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マガジン9編集部西村リユさんによる映画評【マガ9レビュー 『おかえり ただいま』(2020年日本/齊藤潤一監督)】(https://maga9.jp/200916-5/)。
《2007年8月。名古屋市内で、深夜に帰宅途中の女性が何者かに拉致・殺害され、遺体が山中に遺棄されるという事件が起こった。まもなく逮捕された加害者は、「闇サイト」(違法行為の勧誘を目的とするサイト)を通じて知り合ったという3人の男性。目的は「金銭を奪うこと」という、あまりに短絡的で残酷な犯罪だった。本作は、事件直後から被害者の母親に取材を続けてきた東海テレビによるドキュメンタリー。監督の齊藤潤一さんは、これまでにも『約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』『死刑弁護人』など、「司法」をテーマにした作品を発表してきている》。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
…「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局』
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」』
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる』
『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と
正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた》』
『●東海テレビ…《テレビの危機的な現状を自ら裸になって提示
…とはいえ…「テレビ局が抱える闇はもっと深い」》』
《東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。
数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の
取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の
現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年
記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を
自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが
話題になった》
『●《他局の方がおっしゃったという「東海テレビは
まだ持ちこたえていると思った」の根拠となるような底力を感じます》』
《裁判を傍聴した母親のつぶやきに、共感する人は多いだろう》…。この裁判長の言い草にも、《高裁は控訴した1人を「被害者が1人のこの事件は、死刑を選択するほど悪質ではない」として無期懲役に減刑する。「数」で罪の重さを量ろうとするその姿勢にも、強い怒りを覚えた》…。
被害者や遺族の皆さんに面と向かって、声高に、死刑反対を主張する気などさらさらありません。オウム事件の被害者遺族の皆さんに対してもも同様です。自分が被害者遺族になった時にどう気持ちが変わるのかは分からない。でも、死刑で何か解決するとは思わない気持ちに変わりはないのではないか…。
本コラムの結び《誰を憎めばいいのか、憎むべきでないのか、死刑をどう考えるべきなのか、見終わっても答えは出ず、もやもやが心を覆ったままだ。けれど、多分私たちに必要なのは、その「もやもや」と向き合うこと、考え続けることなのではないだろうか。》
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【https://maga9.jp/200916-5/】
マガ9レビュー
『おかえり ただいま』(2020年日本/齊藤潤一監督)
By マガジン9編集部 2020年9月16日
2007年8月。名古屋市内で、深夜に帰宅途中の女性が何者かに拉致・殺害され、遺体が山中に遺棄されるという事件が起こった。まもなく逮捕された加害者は、「闇サイト」(違法行為の勧誘を目的とするサイト)を通じて知り合ったという3人の男性。目的は「金銭を奪うこと」という、あまりに短絡的で残酷な犯罪だった。
本作は、事件直後から被害者の母親に取材を続けてきた東海テレビによるドキュメンタリー。監督の齊藤潤一さんは、これまでにも『約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜』『死刑弁護人』など、「司法」をテーマにした作品を発表してきている。
前半では、事件が起こる前の母と娘の生活が、ドラマ仕立てで描き出される。父親が病気で早世した後、互いに支え合いながら生きてきた二人。母は「いつか家を建てようねって、お父さんと約束したの」と娘に語り、それはいつしか、母娘の共通の夢になっていく。
手をつないで歩く帰り道、空を見上げ、亡き父親に語りかけながらのおしゃべり。成長した娘と母とが囲む夕食、娘と恋人とのデート……何気ない場面の一つひとつに胸が痛くなるのは、その穏やかな日々がやがて、残酷な形で奪われることを私たちが知っているからだ。会社帰りの娘が一人夜道を歩くシーンには、「逃げて」と叫びたい気持ちになる。
もちろん、事実は覆されることはなく、物語は私たちが知っているとおりに進んでいく。路上に駐めた車の中で、「ターゲット」を物色する男たち。警察に呼び出され、娘らしき遺体が山中で発見されたことを知る母親。犯人たちはすぐに逮捕され、やがて裁判が始まる……。
後半、実際の取材映像を使ったドキュメンタリーパートでは、加害者3人全員の極刑を求めて署名活動を始める母親や娘の恋人の姿が映し出される。「こんな人でも裁かなければいけないのか、今すぐ処刑してくれれば」。裁判を傍聴した母親のつぶやきに、共感する人は多いだろう。地裁で3人中2人に死刑判決が出るものの、高裁は控訴した1人を「被害者が1人のこの事件は、死刑を選択するほど悪質ではない」として無期懲役に減刑する。「数」で罪の重さを量ろうとするその姿勢にも、強い怒りを覚えた。
一方で、前半のドラマの中に差し挟まれる、加害者の一人──控訴を取り下げ、一審の死刑判決を受け入れた──の生い立ちにも、やりきれない思いにさせられる。両親の離婚、父親の暴力、学校でのいじめ、病気による失職……。「おかえり ただいま」のような日常の挨拶を穏やかに交わせる暮らしが、彼の人生にはおそらくほとんどなかったのだ。
もちろん、それが罪を正当化する理由になるはずもない。けれど、彼の少年時代を知る男性が「愛情のある人が周りにいれば、そういうことはなかったかもしれない」とつぶやくように、何かがほんの少し違っていれば、違う道筋はあり得たのではないか。家族の誰かが少しでも愛情を示していれば、理解してくれる人が近くに一人でもいれば……。そう考えてみることに、意味がないとは思えない。
決して後味のいい映画ではない。誰を憎めばいいのか、憎むべきでないのか、死刑をどう考えるべきなのか、見終わっても答えは出ず、もやもやが心を覆ったままだ。けれど、多分私たちに必要なのは、その「もやもや」と向き合うこと、考え続けることなのではないだろうか。
同時に、ふだん当たり前のように過ごしている日常のかけがえのなさ、愛しさを改めて感じさせてくれる映画でもあると思う。「(犯罪被害者遺族として)毎日憎しみで生きているかのように思われるけれど、加害者のことを考えて生活するよりも、娘のことを考えて暮らしている方が楽しい」。終盤、取材に答える母親の言葉に、ほんの少しだけ心がゆるんだ。
(西村リユ)
『おかえり ただいま』
(https://youtu.be/2AvrZGm_qHA)
『おかえり ただいま』 9月19日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開
※公式サイト https://www.okaeri-tadaima.jp
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