
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
生きているのに
死んでいるあなたへ
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
「いること」
こそが
なににも まして
すばらしい
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生きているのに
死んでいるあなたへ
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
「いること」
こそが
なににも まして
すばらしい
#身体との結びつきを極端に失う #ホッタラカシにされた過去エリクソンの叡智: 「根源的」の意味 癒しの始まり 山下義隆さんの生きる技法 改訂版 今の日本の社会にウソとゴマカシが多いのは、親子関係で・・・......
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ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
昨日,一昨日のつづき。p.239の,第3パラグラフ,下から2行目。今朝はp.240の第4パラグラフ,3行目から。
トラウマは人々を根っこから変えてしまいます。というのも,トラウマを負わされた人は,もはや自分ではないからです。
自分を生きていない感じを言葉にするのが,猛烈に難しいんです。言葉が発達するのは,「あそこにあるもの」を分かち合うためにあるのが中心です。言葉が発達するのは,自分のいろんな気持ちを人に伝えて分かち合うためにあるのが一番じゃない(言葉を司る脳は,自分が生きている実感を司る脳から,場所的にひどく離れていますから)。たいていの人は,自分のことより,人をとやかく言いますものね。昔、ハーヴァード大学の心理学者,ジェローム・ケーガルが言ってましたっけ、「一番内に秘めた経験を言葉にすることは,深い井戸に繋がっていて,分厚いミトンの手袋をしたまま,小さな壊れやすい宝石を摘まみ上げる事になっていますからね。」って。
過去は,腑に落ちる体感システムのおかげで,言葉にしてこだわらずに済むものにすることができます。腑に落ちることが,いまここで自分の実感に気が付く基です。1人の患者さんが私に「8歳の時に,父が家族を見捨てました」と言うならば,私は話を止めて,〈いまどう感じますか?〉いまここの自分を確かめてっ,て言いますね。出てった後で,お父さんに一度も会っていない子どもの自分について話した時に,身体の中で起きていることを確かめて,って言います。「あなたの身体のどこが,苦しい?」って訊きますよ。腑に落ちる感じを大切にして,心が痛む声を聴くんです。最深欲求に繋がる道を辿れば,―― 風は変わり始めます。
自分自身に手紙を書く
最深欲求に至る道は他にもいろいろありますね。その内,1番善いやり方が,自分に出す手紙を書くことです。裏切られたり,見捨てられたりすれば,自分の気持ちを出せるのは,怒るとき,人を責めるとき,もの悲しいとき,悲しい時だっていう人が多いでしょ。気持ちが出せれば,その手紙を相手に送らなくても,気分が楽になりますね。自分に手紙を書けば,相手がどう思うかを気にせずに,自分の気持ちに耳を澄ませて,気持ちの流れは自分のものになります。後になって,自分が書いたものを繰り返し読みますと,感謝感動感激する真実に気づく場合が実によくありますから。
人様のお役に立つ者として,私どもは日々の関わりに「目覚めて」いたいですし,いろんな気持ちに振り回されずに目の前の課題に向き合いたいと思います。心置けないとまでは言えない人と話す場合,私どもの人間勘ビューターは,フル装備の警戒網と防衛線を築くでしょ。文字を書くことは別物です。人間勘ビューターに,しばらく一人ですからと言えば,様々なことが思いがけず不意に表に出ます。
リラックスして,自由になれば,思いがけない宝物が出てきます。
#くっつくパターン が #未来を確信して自由に生きる生き方 もたらす#背中に稲妻が走る #能動的に主人公として過去を生き直す #ペッソボイデン体感療法 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gma......
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不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.64の4行目。4訂版。その続きで,第3パラグラフ,下から4行分。
育ちの中で,あぁ当てになる人だなぁという信頼を作り出すことから,聖書の神様を信頼する信頼が生まれます。それは,育ちの中で,あぁ当てになる人だなぁという信頼を作り出すことは,時間と空間上の様々な事実,人との様々な関わり,その人との様々な気持ちの関わりを区別する中で,その事実と関わりと気持ちとを,人と分かち合うことになるからです。それに比べて,生きた気がしないウソとゴマカシがまかり通るのは,心が気高くされ,心からなるほどなぁと思える,納得できる見通しがないからなんですね。しばらくは,そんなウソとゴマカシに,人はしきりにすがり付くもんです。別の言葉で申し上げれば,本当にあてになる人だという信頼を作り出すことは,様々な事実に夢中になり喜ぶことにはなっても,ウソは言いませんが,ウソとゴマカシは,ある時点まで,様々な事実に勝っているように見えても,本当のことは言いません。
個人が生きている実感を創造されることと,共同体が共に生きている実感を創造されて一心同体になることとをさらに結びついけ,また,共に見る見通しが持つ,個人の面と心の習慣の面とをさらに結びつけ,しかも,陽気で楽しい歓びと日々の習慣,すなわち,人生のあらゆる舞台で全ての人が仲間内で育てられる毎日礼拝で「とてもいい」と聖書の神様が声をかける行いを結びつける,いつでもどこでも味わえる聖書の神様の光に,母子2人が近づくことが必要です。それからもう1つ心から信頼しているのは,初めから始めなくてはなりませんが,聖書の神様の命が一巡するあの創造力は,聖書の神様が定めた,心響かせる大人になる,心から優しい天国への唯一の階段だ,ということですね。
エリクソンは,セラピーの視点から,私が知る限り,天国への階段を最も詳細に明らかにした人です。
#自分は自分で生きているマハトマ・まど・みちおさんの文章。その自然の法則というものは,ものすごく,愛に満ちているように思えます。本当は生かされている私達人間に,「自分は自分で生きている......
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生きているのに
死んでいるあなたへ
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
私の中の
子どもの視線
#身体との結びつきを極端に失う #ホッタラカシにされた過去エリクソンの叡智: 「根源的」の意味 癒しの始まり 山下義隆さんの生きる技法 改訂版 今の日本の社会にウソとゴマカシが多いのは、親子関係で・・・......
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ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
昨日,一昨日のつづき。p.239の,第3パラグラフ,下から2行目。今朝はp.240の第4パラグラフから。
トラウマは人々を根っこから変えてしまいます。というのも,トラウマを負わされた人は,もはや自分ではないからです。
自分を生きていない感じを言葉にするのが,猛烈に難しいんです。言葉が発達するのは,「あそこにあるもの」を分かち合うためにあるのが中心です。言葉が発達するのは,自分のいろんな気持ちを人に伝えて分かち合うためにあるのが一番じゃない(言葉を司る脳は,自分が生きている実感を司る脳から,場所的にひどく離れていますから)。たいていの人は,自分のことより,人をとやかく言いますものね。昔、ハーヴァード大学の心理学者,ジェローム・ケーガルが言ってましたっけ、「一番内に秘めた経験を言葉にすることは,深い井戸に繋がっていて,分厚いミトンの手袋をしたまま,小さな壊れやすい宝石を摘まみ上げる事になっていますからね。」って。
過去は,腑に落ちる体感システムのおかげで,言葉にしてこだわらずに済むものにすることができます。腑に落ちることが,いまここで自分の実感に気が付く基です。1人の患者さんが私に「8歳の時に,父が家族を見捨てました」と言うならば,私は話を止めて,〈いまどう感じますか?〉いまここの自分を確かめてっ,て言いますね。出てった後で,お父さんに一度も会っていない子どもの自分について話した時に,身体の中で起きていることを確かめて,って言います。「あなたの身体のどこが,苦しい?」って訊きますよ。腑に落ちる感じを大切にして,心が痛む声を聴くんです。最深欲求に繋がる道を辿れば,―― 風は変わり始めます。
自分自身に手紙を書く
最深欲求に至る道は他にもいろいろありますね。その内,1番善いやり方が,自分に出す手紙を書くことです。裏切られたり,見捨てられたりすれば,自分の気持ちを出せるのは,怒るとき,人を責めるとき,もの悲しいとき,悲しい時だっていう人が多いでしょ。気持ちが出せれば,その手紙を相手に送らなくても,気分が楽になりますね。自分に手紙を書けば,相手がどう思うかを気にせずに,自分の気持ちに耳を澄ませて,気持ちの流れは自分のものになります。後になって,自分が書いたものを繰り返し読みますと,感謝感動感激する真実に気づく場合が実によくありますから。
人様のお役に立つ者として,私どもは日々の関わりに「目覚めて」いたいですし,いろんな気持ちに振り回されずに目の前の課題に向き合いたいと思います。
目覚めていることが臨床でも欠かせません。