 | 旅行記

「南東北ドライブ旅行記 #2-4」のつづきです。

喜多方2日連続ラーメンを食したあと、R121北上して米沢を目指しました。

R121片側1車線ながら、車線は広く、路面はしっかりと整備されていて、快適でした

会津若松と米沢といえば、伊達政宗米沢から会津若松へ上杉景勝会津若松から米沢へ国替えされたという「間柄」で、引っ越しの際に伊達家の皆さんや上杉家の皆さん、さらには保科正之山形から米沢へ国替えされたときも、R121(の辺り)を通ったのだろうか? なんて感慨にふけりながら、クルマを走らせました。

ところが、「鶴ヶ城公式ガイドブック」によれば、伊達家・上杉家・保科家(のちの松平家)が通った「米沢街道」は、R121東側裏磐梯の現在の桧原湖の近くを通るルートだったのだとか。

ということは、私がこの日、会津若松から米沢へ向かったルートは、途中で旧街道をに走っていたということですな…

ちなみに、

1888年の磐梯山の噴火で街道は機能を失い、桧原宿なども水没した。しかし、春先に神社の鳥居などが水中より姿を見せることもあるという。

ですと。
確かに、右に載せた地図では、旧街道を示す点線が桧原湖を横切っています
っつうか、1888年まで桧原湖はなかったわけで…。

ここで、「#2-4」で載せた「道の駅 裏磐梯」からの桧原湖の写真を…(磐梯山は写真の右側にあって、写っていません)。

   

R121喜多方⇒米沢3/4辺り、「道の駅 田沢」トイレ休憩

トイレを済ませたあと、お土産品を眺めたり、観光パンフレットを物色したりしたのですが、こんなチラシget

この時点では、へぇ~、「米沢 上杉まつり」をやっているんだぁ~程度にしか思っていなかったのですが、再びR121を走り出し、米沢市に入ると、目に飛び込んできたのは、

 通行止め規制あり

の看板 (写真は、米沢の市街地にある駐車場にクルマを駐めたあとに撮ったもの)。

え" です。

信号待ちの間に、「米沢 上杉まつり」のチラシを見ると、この日、5月2は、

16:30から、私の目的地に設定した上杉神社スタート地点にして、「武禎式軍団行列」が行われることになっています

交通規制が始まるまではまだ時間がありますが、ヘタすると、駐車場からクルマを出せなくなる可能性もあるゾ というわけで、上杉神社からちょいと離れた場所にあるコインパーキングにクルマを駐めました。

もうちょい上杉神社に近い駐車場もあったでしょうけれど、私、米沢にはまったく土地鑑がありませんし、どこの通りが交通規制されるのかも判らない状態では、安全サイドに振るしかないでしょう。

で、駐車場⇒米沢城趾⇒駐車場ルート図はこちら。

行きと帰りとでルートが違い、かつ、帰り寄り道していますが、これは単に道を間違えただけです

でも、道を間違えたおかげで、面白いものを見られたのですから、人間万事塞翁が馬ですな。

そのお話は、米沢城趾での見聞録と共に「#2-6」で書きます。

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6年ぶりの鹿児島旅行記 #3-1

2017-09-02 10:26:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

しばらく中断していた旅行記シリーズ、「6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-9」のつづきから再開します。
5月末の鹿児島旅行の旅行記の最終日編です。

最終日も良い天気でした
黄砂に視界を奪われた 6年前雪辱を果たしたぁ~ って感じです。

ところで、今回宿泊したホテルの部屋は、東向き「桜島ビュー」で、ホント、良い眺めでした。

また、この部屋では、にしてカウチが置かれ、カウチとベッドとの間にテーブルがありまして、私はテーブルにPCを置き、カウチに座って旅行記ダイジェストを書いたり旅程の検討なんぞをしていたのですが、だと、天気が良すぎたものだから、PCの画面が見づらい

しかも、せっかくの桜島背にしてカウチで寛ぐというのももったいない感じ。
普通のホテルのように、を向いてがあった方が使い勝手は良かったかもしれません。

   

帰りの飛行機は、鹿児島空港14:30に出発する便で、鹿児島中央駅前バスターミナル13:00に出発するリムジンバスに乗る予定にしていました。

リムジンバス15分おきくらいに出ていますので、状況によっては早めのバスに乗り、空港昼食を摂る手もあるか…というオプションもありました。
前日のこともありますから、時間には余裕を持っておきたい気分でしたし…。

で、約4時間しか時間がない中、どこを観ようか…と考えました。
こんなとき、私は博物館や美術館に出かけるところですが、この日は平日の月曜日でして、東京・六本木の美術館群という例外はあるものの、全国の博物館・美術館休館日です。

ところが、鹿児島中央駅からすぐ近く、加治屋町甲突川の川べりに年中無休観光施設がありました

「鹿児島の歴史が一目でわかる」という触れ込みの維新ふるさと館です。

Wikipediaによれば司馬遼太郎曰く「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」加治屋町は、6年前に2回に分けて散歩したし(記事はこちらこちら)、今回の旅行でも、初日天文館からホテルに戻る際に歩いて通過したのですが(記事はこちら)、どうしたことか維新ふるさと館には行っていない

そこで、私は「鹿児島での残り時間を有効に使おう」程度の気分で、入館料300円をお支払いして維新ふるさと館 に入館しました。
すると、入口近くに、こんなスタンプラリーのスポットがありました。

「平成の薩長土肥連合」というスタンプラリーが開催中らしい。

ほんの3週間前会津を旅行してきた、東北人たる私にとっては、あまり楽しい企画とは感じられませぬ
来年、明治維新から150周年を迎えることをきっかけにした広域観光プロジェクトらしい。
近代日本の幕を開く原動力になったのは薩長土肥連合であることは理解しつつも、「平成の薩長土肥連合」だなんて、良いセンスとは思えません。っつうか、気分良くない

こんなネガティブに見始めた維新ふるさと館でしたが、結論から言いますと、もっともっと見ていたかった でした。

場合によっては予定より早い空港リムジンバスに乗って…なんて考えていたのもどこへやらギリギリの時間まで維新ふるさと館の展示を楽しみました

当日のダイジェストに、

西郷隆盛、大久保利通、村田新八の薩摩隼人3名と勝海舟坂本龍馬をキーマンとして、激動の幕末から西南戦争までの歴史をコンパクトに、そして、感動的に概観することができるものでした。

と書いた幕末から明治にかけての歴史の流れを音や光、ロボット等、多彩な演出によって解説するドラマですという「維新の道」で、一気に私の気分が晴れ渡りました

幕末の志士たち熱い思いがひしひしと伝わってきて、ホント、面白かった

考えてみれば、上記のキーマン5人のうち、幕府側だった勝海舟を除く倒幕勢力側4人非業の死を遂げているわけで、それもまた胸を打つものがありました。

その他の展示については、「#3-2」で書くことにしまして、ちょっとお出かけしてきます。

つづき:2017/09/06 6年ぶりの鹿児島旅行記 #3-2

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