エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #五感の言葉

2019-05-12 11:05:41 | 聖書の言葉から
 
#発達トラウマ障害 は #現代の水俣病 #発達障害との誤解を垂れ流すNHKと専門家
   先日,石牟礼道子さんが亡くなりましたね。 石牟礼道子さんは,水俣病に苦しむ人をほっておけず,『苦海浄土 わが水俣病』などの文学作品を通して,その惨状と救済......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください



生きているのに

死んでいるあなたへ



マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。


 

私が書いてきたことは


みんながもう知っていることばかりです

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#トラウマ #本当の自分が死ぬ病

2019-05-12 10:52:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#問いを忘れたカナリヤ #問いを持って生きる生き方 #天地の差
 不思議の窓 心理臨床の子宮    一斉射撃には、不思議な結合力があんだ?!  女の子の方が高等戦術  子どもはみんな、バイセクシャル。 The life cycl......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia
 をご参照ください


 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。

 

p.239の,第3パラグラフ,下から2行目。

 

 トラウマは人々を根っこから変えてしまいます。というのも,トラウマを負わされた人は,もはや自分ではないからです。


 軸となる自分を生かしている日本人って,非常の例外的でしょ。

 ここ20年,30年で,ますますその傾向に拍車が掛かっていますね。

 ですから,私は,控え目に,バブル崩壊後の30年以降に育った人の半数は,発達トラウマ障害だと申し上げていますが,それ以前に育った人も,核となる自分,本当の自分を生きていない人が非常に多いんですから,バブル崩壊後の人に劣らず,発達トラウマ障害の人がとても多い,というのが実情だと考えています。

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#私どもの敵 #権力のやり口

2019-05-12 10:16:46 | エリクソンの発達臨床心理
 
#賢慮 と #分別
 聖書の言葉: παρακαλῶ παρά 近くに + καλῶ 呼ぶ  頼む,元気づける,慰める    最初が肝心    現在も生きる、ルターの学びと、学びを通し......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

 をご参照ください

 

 

 Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から, p.173,最後の第2パラグラフ。6年ぶりの改訳の続きです。今日は,p.174の第3パラグラフの下から9行目から。

 

 

 もしも,ひとりびとりの生涯にわたって,イキイキと子どものキリストが生きることは,陽気で楽しい歓びを生きることですが,生涯に渡って発達する一本道の途中で日々行う,あの毎日礼拝の中で,繰り返し確実に中心軸となる自分が不動にされて自由でい続けることになるのならば,ハッキリさせることがことさら大切なのは,

(訳注:①)過去において,お父さんお母さんたちが,中心軸となる自分が不動にされて自由でい続けることに,どんな塩梅で役立ったのかということですし,

(訳注:➁)いまここで,お父さんお母さんが,子どもの中心軸となる自分が不動にされて復活することに役立つことが,お父さんお母さんが子どもに心響かせることに共に集中することでますます気高くされるあの道を,明らかにすることに集中して自分を空っぽにすることです。

子どもが創造にピッタリ合った不動の善き良心ができるのは,大人たちが毎日礼拝の司祭になる時だけです。毎日礼拝の司祭は,聖書の神様の命が一巡する神の支配に与る心の習慣の中で,我よりも聖書の神様を心底信頼することに,理性的に共に確信を持っているものです。しかし,聖書の神様の命が一巡する神の支配に与る心の習慣は,聖書の神様が創造する道から生まれるやり取りから,繰り返し振り返ることで,初めて,この世に自由自在に打ち勝ち続けることができます。1つのやり取り,それは,人と人の間を聖書の神様の命が一巡して人を不動に自由にしてくれる「光」を運んできてくれますし,聖書の神様の創造にピッタリと一致する,心の習慣と,人生の習慣とを,確立することに役立ちます。あるいは,1つのやり取りは,あの「キリスト」が聖書の神様の命が一巡する場を繰り返し整えてくれることで,心から自由にできるようになります。キリストも,日曜礼拝の犠牲になります日曜礼拝は,自分と人の目を誤魔化す言い訳をする強情と,ねばならないと思う悪い良心とを代わりばんこでもたらし,お金やモノで子どもの歓心を買ったり,子どもに厳しくしてみたりすることを,代わりばんこにもたらし,居ても立ってもいられず,どこか遠くに飛んでいきたい気持ちと,その気持ちから共依存に陥るカラクリに捕らわれることが,交互に現れます

 子どものころにしてもらった毎日礼拝で体得した,互いに大切にし合う関係の強さと関係の仕方が試練になるのが,若さならば,ぜひともハッキリさせることが大切な事情とは,世の中で生き残ることができるような,心新たにされた陽気で楽しい歓びを編み出す,生みの苦しみを伴う実験を試す情熱です。それから,大人になって,創造に与る方向に手を貸すようになれば,心から自由になることを通して,ますます共に心響かせることに手塩に掛けて子ども等を育てることになるのが,まさに,聖書の神様の創造に与ることになる点で,未来を手で拵えることになります

 日々のお勤めで,相手に寄り添って心から自由になる毎日礼拝によって,世にも珍しい素晴らしい光がピカリと照らす道は,同じ夢(その夢が,信仰,確信,審判,空想,あるいは,幻のいずれでも)を共に見ることが,ひとりびとりが相手と一心同体になる役目になる道になります。というのも,どんな夢でも,同じ夢を見れば,試練を経て体得した気高い関わりを始める勇気をやり取りの中で,相手の心に吹き込みむことになります。さもなければ,互いに分かり合えないないまま育つ場の中で,自分から人に関われず,自分からも人からも,生きている実感を奪い去る心の習慣を,子どもの心に吹き込むことになります。生きている実感が奪われる時に,目に見えてくるのは,人生のとある舞台で,ひとりびとりの人間の中の起きてくることは,その歴史的時間の中で,人間の発達に関する見方で主流になっている人達の人生の習慣が危機に瀕していることに深く関係している,ということです。同じ夢を共に見るのか,それとも,思いが自己愛的でそれぞれバラバラなのか,いずれの場合でも,心が一致するかどうかで,市民生活の現実が決まってしまいます。というのも,一心同体になる体験の基盤となる,独立する核となる自分に目覚めた時にだけ,相手に息を合わせることができない心の壁と,忖度ゴマカシとが結びついていると気付くようになります。この忖度ブリッコは,権力のおこぼれ頂戴につきものですし,すべての全うな人にも,一心同体体験を分かち合う仲間にも,繰り返し脅威になります



 今の日本を見れば忖度ゴマカシ権力のおこぼれ頂戴に付き物で,全うな市民に脅威になることが,判りますね。

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#生きている実感 と #一心同体体験 は #表裏 #聖書の神様 からの #ギフト

2019-05-12 08:04:31 | エリクソンの発達臨床心理

 
#子どもの遊び は #人間らしい自由な生き方の練習場 #社会正義か不正かの選択
 現世考 : 戦車部隊にいた司馬遼太郎さんからの,問いかけ    インターメッツォ : 心を育てること 自分を育てること   後藤健二さんとマザコン宰相(最小)......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください



 The life cycle completed 『聖書の神様の命が一巡することができた』 p.87。 第2パラグラフ,下から7行目途中から,です。今朝は,p.88の10行目から。

 

 

生きている実感があまりにも,驚きと感激に満ち溢れたヌミノースなものなんで,「生きている実感」は,結局は,晴れ晴れと生きるのが心の習慣になりますし,さらには,生きている実感リアルに自分を生きていることの不可欠の条件になります。同時に,2人か3人,心響き合う人間に発達するイメージ言葉を分かち合う者達だけがそれぞれの「生きている実感」から唯一の「共に生きている(共に居る)実感」の中で一心同体になります。…。

 「共に生きている(共に居る)実感」に関して,フロイトさんも,もっと言ってますからね。「間違いなく,ひとりびとりの人がキリストと一心同体にする絆が,ひとりびとりの人が互いに一心同体になる絆のはじめです」(1921)って。しかし,すでに触れましたように,フロイトさんがこう言ったのは,教会や軍隊のような「一心同体になる集団」についての話の中でしたね。しかしながら,人類皆兄弟姉妹に至る一心同体となる仲間全ては,親や創始者から,神々に至るまで,とても善いと感じる大好きな人一心同体になる体験がなければ,ありえません。ですから,シナイ半島の上に現れた聖書の神様は,…モーセから問われて,「私は,今ここで生きている ものだ」と自己紹介していますし,モーセに率いられたユダヤの民に,「『私が生きている実感』である私が,『私が生きている実感』を皆さんにギフトとしてプレゼントしますから」と示しています。



 かくして,この世を超越したスピリットである聖書の神様と一心同体になるヌミノース体験がなければ,生きている実感一心同体になる体験も生まれません

 しかし,聖書の神様は眼には見えませんから,聖書の神様のスピリットを生きるひとり人格が放つスピリットの香りを感じて,聖書の神様に気付くのが王道です。大自然や歴史の中に,聖書の神様のスピリットを実感する場合も少なくありません。

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