新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

愛宕山に「登山」した話 (前編)

2019-02-03 21:28:02 | MISIA/タウンウォッチング

きのう、東京・港区愛宕山に登ってきました。

標高25.7mといいますから、「山」というより「丘」なんですが、これでも「天然の山としては東京23区内最高峰(Wikipediaより) だというのですから、捨てたもんじゃありません

私、就職で上京してからウン十年経ちますが、愛宕山に登ったのはきのうが初めてでした
先週の渋谷区立松濤美術館は、その存在すら知らなかったわけですが、愛宕山と、その頂上に存在する愛宕神社NHK放送博物館のことは重々承知しておりまして、これほどまでに後回しになったのは、単に、「その機会がなかったから」でございます

で、雌伏の時を経て(?) 私が愛宕山に登ったのは、NHK放送博物館にある「愛宕山8Kシアター」で、BS 8K 「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」再放送を観て、そのついで放送博物館も観てこようというしだい…。

   

で、「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」の放映は14:00からだったのですが、私が愛宕山の頂上に着いたのは、放映まで3時間もある11:00頃でした。

早すぎるとお思いでしょうけれど、これは私の時間配分の妙でして、まずは、初めての愛宕山見物して、愛宕山8Kシアター下見して、NHK放送博物館の展示を観て、ここで昼食&時間調整した後「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」にの放映に臨む、という算段でした。

私は、

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線板橋駅⇒徒歩新板橋駅都営三田線御成門駅⇒徒歩エレベーター愛宕山

というルートで愛宕山へ到着

NHK放送博物館に入館する前に、愛宕神社界隈(って狭い範囲だけど)ウロウロ…。

説明板によれば、

愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26mである。山頂に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々が火伏せの神として信仰されてきた。
今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の86段の急勾配の石段で、寛永年間(1624-1644)に曲垣平九郎この石段を上下したと伝えられる。

だそうです。

この男坂、上から見下ろすと、、、、

なんじゃ、こりゃ

というとんでもない勾配です

まぁ、距離はそれほどありませんから、登るだけなら、なんとかなりそうですが、ここを降りるってのは…

無謀すぎると思えるのですが、Wikipediaによると、騎馬による男坂上り下りの、

2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、1925年11月8日、愛馬平形引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下り45分を要した。

ですって
上り1分で、下り45分

そりゃそうなるだろ…と思いつつ、なんて無茶なことをしたんだろと呆れかえるばかり。
岩木さんは、「愛馬平形と生死を共にするぞ」という意気込みだったかもしれないけれど、付き合わされた平形クンかわいそ過ぎます

ちなみに曲垣平九郎さんは、3代将軍・徳川家光の、「誰かこの石段を馬で登って、愛宕神社から梅の花を手折ってきてくれないものか?」という無茶振りに応じて「快挙」を達成したのだそうな…

この男坂上り下りは、このあと、自分でも体験したのですが、それらも含めて、また後日…。
早くも眠くて

つづき:2019/02/07 愛宕山に「登山」した話 (中編)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画と美術展をハシゴ | トップ | 愛宕山に「登山」した話 (中編) »

コメントを投稿

MISIA/タウンウォッチング」カテゴリの最新記事