新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

犬山で江戸時代にタイムスリップ(その7:完結編)

2014-05-05 18:49:05 | 旅行記

紀伊半島旅行の旅行記を書く材料が揃ったところで、あわてて「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その6)」のつづき、ようやく愛知(名古屋・犬山)旅行記完結編です。

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国宝 犬山城の丸瓦には、「丸に方喰(かたばみ)」の紋がついています。
犬山城では、他に「丸に一文字」紋の瓦も見かけたのですが、ほとんどが「丸に方喰」紋でした。

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「丸に方喰」「丸に一文字」も、犬山城主だった成瀬氏の紋で、「丸に一文字」の方は犬山市の市章として使われているとか。
犬山城のリーフレットによれば、

慶長15年(1610)頃、徳川家康の9男義直が尾張へ移封されると成瀬正成はその傅役となります。まだ幼い義直にかわって、尾張藩政を委ねられていた平岩親吉が同16年に死去し、その翌年から正成は竹越正信とともに尾張藩の付家老として政務に携わりました。元和3年(1617)、成瀬正成が2代将軍秀忠から犬山城を拝領して以降は幕末まで代々、城主と尾張藩付家老を務めました。

とあります。
「付家老」というのは、Wikipediaを引用すれば、

江戸幕府初期、将軍家血統の貴公子が藩主(大名)になった際に、将軍より直接命を受けて附属された家老のことである。江戸時代には、将軍から附けられたことから「御」をつけて呼ばれたが、現在では単に附家老(つけがろう)ということが多い。

さらに、

将軍の一族から大名に取り立てられた人物には、小姓などの側近を除いて固有の家臣はいないので、藩政を担う家老はみな将軍家から付けられた者となるが、ここでいう附家老は、政務や軍事の補佐を行うとともに藩主の養育の任も受け、江戸幕府の意向に沿うことも期待されていた。したがって身分としては、藩主の家来というよりも将軍直属のお目付け役という性格が強い。

というもので、主君が将軍なのか、藩主なのか微妙なところ。
成瀬正成が犬山城を2代将軍の秀忠から拝領したのには、こんな背景があったんですな。

   

さて、天守から下りてくると、のような花が咲いていました。12月末だというのに…。

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どう見てもですな。

と、

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四季桜というもののようです。

Wikipediaによれば、

花が4月上旬頃と10月末頃の年二回開花する。花は五枚一重で薄く淡い紅色。
春は開花と同時期に新芽も芽を出し、一方秋は自らの葉が落ちるじきに開花する。また、春のほうが花は大きくなる。
樹高は中庸。
ジュウガツザクラ、コブクザクラ等も年に二回開花する。また、フユザクラは冬季から3月まで咲いている。
シキザクラの萼筒は細く一重、フユザクラは萼筒が紅色で太めで花は一重、ジュウガツザクラは萼筒が紅色で八重、コブクザクラは萼筒が漏斗型で八重といった特徴がある。

だそうで、ジュウガツザクラは、11月の初めに咲いているのを東京・砧公園で見ましたっけ(記事はこちら)。

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ということで、天守の中も外も楽しんだ私はトイレへ…。

おっとぉ、なかなかステキなトイレではありませんか

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ランプシェードに近隣の名所・名物のイラストが描かれています。

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一方、「個室」の方も、

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Woodyいい感じです。

手間がかかっていますなぁ。「観光地の公衆トイレは、かくあるべし的な見事なトイレだと思いました。

   

この後、私は帰りの新幹線の時刻を念頭に置いて、犬山の街を散策して(すでに「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その1)」書きました)、愛知旅行の最後のひとときを楽しんだのでありました。

ふぅ~、やっと最後まで来たぁ~。

2泊3日の旅行記を書き終えるのに4ヶ月以上もかかってしまいました。

この分でいけば、今回の紀伊半島旅行の旅行記はどうなってしまうのでしょうか?

ということで、とっぴんぱらりのぷぅ、です。

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東博は大にぎわい

2014-05-04 12:17:25 | 美術館・博物館・アート

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きょうも「キトラ古墳壁画」展は大盛況。入場まで90分+入場後壁画まで30分の計2時間待ちだとか。 会期中ずっとこんな具合なのだろうか? (携帯)

【追記】写真をデジカメで撮ったものに差し替えました。

ちょっと時間をつぶす必要が生じたもので、一週間ぶりに東京国立博物館(東博)に行ってきました。

GWも後半に入り東博の混雑は増しているようです。「キトラ古墳壁画」展の入場待ちもさることながら、きょうの午前中には、チケット売場でも「10分待ちのときもあったとか(こちらの公式ツイッターをご参照方)。

私が東博の構内をブラブラしていた13:45分頃、入場待ちの列は先週よりもずっと長く伸びていました。

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皆さん、熱心ですなぁ。

でも、薫風そよぐ良い天気の下、1時間半の間、行列しているというのは、いかがなものかと思うわけで…

この行列を眺めながら一服した後、本館と平成館との間にあるカエデの様子を観察
3週間前には花が満開だったカエデこちらの記事)は、既にほとんどのが旅立って、普通の青もみじでしたが、まだ巣立ち前の実を発見しました。

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キトラ古墳壁画とのご対面を楽しみに行列している人たちのかたわらで、ひっそりと巣立ちのタイミングを測っているカエデの実、、、、なかなか良いモノを見ることができました。

それにしても、私はキトラ古墳壁画を観ることができるのでしょうか

140504_2_05 とりあえず、先週は図録を買ってきて、きょうは、久しぶりに東洋館を一通り鑑賞した後、ミュージアムシアターバーチャルリアリティ作品「キトラ古墳」を観て、本館1階の「キトラ古墳」展の出口にある特設ショップ四神天文図をあしらったマウスパッド玄武のスタンプを買ってきました。

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大混雑をさけて、搦め手からキトラ古墳壁画にアプローチしている感じですが、現物にお目にかかることはできるのでしょうか?

かなり心配になってきました。
最後は行列に並ぶしかないよな… (2014/05/04 20:09)

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4泊5日の紀伊半島旅行終了

2014-05-02 22:55:07 | 旅行記

きょうの20:30ちょい過ぎ、私の国内旅行としては最長となる4泊5日紀伊半島旅行を終えて自宅に帰ってきました。


昨夜、こちらの記事で、


でもなぁ、、、まだ行ったことのないお寺や、高校の修学旅行以来一度も行ったことのないお寺にもいってみたいしなぁ…


なんて書きましたが、結局、今日の旅程はこんな具合になりました。


ホテル⇒徒歩JR奈良駅 (荷物をコインロッカーへ)路線バス法華寺法華寺⇒徒歩海龍王寺⇒徒歩法華寺路線バス近鉄奈良駅⇒徒歩奈良県立美術館(アメリカ現代美術の巨匠達 -CCGA現代アートグラフィックアートセンター所蔵版画名品展-)⇒徒歩転害門⇒徒歩東大寺ミュージアム⇒徒歩東大寺天皇殿興福寺(国宝館)⇒徒歩もちいどのセンター街⇒徒歩元興寺⇒徒歩猿沢池⇒徒歩JR奈良駅前リムジンバス大阪空港⇒飛行機羽田空港リムジンバス最寄り駅前⇒徒歩自宅


「高校の修学旅行以来一度も行ったことのないお寺」には行きませんでしたが、「まだ行ったことのないお寺」は、法華寺海龍王寺元興寺の3ヶ所を訪れました。


いや、衝撃度からいえば、何度も出かけた東大寺の伽藍で、まだ拝見したことのなかった転害門(てがいもん)こそ、「まだ行ったことのないお寺」の範疇の筆頭に加えるべきでしょう。


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戦乱や火災のために、東大寺の多くの伽藍が鎌倉時代以降のものなのに対して、この転害門正倉院正倉とともに、約1300年前創建当時の姿を維持している貴重な建物です。


おなじみの南大門とは、まるで雰囲気が違って、まさしく天平の佇まい


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なんだか清々しくって、今まで拝見したことのなかったことがもったいない気分です。


   


さて、今後、紀伊半島旅行の旅行記を書くつもりなんですが、ちょっとした、っつうよりもかなり大きなアクシデントが発生いたしまして、それが片付くまでは「おあずけ」です。あしからず…。


【追記】「かなり大きなアクシデント」無事に解決しました。
根拠無く楽観的に考えていたこのアクシデント、思惑のとおりの解決で、実のところ、かなりホッとしています。
さすがだなぁ、日本 (2014/05/03 20:53)


【追記2】ふと、思い出しました。熊野那智大社飛瀧神社)でもとめた、あの八咫烏のおみくじ(記事はこちら)


あらためて見ると、


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失物 出づべし (出てくるであろう)


まさにおみくじのとおりになりました

八咫烏様に感謝です (2014/05/05 07:31)

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ヤバいほど、気持ちいい。

2014-05-02 14:45:47 | 旅行記

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猿沢池のほとりで一服 (携帯)


【追記】写真をデジカメで撮ったものに差し替えました。
ちなみにこの記事のタイトルは、奈良の街なかで見かけてメロってしまったこちらポスター(一番右)のキャッチコピー不細工にもじってみました。


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ヤバいほど、好きよ。
(…と、大伴坂上郎女が詠まれました)


カッコ書きにあるとおり、「ヤバいほど、好きよ。」は、万葉歌人大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいつらめ)の歌超大胆意訳したもの。
本歌は、


恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うるは)しき
(こと)尽くしてよ 長くと思はば


ヤバいほど超訳だし、モデルの鹿ちゃんヤバいほどcute


このポスターは1年以上前から使われているようですが、私はまったく知りませんでした
去年のGWに奈良に来たときも見かけなかったような…

それはともかく、見た人に「奈良に行きたいと思わせる、強力な吸引力を持つ観光ポスターだと思います。

(2014/05/02 16:16 @大阪空港に向かうリムジンバス)


つづき:2014/05/02 4泊5日の紀伊半島旅行終了

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ムダな動きが多かったけど収穫もあった一日

2014-05-01 19:20:58 | 旅行記

今回の「紀伊半島旅行」最後の宿となる奈良のホテルに到着して、この記事を書いています。


よせば良いのに朝からブログ(こちらの記事)を書いていたものだから、出発のタイミングが遅れ、その後もビミョーに乗りたいバス乗り遅れたりして、ムダな動きの多い一日になってしまいました。
もっとしっかりと予定を組んでおくべきだったな、と反省しています。


もっとも、適当な(≒臨機応変な)予定だったがゆえに、掘り出し物の観光ができましたから、まぁ良しとしましょう。


さて、きょうは、行きたい場所が①神宮徴古館②二見ヶ浦(夫婦岩)2ヶ所で、最初に神宮徴古館を観覧し、内宮経由鳥羽行きのバスに乗って二見ヶ浦を見物したあと、もう一度内宮に行って時間の許す限りお札を頂いたり(ふり返れば、伊勢神宮ではなぁ~んにお土産的なものを買っていなかったおはらい町・おかげ横丁を散策する算段でした。


ところが、きょうの実際の旅程は以下のとおりでした。


ホテル(チェックアウト)⇒徒歩宇治山田駅(コインロッカーに荷物を投入)バス内宮前(20分ほど時間つぶし)⇒バス⇒神宮徴古館倭姫宮神宮徴古館バス内宮前経由)夫婦岩東口・二見シーパラダイス前⇒徒歩夫婦岩⇒徒歩賓日館⇒徒歩(駆け足)⇒二見総合支所前(バスに乗り遅れ)⇒二見表参道近くの喫茶店昼食二見表参道⇒バス(宇治山田駅前・伊勢市駅前月夜見宮経由)外宮前⇒徒歩外宮・正宮⇒徒歩宇治山田駅伊勢志摩ライナー大和西大寺駅近鉄奈良線近鉄奈良駅⇒徒歩ホテル


きょうはバスの「伊勢鳥羽みちくさきっぷ」「1DAYフリーきっぷ」を買いましたので、4回乗っても運賃は1000円ポッキリ 正直書けば、きのう「2DAYSフリーきっぷ」(1600円)を買っておけばもっとお得だったんですが…
でも、二見ヶ浦(夫婦岩)はつまらなかった…


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雑誌やTVで見たとおりの昭和の香り漂う観光地でしたし、ちょうど干潮30分前潮が引いていましたし、それよりも、気の利いた昼食を摂れる店がなかったのが、つまらなさを助長してくれました。

それで、早々に退却するべく、バス停を探して歩き始めたわけですが、ふと視界に入ったのが、この建物でした。


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なんとも豪壮なお屋敷が立っています。
興味津々で入口に近づいていきますと、案内板が立っていました。


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なんでもこの建物は伊勢市(旧二見町)が所有する「賓日館(ひんじつかん)」というもので、伊勢神宮の賓客の休息・宿泊施設として藤堂藩砲台跡地に建設されたのだそうで、皇族を始めとするVIPたちが滞在したのだとか。
現在の建物は、1930~36年にかけての大増改築によるものなんだそうな。


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入場料300円で内部を見物できる(一部を除いて写真撮影)と聞いて、バスの時間を気にしつつも見物することにしました。


詳しくは後日書きますが、2階の大広間凄まじいことといったらありません


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120畳敷きの大空間に、折り上げ格天井、そしてシャンデリア、そしてそして、能舞台のようなステージ


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まさしくこの世のものとは思えないスペースでした。
きょうはこの辺にとどめますが、何も知らずにさ迷いこんだ「賓日館」は、望外の大収穫になりました。
「バスに乗り遅れたのは賓日館のせいだのは確かですが、賓日館のおかげでモヤモヤしたまま二見を去ることにならなかったもの、また事実です。
いやはや、驚きました。


   


近鉄奈良駅からホテルに向かって歩く途中、こちらのポスターを見つけました。


140501_2_07 見紛うことなくリキテンスタイン


奈良県立美術館で、「アメリカ現代美術の巨匠達」展が開催されているようです。


明日の予定は、「お約束の興福寺国宝館しか決まっていませんので、訪問先の候補に加えておきましょう。


ところで、奈良県立美術館はどこにあるんだろう…
と、探してみると、東を東大寺に、南を興福寺に囲まれた県庁の裏手でした。
これなら行きやすいゾ


でもなぁ、、、まだ行ったことのないお寺や、高校の修学旅行以来一度も行ったことのないお寺にも行ってみたいしなぁ…


夕食を食べながら、もうちょっと考えます。


【追記】きのう(5月4日)、録りだめていたビデオを観ていると、4月27日放送NHK「日曜美術館 アートシーン」「アメリカ現代美術の巨匠達」展が紹介されていました
放送されていた時間は、朝食を食べに外出していたからなぁ… と弁解したりして…
(2014/05/05 07:03)

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お伊勢参りの順番

2014-05-01 09:07:18 | 旅行記

きのう、伊勢市に到着し、荷物を預けるべくホテルに向かう道すがら、きのう・きょうの旅程を考えていました。
今回の「紀伊半島旅行」に出発する前は、伊勢神宮(内宮・外宮)おはらい町・おかげ横丁、そして、こちらの記事で書いた「旧・山田郵便局電話分室」を巡ることだけ決めていました。
ただ、その順番をどうしようか決めておりませんで、どうしようか… というわけです。


とりわけ悩んだ(深刻な悩みではありませんが)のが、外宮と内宮のどちらに先に行ったら良いのかということ。
何かしきたりのようなものがありそうな気がしつつも、下調べをほとんどしていなかったんですな


ホテルに荷物を預けた後、とりあえず内宮にも外宮にも行きやすそうな宇治山田駅まで歩いてみました。


と、宇治山田駅偉容ビックリ


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伊勢市の玄関口は伊勢市駅ではなく、宇治山田駅なんじゃなかろうと思い至りました。

そういえば、伊勢市の旧称は「宇治山田市」でしたっけ…


そこに現れた路線バス、そのボディーに書かれた文字 に目釘付け


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お伊勢参りは 外宮から 内宮へ


おぉ~私の悩み をお見通しのようなありがたいご示唆 というか神様のご託宣


さすがは「神都」です


昨夜、ちょいと調べると、伊勢神宮のHPに、


神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのがならわしです。


と書かれていました。

ホント、面目ない…


   


こうして、まず外宮へ向かったわけですが、外宮にお参りする前に、「旧・山田郵便局電話分室」(現・レストラン「ボンヴィヴァン」)の外観を拝見しました。


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いやはや、想像以上にステキな建物

中庭の眺めも良いし、


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まるで地中海沿岸の雰囲気(行ったことはないケド)で、とても伊勢神宮外宮の入口至近とは思えない風情でした。

いつかはお食事してみたい と思いつつ、手持ちの現金少なくなっていた私は、隣の伊勢外宮前郵便局でお金を下ろしました。


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伊勢外宮前郵便局は、外観通り「街の郵便局」でしたが、局内には、昔、この地に立っていた「宇治山田郵便局」博物館明治村に移築されているという説明書きが貼られていました。

この場所に、この建物が立っていたなんてねぇ~


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おっと、そろそろきょうの活動を始めねば

きょうは、この旅行では一番のとても良い天気です

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