新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

銀座で展覧会をハシゴ

2017-09-03 21:51:48 | 美術館・博物館・アート

きょうは好天に誘われるように銀座に出かけてきました。

目的は2つの展覧会でして、まずは、

教文館 9F ウェンライトホールで開催されている(17/7/1~10/12)「藤城清治 光と影の楽園展」
藤城さんは、毎年、この会場で個展を開催されていますが、私が藤城さんの展覧会を観るのは、7年前に秋田県横手市の秋田県立近代美術館で観た「光と影のファンタジー 藤城清治の世界展」(記事はこちら)以来、2度目

そんなわけで、初めて教文館 ウェンライトホールでの藤城さんの展覧会でしたが、広くない会場に迷路のように作品が並べられ、展覧会としては珍しくBGM付き。
更に、展覧会としては珍しく写真撮影OK

この「写真撮影OK」について、藤城さんのコメントが掲示されていました。
その一部を転記しますと、

最近、レストランで料理を食べる前にカメラで撮っている情景をよくみます。食事の思い出や、料理の研究が、すごくステキです。私の影絵も、もっと親しんでもらいたいし、作り方を研究して、みんなにまねをして作ってもらい、光と影の美しさを身近に味わってもらいたいのです。作品の一部分をアップで撮ったりするのも楽しいでしょう。いま、日本各地の美術館で開催している私の光と影の展覧会は大規模な展覧会で、また、公立の美術館でもあり、模写や撮影は当然できません。
それだけに、自宅スタジオ展やこの教文館の展覧会のように、わたし個人の企画の小規模な展覧会では、大きな美術館では出来ないことをしてみたいと思って、撮影や模写をOKするという思い切った試みをしたのです。

だそうで、藤城さんご本人のご発案、っつうか、ご希望です。

そんなわけで、堂々と作品のいくつかを写真撮影してきました。

藤城さんの影絵といえば「ファンタジー」のイメージなのですが、

「戦後70年を迎えた原爆ドーム (2015)」はいうまでもなく広島の原爆ドームを描いたもので、にたなびくや、横笛を吹くコビトとか、美しい川面の表現こそ「ファンタジー」ですが、メイン原爆ドーム佇まいは、私が観た原爆ドームそのものです。

もう1点、

こちらは、藤城さんが東日本大震災約1年半後福島を訪れてスケッチを重ねたという「福島 原発ススキの里 (2012)」
こちらは、15:10を差して止まった時計とか、ヒラメの養殖場の残骸を初めとして「廃墟」そのものという感じですけれど、よく観ると、ヒマワリが咲き、川には遡上するサケが描かれています。
そして、

世界がぜんたい 幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない

という宮沢賢治のことばが…。

作品の説明には、

地球も人もあらゆる命はきっと、この災害をのりこえ、生きつづけ、新しい未来をつくってゆくことだろう。この影絵を見た人たちにこの地球に生きるよろこびを感じとっていただければうれしいと思っている。

とありました。
しっかりと感じとらせていただきましたよ

ただ、

帰りに検問で放射能の線量を計ったら、地面に近い椅子に座って長時間描いていたから、他の人の倍くらい高かった。

とあって、ギクっとしました

このほか、「風の又三郎」とか、

雑誌「家庭画報」のために描いた季節感にあふれた作品たちも良かったぁ

さらに、私が大好き飛鳥仏を描いた作品「法隆寺金堂 琵琶をひく天人 (2016)」もあって、トキメキまくり

法隆寺金堂 琵琶をひく天人

そして、これを見逃す手はありえないLOVE BEBOPしているMISIA

いやはや、ニコニコしっぱなしの展覧会でございました。

 

「藤城清治 光と影の楽園展」を観終えて、私が次に向かったのは、教文館から1ブロックしか離れていないシャネルのお店。

高級ブランドにはトンと縁のない私がシャネルに行ったのは、先週金曜日の通勤時に聴いていたJ-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」で、気になる情報getしたからです。
蛇足の極み ですが、「JK」とは「女子高生」ではなくこの方のことです

で、この朝の「JK RADIO TOKYO UNITED」「FEATURE FOCUS」のコーナーで「東京五輪を撮影した仏・写真家が今の東京に思うこと」と題して紹介されていたのが、CHANEL NEXUS HALLで開催中の写真展「DEPARDON/TOKYO 1964-2016」でした。

この写真展は、

レイモン・ドゥパルドンさんは、1964年、東京オリンピックの時に報道カメラマンとして東京に訪れ、アジア初のオリンピックの熱気を世界に伝えました。それから半世紀以上経ち、ドゥパルドンさんは再び、カメラを手に東京を捉えました。 (中略)
ドゥパルドンさんが22歳の時に映した1964年の非日常に湧く東京と、昨年東京を訪れて撮影した、サラリーマンやショッピングバッグを抱えた女性など今の東京の日常が並べられています。 

というもので、50年以上の時を経て、フランス人カメラマンの目に写った東京がどう変化したのか、興味がわいた、という次第です。

で、会場のシャネルのお店の前まで行ったのですが、、、、、

高級ブランドのお店には付きもののドアマンがいて、なんとも入りづらい…
お店に入るためのドレスコードがあるんじゃないかろうか…と思ったりして…

それでも意を決してCHANEL GINZAに入店して、会場の4FCHANEL NEXUS HALLにエレベーターで昇りました。
このエレベーターがまた…
フロア側の「昇る/降りる」のボタンも、内部の階数指定のボタンも、、、

シャネルのロゴの形になってる…

シャネルには不本意 かもしれませんが、野口哲哉さんの作品「シャネル侍着甲座像」(こちらの記事をご参照方)を連想した私です

こんな感じで、正直、萎縮したままCHANEL NEXUS HALLに入場 (無料です)

「DEPARDON/TOKYO 1964-2016」(使っているロゴと色が、亀倉雄策さんの傑作東京オリンピックのポスターを連想させて、センスの良さを感じます)、ドゥパルドンさんが1964年東京オリンピックを撮った写真(モノクロ)と、昨年、東京を撮った写真(カラー)だけでなく、その間に来日して撮った写真(モノクロ)の3部構成でした。

この3つの対比が、ホント、面白かった

「JK RADIO TOKYO UNITED」ドゥパルドンさんが、「火星に来たようだった」と語っていた1964年の東京は、現代の日本人が観ても、確かに別世界だったし、「一番変わったのは、現代の東京には色彩が満ちていること」と語っていた2016年の東京は、過剰なほどカラフルでした。

一方、この50年の間に撮られた東京の写真は、モノクロという表現と、今はなき「ナショナル扇風機」という商標を除けば、「現代の東京です」と言われても違和感がありません

戦後の日本において、1964年のオリンピック大転換だったのでしょうけれど、その後ジワジワと変化し、現代につながっているのだと、私は感じました。

この辺りが私にとっては面白かったし、2016年の東京を撮ったドゥパルドンさんの視点が、「この風景のどこがドゥパルドンさんの興味を惹いて写真を撮ったんだ?」という疑問を持たせてくれたこともまた新鮮な感覚でした。

きょう観た2つの展覧会、大規模とはいえないものでしたが、いやぁ~、面白かった
展覧会を観るのに、あれほど自分の身なり思いを馳せた展開も貴重かもしれません

コメント
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