「愛宕山に『登山』した話 #3」のつづきです。
NHK放送博物館の3Fは、企画展示室と、
ラジオ放送開始から現在までの通史を一望でき、放送の未来を感じられる展示
という「ヒストリーゾーン」で構成されています。
NHKの本拠地といえば、現在は渋谷にありますが、その前は内幸町にあり、さらにその前は、NHK放送博物館の立つ愛宕山にありました。
その辺の遍歴は知っていたつもりですが、そこから先はまったく知らなかったことを思い知りました。
まず、日本最初のラジオ放送が行われた(1925年3月22日)のは愛宕山の放送局ではなく芝浦にあった東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内におかれた仮放送局だったということ。そして、その4ヶ月後(1925年7月12日)に愛宕山から本放送が開始されたこと。
1938年12月に内幸町の東京放送会館が竣工すると、1964年10月から1968年6月にかけて渋谷放送センター(現・NHK放送センター)の整備の進捗に合わせて漸次、その機能を移転させるまで、「放送の殿堂」であり続けたこと…。
と、ここで、内幸町の東京放送会館のことをちょいと…。
東京放送会館のあった場所を、私はてっきり、日比谷通りの東側、NTTとかみずほ銀行(この3連休もATMとオンラインサービス
はお休み
)のある辺りかと思っていたのですが、日比谷通りの西側、
現在の日比谷シティのあるところでした
いやぁ~、意外…。というか、どうして私は日比谷通りの東側だと考えていたんだろ…
さて、ヒストリーゾーンを見て思ったのは、エレクトロニクスの進歩というのは、ひたすら高機能化&小型化の歴史だったのではないか? ということ。
マイクにしても、レコーダーにしても、TV受像機
(画像サイズは別)にしても、TVカメラにしても、昔の機器のなんとデカい
こと
初代のカラーカメラなんて、自動販売機みたいな大きさですから
中継車も、バスサイズのクルマが3台で1セットだったりと、今からすれば信じられない世界…
ところで、お宝満載のNHK放送博物館ですが、その展示物の中でもっとも丁重に扱われていたのは、昭和天皇のいわゆる「玉音放送」のレコード原版(音声を直接レコード盤に刻み込んだ)でした。
温度・湿度が管理され、窒素で充填されているという特製ケースに収められたレコード原版、確かに「お宝」中の「お宝
」です
最後に企画展示「江戸の名所 愛宕山と山の放送局JOAK」を観て、
NHK放送博物館の見物は終了。
いやぁ~、面白かった
展示替えがあるのかどうか、していればその頻度とか不明
ですが、また行ってみたいと思っています。
ここで一旦NHK放送博物館を出て、愛宕神社の「出世の石段」を慎重に降り
、ちょいと遅めの昼食
近くのホテルのレストランに入りまして、メニューを見ると、ランチはほぼ2,000円。
私はてっきり料理単品のお値段だと思い、まぁ、ホテルのレストランだしな…と、、、あれま、ご飯orパン、スープ、サラダバー、デザート、食後の飲み物を含んでのお値段でした
こりゃコスパが高い
至極満足して、エネルギーを回復して、再び愛宕山へ…
「#4」はここまで。
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